本を作る。
本を作ろうと思っている。
何を突然と自分でも思うけど、今一番それがしたくて、じゃあ作りましょうかって感じ。
今年の春頃、精神的に不調が続き、それを癒すために、毎日のように散歩をし、Instagramに『#写真日記』というものを上げていた。
梅雨や酷暑で今はしばらくやってないのだけど、それがわりと評判が良かった。
とてもセンスがいいデザイナーの先輩が「視点が独特。すごくいい。」と言ってくれたのが嬉しかった。
写真を撮り続けると、自分が気になったものをポンと収めているだけなんだけど、自分が惹かれるものがだんだん定まるようになった。
壁の傷や落書き、汚れ、錆び、覆い尽くす蔦、そんなものばかり撮ってしまう。
自分の中でもなんとなくテーマがあるような気がするようになり、ある日「傷みの記憶」という言葉が降って来た。
そうか、私は「傷みの記憶」を撮影したいのだと思った。
学生時代、詩を投稿するWEBサイトによく投稿していた。
詩は中学の頃から書き始めるようになった。
少女の通過儀礼と言えばそうだろう。
中学生の頃はいじめられていたので、かなり鬱屈していた。
吐き出す場所がどこにもなく、しかし日記のような具体的なことを書きたくない時期で(今とは大違いだ…)、そこで詩を書くようになった。
詩を書き始めたのは、その頃から大好きなグレイプバインの田中さんの歌詞の影響だった。
田中さんの歌詞は、陳腐な恋愛の歌詞とか、意味のわからない言葉の羅列とは違う、奥行きのある歌詞だった。
最初はありきたりなことしか書けなかったし、ましてや自分のことなど書けなかった。
でも、書き続けていくうちに、言葉に自分の気持ちを吐露する方法を身に着けていき、移動中でも思いついたら書留めるようになり、少しずつ書き溜まってきた。
私は大学に行くまで携帯を持っていない変わった学生で(だからいじめられたのだろうと思う)、実家にいる頃はネット環境がなかった。
大学に行ってから、一人暮らしをし、携帯を持ち、ネット環境に触れるようになってから、ふと自分の詩の実力がどれくらいなのか気になったのだ。
詩のサイトはカオスな場所だった。
いかにも00年代インターネットって感じだ。
みんなハンドルネームなのに、私だけ「樋口」と本名でやっていたので浮いていた。
いつしか他の詩人さんとも交流し、仲がいい人も出来た。
実際会ったことのある人も何人かいた。
その中で、私の詩が大好きだと言った年下の女の子が死んでしまうことも経験した。
今よりもインターネットがアンダーグラウンドな匂いを発していて、怪しさのある時代だった。
そこで私は500以上の詩を書いた。
もうそのサイトはやめてしまったけど、自分の詩はほとんどダウンロードした。
ほとんどというのは、昔の恋人と別れたあとの詩は、ダウンロードせずに衝動的に消してしまったのである。
昔の恋人と別れたあとの詩は、すさまじく研ぎ澄まされていた。
今考えるともったいないなぁと思うけど、その頃の自分には吐き出したものを再び目にすることすら耐えられなくなっていた。
思えばあの頃は鬱病ではなかったかなと。
そこで書いた詩と、余裕があれば新たに書き下ろしたものを。
ただ、現在はかなりの間詩を書いていないので、ちょっと書き方を忘れてしまっている。
書くこともスポーツと一緒で訓練が必要で、noteのような長文を書く筋肉、Twitterのような短文を書く筋肉、詩を書くような筋肉というのは違ったりする。
古い詩を見直しながら、時に恥ずかしくなりつつ、20歳前後の自分はこうだったなぁと改めて振り返ることも出来た。
今よりずっと狭くて、堅い価値観に縛られ、それからはみ出す自分を自責する詩も多かった。
または、虚勢のように大人ぶった詩も多かった。
それが若さだと思うし、それはそれで良いのだろうけど、今見ると恥ずかしかったが、更に10年経てば今の自分も恥ずかしいのだろう。
ただ、この歳にしか書けない表現というのもあったので、新鮮な気持ちにもなった。
若い頃の詩を再編するというのは、それこそ「傷みの記憶」という気がする。
「傷みの記憶」という題名がブレないよう、イメージを作っていきたい。
新しい挑戦で不安がいっぱいだけど、新しいことをやるのが、不安と闘うことが、なんだかんだ私は好きなのだろうと思う。