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お題小説「バームクーヘンエンド」

 拍手の音を背に受けながらザ・サンシャインラブのメンバーがステージから控室へ戻ってきた。
 ライヴの手応えは誰よりもバンド自身が把握しているものだ。自分たちの力を思う存分発揮できたのなら、たとえ客が誰一人いなくても良いライヴだったと感じる。ザ・サンシャインラブは良い演奏ができたらしい。メンバーのいずれも、達成感に満ちた笑顔を浮かべていた。
 俺が労いの言葉をかけると、ボーカルが「凄かったよ」と汗を散らした。
「ソールドアウトってのは聞いてたけど迫力が違うね」
「それは良かった」
「まあ、みんなお目当ては俺らじゃないわけだけど」
 ボーカルが俺の肩を小突いた。
「頑張れよ、主役」
 ありがとう、と返しはしたが、俺の笑顔は引き攣っていたと思う。
「ナナちゃんは?」
 ザ・サンシャインラブのベースが控室を見渡す。俺の横に座っているヒロムが「フロアだよ」と返した。
「こんなガッツリ客入ってる日なのに? 変わってないんだなあ」
 ボーカルが感心したようにため息を吐いた。
「ライヴの温度を感じたいんだっけ。客が隣にナナちゃんいることに気づいたらビビるだろうな」
「だろうな」
 今日の主役は、大人気だから。
「何年ぶりだ? ナナちゃんが結婚して以来だから」
「三年」
 俺が答えると、ボーカルが「まだこのバンド結成してねえよ」とおどけ、ヒロムが「名前変えただけでしょ。前のバンドとは」といじった。俺も合わせて笑ったふりをした。
 フロア側のドアが開いた。
「お疲れ様!」
 入ってすぐ、ナナがボーカルに飛びついた。そのまま、他のメンバーへハグをしていく。
「最高だった! かっこよかったよ、サンシャイン・ラブ!」
 ナナは汗を拭いて、シャツの上に革ジャンを羽織る。三年前まで着ていたのと同じステージ衣装だ。今日、これを持ってきた時、俺は「ちゃんと手入れしてるんだな」と言った。普段のお洒落で着ていたのだと返された。この革ジャンを着ていれば、髪色が黒なこと以外は三年前までと何も変わらないはずだが、俺にはそうは見えなかった。
「負けてられないね! ユウト! ヒロム!」
 ヒロムが太い声で「おう」と応じた。俺は何も言わずに頷いた。
 対バンが良い演奏をした後のこの掛け声も、あの頃と同じなはずだった。「わたしたちには音楽しかないんだからさ」と酒を酌み交わし、半分はレジェンドロックバンドの真似で、メンバー全員で同じ部屋に住んでいたあの頃と。
 フロアで流れるSEが停められた。代わりにビートルズの「ミスター・ムーンライト」が流れる。俺たちの入場曲だ。
 ライヴハウスの切り替えの際、サウンドチェックはしないということを信条としていた。ナナが言い出したことだ。一度お客さんの前で姿を現わして、ベロベロ弾いて、袖に戻って再入場なんてカッコ悪いよね、と。俺たちのステージ転換は、ライヴハウスのスタッフの作業だけで終わる。
 パイプ椅子から腰をあげたところで、フロアの方からコールが聞こえた。最初はばらばらだった叫び声が、段々と「グルーヴィン!」と俺たちのバンド名へまとまっていく。
「参ったな。三年前も、こんな歓迎なかったんじゃないか」
 ヒロムがドラムスティックで頭を掻く仕草をした。
「燃えるじゃん」
 ナナは動じた様子を何一つ見せず、ギターのストラップを体に回した。
「レッツゴー! グルーヴィン!」
 ナナの叫び声が、フロアまで届いたらしい。歓声があがった。ナナはその中へ、スキップをしながら飛び込んでいく。ヒロムが続いた。俺も進んだ。ベースがやたらと重く感じられた。
 ステージに上がる。照明で目が焼けても、目の前に見たことのない景色が広がっていることは分かった。きらきらした瞳がびっしりとフロアを埋めていて、それが全てナナに注がれている。この三年間で、youtubeに放牧されていたMVが再生されて育った輝きだ。伝説のバンド、伝説のギターボーカルがやってきたぞ。伝説じゃないベーシストとドラマーは、三年間ずっとステージにいたのだが、まあ、誰も知らないだろう。
 ナナが弦を鳴らした。
 途端――喧しかった歓声が水を打ったように止んだ。
 俺まで息を呑んでいた。ピックを挟む細い指に目線が吸い寄せられる。
「ヒロム! ゴー!」
 ナナの合図に合わせて始まったドラムの轟音が背中を叩く。脊髄を直接殴りつけられているような衝撃を浴びながら、俺も自分の弦を揺らす。指は思いのほか滑らかに動いた。ドラムとベース、二つの太い音が空間に放射され、そこにナナのギターが泳ぎに飛び込む。瞬間に、体感温度が変わるのが分かった。ナナが歌い始めると、空気の色まで華やいだ。
 嗚呼、畜生、俺たちはやっぱり最高のバンドだ。
 変わっていてほしかったのだ、ということに今更ながら気づく。三年前にナナが「結婚する」と言って、俺もヒロムも会ったことがない奴のところに行ったことによって、ナナの声が駄目になっているとか、リズムに乗らなくなっているとか、そういうことがあってほしかった。でも、そんなことはない。ステージの上ではナナはナナのままだった。音楽に選ばれたロックスターが俺の隣にいる。今、この瞬間は。
 スピーカーの上に足をのせ、乗り出すように演奏をすると客も前のめりになって、俺へと手を伸ばす。ヒロムがテンポを変えれば、ハコが丸ごとうねり出す。ナナのいない三年間には一切なかった反応だ。
「みんな待たせて、ごめんね」
 曲間のMCでナナが語り出した。
「ステージから降りて普通の女の子になろうとしたんだけど無理だった」
 俺たちの世代から大きくずれたギャグだと思うが、客には受けた。
「やっぱりわたしには音楽……」
 ナナが少し間を空けて、俺へと目配せをした。俺の胸のどこかが一瞬跳ねた。だが、すぐに力なく落ちた。
「わたしは音楽から離れられないってことが分かったから!」
 ナナの視線の先がフロアの奥へと移っている。目で追って、後悔をした。興奮する客たちから一歩離れ、幼児を守るように抱えて立っている男がいた。結婚式で見て以来の顔だった。
 俺は俯いて次の曲のイントロを弾き始めた。すぐにヒロムもナナも音を重ね、最高の演奏がスタートする。ハコの中にいる誰もが音に乗って、熱狂していた。俺の指だけが冷えていた。
 最後の曲が終わった時、俺はフロアの奥へ向けてピックを投げた。届かずに途中で落ちた。誰か拾ってくれ、と願いながらステージを降りた。
 今日のライヴの出来栄えは、俺の表情を見ても分からないだろうな、とだけ思った。

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