buchi

身体のことが気になるおじさん。筋トレや栄養、運動など、興味のあることを調べては試しています。

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最近の記事

休養の大切さを理解してからの身体の変化が早い。メリハリのあるトレ―ニングを心掛けるのが大事ですね。

    • 日記にせよつぶやきにせよ、下書き保存して終わることが多い。数を打って面白いものが出来る過程があるのだけど、その過程を見せるのが大きくマイナスになるからだ。フィードバックを得る機会が少なくなっちゃうのは厳しいんだけど、誰に見せれば良いんだろうね。

      • 例の河村市長の件。器物損壊罪に問われる行動だという自覚がないのが痛い。訴えられないだけで罪は罪で、ごめんじゃなくて正式に謝罪すべきだし、訴えられない分どう贖っていくのかを示すのが筋なのである。

        • スタートアップとかプロジェクトとか言うけど、その実は「属人性を消す」に尽きるんよな。自分が居なくても出来る、つまり誰にでも再現出来るためのレシピを考えること。それって見方によっては孤独だよね。「みんなで」を考えて、そこに自分が居ない絵を描くなんて。

        • 休養の大切さを理解してからの身体の変化が早い。メリハリのあるトレ―ニングを心掛けるのが大事ですね。

        • 日記にせよつぶやきにせよ、下書き保存して終わることが多い。数を打って面白いものが出来る過程があるのだけど、その過程を見せるのが大きくマイナスになるからだ。フィードバックを得る機会が少なくなっちゃうのは厳しいんだけど、誰に見せれば良いんだろうね。

        • 例の河村市長の件。器物損壊罪に問われる行動だという自覚がないのが痛い。訴えられないだけで罪は罪で、ごめんじゃなくて正式に謝罪すべきだし、訴えられない分どう贖っていくのかを示すのが筋なのである。

        • スタートアップとかプロジェクトとか言うけど、その実は「属人性を消す」に尽きるんよな。自分が居なくても出来る、つまり誰にでも再現出来るためのレシピを考えること。それって見方によっては孤独だよね。「みんなで」を考えて、そこに自分が居ない絵を描くなんて。

          初心者格闘技仲間から「◯◯さん、バリバリのストライカーですもんね!」と。ちょっと苦笑いしつつ。現実ストライカーと呼ばれるレベルかはさておき、そう見える程度に頑張れているのなら、続けてきた甲斐はあるかな、なんて。

          初心者格闘技仲間から「◯◯さん、バリバリのストライカーですもんね!」と。ちょっと苦笑いしつつ。現実ストライカーと呼ばれるレベルかはさておき、そう見える程度に頑張れているのなら、続けてきた甲斐はあるかな、なんて。

          昨日のスパーリングは良かった。ずっと試行錯誤していた連続的な攻防というか流れというか、そういうものが形になってきた。自分はこういうルートに行きたい、相手はこういうルートに行きたい、ルートを察知して阻止する、察知されたことを読んでルートを変える、そういった攻防。

          昨日のスパーリングは良かった。ずっと試行錯誤していた連続的な攻防というか流れというか、そういうものが形になってきた。自分はこういうルートに行きたい、相手はこういうルートに行きたい、ルートを察知して阻止する、察知されたことを読んでルートを変える、そういった攻防。

          創作物をメタ視点から考察するのは邪道だ。だけど、その作品の持つエモさを理解するには、メタ的な観点は避けては通れない。背景を知らずして、その作品について知ることは難しい。シンエヴァのメタ考察は、いずれnoteにしたいと思う。

          創作物をメタ視点から考察するのは邪道だ。だけど、その作品の持つエモさを理解するには、メタ的な観点は避けては通れない。背景を知らずして、その作品について知ることは難しい。シンエヴァのメタ考察は、いずれnoteにしたいと思う。

          シンゴジやっぱ評価分かれるよなぁ。どっちの意見も分かるなあ。俺は好きだし面白かったけど、あれが傑作かと言われると難しいところで。庵野の作品は庵野だから成立する、とか言って飲み込めるかどうか。

          シンゴジやっぱ評価分かれるよなぁ。どっちの意見も分かるなあ。俺は好きだし面白かったけど、あれが傑作かと言われると難しいところで。庵野の作品は庵野だから成立する、とか言って飲み込めるかどうか。

          チャレンジは本来、楽しいことのはずだ

          その昔、繰り返し経験したパターンがある。 新しいことにチャレンジするとき、孤立するのだ。 未知のものへ取り組む感覚が、食い違っているらしい。 「うおおすげえじゃん!あれやってみたいね!」 と俺が言ったとき、周りがげんなりしてしまう。 何か、義務感みたいなものを感じ取ってしまうらしい。 あれをやらなければならない、みたいな…。 やってみて、それで出来なくても良いんだよって思うんだけど、 そういう感覚は誰もが持っているものではないと。 今は、言う相手や場面を選ぶようにしている。

          チャレンジは本来、楽しいことのはずだ

          アラフォーおじさんが10代や20代の青年と殴り合える場なんてここしかない

          私は総合格闘技をやっていますが、試合には出ません。 「歌のために総合的なフィジカルを向上させる必要がある」 「そのために何かしら、全身を協調させて動く運動に取り組む必要がある」 ということで、選択肢の中から「格闘技」を選んだに過ぎないからです。 ダンスでもサッカーでもよかったのに、格闘技を選んじゃっただけ。 そういう大前提があるから、自制しています。 試合に出るなら、どこかしらが壊れる覚悟は必要です。 壊れるということは、バランスを崩すということ、 歌のため、という前提が壊

          アラフォーおじさんが10代や20代の青年と殴り合える場なんてここしかない

          格闘技ジムに通い始めて9か月

          そろそろ満1年が見えてきました。 途中から「いかに怪我をせず、継続して通えるか」がテーマになりました。 さすがに40歳ともなると、無理は効きません。 食事と休養、道具を工夫して、やっています。 それでも痛めるときは痛めました。 どんなに予防策を張っても、疲労や損傷は蓄積します。 今どの程度の疲労や損傷を抱えているのかを明確にすること、 それに対してどのように対応するかを決めること、 そういったことが大切なのだと学びました。 予防には限界があり、大事なのは受傷直後のケアです

          格闘技ジムに通い始めて9か月

          最近、格闘技ジムで言われたこと

          もっと待てたほうが強くなりそう → インこなせるアウトは最強、だから練習してる スウェーの練習組手で相手パンチの軌道見てるの草 → 攻め考えたら最小モーションにせなあかんやろ 打ち手が伸びるんすけど → ステップのインアウトやな、リーチ短い選手の真似したわ マイペースやなあ → 歴半年で4年5年の経験者とやり合ってるのお忘れかな? 背高いの才能だから → 柔軟性や怪我しない身体も才能ですね、私無いですけど よく踏み込めるね → 引いたらクリーンもらうタイミングで下が

          最近、格闘技ジムで言われたこと

          好奇心は行動しないと鈍っていく

          10代の頃に「そんなの昔からやってる奴には勝てない」と聞いた。 20代になり「やっぱり才能ある奴はすげーわ」とちらほら聞こえてきた。 30代。「昔は◯◯やってたんだぜ」と。 辞めるのは自由。続けるのも自由。 当人が納得して決めたならそれでよし。 「やってみたけど◯◯だった」 という結果が出たなら、次に進めるから。 ただ、結局やらない人も多い。 なのに、やりたいとか才能がどうのとか言うのはちょっとね。 やってから考えたら?と思ってしまうがどうだろう。 余暇の時間で数ヶ月も試

          好奇心は行動しないと鈍っていく

          理論なき実践は、時として大きな代償を支払う

          理論なき実践は、時として大きな代償を支払う

          摂食障害であったり「行き過ぎた身体作りはナルだ」という言及に思うところ

          先に私の結論を言ってしまいます。 「自分が望みに向かってるならOK、望まぬ結果に向かうなら考えよう」 こんだけじゃないかなぁと、私は考えています。 望みに向かっているかどうか、なんですけれど。 それは、自分が何に帰属し、どう生きるか次第なんです。 多くの人は「仲間」に帰属し、集団の中で生きることを望みます。 ただ、そうじゃない人は、無理に属すると苦しむだろうなと。 そのギャップと摩擦が、摂食障害と呼ばれたり、ナルと呼ばれたりする。 「人付き合いが大好き!俺たち仲間だよな!

          摂食障害であったり「行き過ぎた身体作りはナルだ」という言及に思うところ

          身体作りの「向き不向き」と「理想の描き方」について

          理想の身体、本来得られるはずの自らの姿。 それは生まれ(遺伝)と育ち(環境)により定まる。 抗生物質で腸内細菌を殺し、食習慣でそれを維持しているだとか、 トレーニング不足でエピジェネティクス(成長因子の発現)が不十分だとか、 そういうものを解決したうえでなお、ということである。 早いうちに「私は○○だ」と決め込むことは弊害を生じる。 身体作りにおける決め込みは、発育途中になされる。 ゆえに人は「自らの本来の形」を得ることが難しい。 発達障害における脳の不可逆的な変異。

          身体作りの「向き不向き」と「理想の描き方」について