世界初公開、伊藤若冲「果蔬図巻」
2024年10月12日土曜日朝。
行ってきました嵐山福田美術館。
新発見の伊藤若冲「果蔬図巻」を公開初日に見に。
福田美術館さんは今年で開館5周年。
その周年企画として大目玉を出してきてくれました。
今年春、江戸時代中期から後期にかけて活動した京都在住の町絵師、伊藤若冲が手掛けた知られざる絵巻が発見されました。
この作品の一般公開が始まったのです。
福田美術館朝活チケットとは
福田美術館開館時間は午前10時です。
ですが時間を有効に使いたい、混雑を避けたいetc…
様々な理由で早く入館したい一部の限界オタク 層のために(恐らく枚数限定で)朝活チケットというものがあります。
★開館5周年記念 京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?! (略称:若冲激レア展)
期間限定 朝活チケット
2024年10月12日(土)~2025年1月19日(日)
これさえゲットすれば、ほんの少しですが館内の入場制限の下で見ることが出来ます。
そして当日、9時10分ぐらいに現地に到着すると…
それでも9時30分近くになると列が動き始めました。
安心して下さい、美術館スタッフさんが朝活チケット組と当日入場組をちゃんと分けてくれますよ。
ちょうど玄関から入る辺りでスタッフさんからアンケートを取られました。初日だけかもですが。
「朝活チケットを利用しようとした目的は?混雑を避けるためですか?」など。
無難に「はい」って答えましたがぶっちゃけ「一瞬でも早く・他の人より長く・若冲さんの新作を見たいからです!!」てのが本音です(少しは隠せ)。
果蔬図巻へ進路を取れ
館内に入ると受付、ロッカー(100円/リターン式)があり、階段上がって第1展示室、その上階が第2展示室・第3展示室。
階段に進む手前に開催中の展覧会目録があり、サッと目を通すとお目当ての「果蔬図巻」は第2展示室にあるとのこと。
第1展示室を覗くと既に絵の前に列が出来ている。
「これはチャンス」
踵を返し、私は真っ直ぐ第2展示室に向かいました。
ブン…と低い音で開いた自動ドア。仄暗い室内。静かな気配。
思った通りです、全然人がいません!ありがとうございます!!
どうですこの愛らしさ。
瑞々しさ。
色鮮やかさ。
さすが京随一の青物問屋「桝屋」四代目。
野菜や果物への慈愛と祝福に満ちた眼差しがあってこその筆致ではないですか。
制作年代は寛政2年(1790年)以前、縦30.5cm×横277.5cm(跋文部分54.5cmを加えると横332.2cm)の意匠となります。
【参考】→新発見ニュースの時の動画。これで大きさが大体わかりますね。
なお福田美術館は「撮影不可」と注意書きがある作品以外全て写真OKという、国内では珍しい美術館。後で見返したいとか記念に撮っておきたいとか、そういうミーハー ガチ勢 層には大変ありがたい。
とはいえ「果蔬図巻」は巻子装。絵巻物でなおかつ全面展示。
ほんとにありがたい。
がしかし普通に撮ることは無理。
勿論、絵を正面から、少しずつ撮ったりもしました。
でもやはり上手くおさまらない。
ちゃんと図録で全面収録して欲しいですね。
福田美術館さん、とにかく図録!出して下さい!!必死!!(※)
絵師伊藤若冲居士=桝屋源左衛門四代目=地域町年寄
知られた話ですが伊藤若冲は京都錦市場の大店「桝屋」の主人(代々源左衛門を名乗る)であり、40歳頃に次弟に家督を譲って画業に専念した人物です(父が三代目、弟は五代目を襲う)。
彼に対する現代からのパブリックイメージとして、「勉強嫌いで字が下手、三味線などの芸事も駄目。酒にも女にも全く興味がなく、人づき合いも苦手」というものがあります。
超がつく豪商の旦那衆として芸事や宴席をスルーしがちなのは、まあ確かに当時は相当変わったタイプと思いますが、彼は絵師として身を立てながらも、家業と地元錦への愛情を失うなど一つとしてなく、帯屋町町年寄(町政を司る町役人の筆頭)として錦市場を抱える地元地域を監督しつつ、弟を助けて店を見守っていたらしいというのが、最新の研究(※)でわかっています。
何せ彼が50歳の頃、最高級の絵具、画紙、墨、筆を用いて完成させた畢生の大作「動植綵絵」は全部自費で制作してます。依頼ではありません(※)から制作費は全部自分持ち。それには当然自分のお金&家業のお金を使っていたことでしょう。
でもそれで家族や店が彼を問題視した逸話は伝えられていません。
きっと「京で評判をとる、あれほどの絵を描かれる大旦那なのに、いつもお店のことも大事に考えている素晴らしい方だ」と家族や店や市場の人々が皆、彼をあたたかく見ていたのではないでしょうか。
若冲の作品に、現代まであのまばゆいほどの色彩が残ったのは、周囲の協力あってこそ。
そう考えると常日頃の若冲の人望や人徳、慎み深さや御仏への敬虔の念などが推し量れるというもの。
決してコミュ障の引きこもりなだけではない筈です。
近世における京都在住の文化人・知識人を網羅して集成した人名録「平安人物志」に、円山応挙に続いて絵師ナンバー2と名前が挙がる若冲の「別の面」はこれまでも彼の絵の端々に見ることができましたが、「果蔬涅槃図」「菜蟲譜」などに続く決定版として「果蔬図巻」は位置づけられることでしょう。
9時30分から10時まで許された、人数制限された中での鑑賞はあっという間に終わりを迎えました。
その後はもう絵の前の空間は一切の隙間なく、次々入館する方たちで人がぎっしり。
みんな楽しみにしていた若冲さんの新発見です。
何故描かれたかの理由は記されていても、その理由にあたる人物の詳細は今も解明ならず。ヨーロッパに人知れず渡り、突然脚光を浴びて、こうして京の町へ舞い戻ってきた絹本著色絵巻。
これからも人々に愛されていくことでしょう。
もう一つの注目作「乗興舟」
そして第2展示室の展示作品、当然他にもあります。私が今回福田美術館に来たもう一つの目的が、「乗興舟」との2年半ぶりの再会でした。
乗興舟に対する感想、そして果蔬図巻への追記は次回へ続く!
もし読んでくださった方いらっしゃったら、お疲れ様でした。