身体作りの「向き不向き」と「理想の描き方」について

理想の身体、本来得られるはずの自らの姿。
それは生まれ(遺伝)と育ち(環境)により定まる。

抗生物質で腸内細菌を殺し、食習慣でそれを維持しているだとか、
トレーニング不足でエピジェネティクス(成長因子の発現)が不十分だとか、
そういうものを解決したうえでなお、ということである。

早いうちに「私は○○だ」と決め込むことは弊害を生じる。
身体作りにおける決め込みは、発育途中になされる。
ゆえに人は「自らの本来の形」を得ることが難しい。

発達障害における脳の不可逆的な変異。
これは腸内細菌やエピジェネティクスと関りがある。
後年にそれを解消したとして、一度進んだ変化をチャラには出来ない。
これは筋肉や内臓、免疫系にしても同じことだろう。
そういうものとして、やっていくほかない。

身体作りの基盤は、10代以前から始まっている。
この時点で成長の基盤、不可逆的な身体変容を必要とする。
たとえば骨格、胸郭の容積はここから10代後半までが鍵である。

身体作りの向き不向きは主に「10代をどう過ごしたか」である。
痩せるよりはやや肥満ぐらいのほうが、発育には望ましかろう。
とはいえ、食のバランスを欠いた肥満は腸内細菌を劣化させるため、
それに紐づく各種成長要素を損なう結果になるのだが。

「身体作り」という観点で取り組むのは、30代、40代。
それ以前は、トレーニングとか鍛えるとか、そういう言い方になる。
がむしゃら、雑に高頻度に取り組むだけで結果が出るからだ。

身体作りとは概ね「中年期以降のトレーニング」のことを指す。
今現在、持ちうるものを理解し、そこから思い描くことだ。
無理をしすぎず甘やかしすぎず、不要なものを剪定し形作る。
余分をそぎ落とし望ましい形に整えるそれは、盆栽に近い。

10代のころ、何をしていたか。
よく使う部位が腕や背中だったのか、腰回りか、脚か。
あるいは、どれもあまり使えていなかったのか。
それを思い起こし、取り組みを変えることだ。

内分泌系の強化に焦点を当てるべき人もいる。
背中や腰、尻やハムを呼び起こすべき人もいる。
筋に命令を伝達する神経系統を太く強くするべき人もいる。
それらは問題なく、構わず筋肥大をすればいい人も。
そのいずれかを見極めることだ。

身体作りは中年期のそれだと言った。
それ以前から鍛えていれば、それはトレーニングだ。
向き不向き以前に、身体作りという概念で取り組む人は限られる。

身体作りに向く人は、実は1種類しかいない。
変わりゆく自らの身体を客観的に見る、その人だけだ。
他は身体作りという概念で取り組まないし、取り組めない。

内分泌系や内臓、骨や神経を疎かにしていないだろうか。
筋肉が肥大するというのは、分解と合成の天秤が合成に傾いているに過ぎない。
合成の基盤を育てねば、いずれ合成能力は頭打ちになる。
そこを見抜き、取り組むことが身体作りであると考える。

てな感じ。
たとえばダイエット、あれ良く分からないんだよね。
過度の肥満は腸内細菌の変容や糖質・脂質依存で説明できるんだけど、
それを解決できない人が「ダイエット」って語を使いたがる。
「依存に伴う過食傾向を解消し、腸内細菌叢を正常化する」
で良いのにね。

まあ、土台作りって孤独だからなぁ。
孤独に耐えられない人には向いてないのは確かだね。
その孤独がどうというのも依存ではあるけどね。
依存なので、習慣ひとつで解決できるけどね。

孤独な作業に自ら価値を見出すってのは、難しいね。
その孤独を打ち消したくなる日がいくつあっただろうね。
でも、続けるしかないよね。

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