新駅開業。田舎にできる御厨駅とその記憶
中学生の頃だった。当時通う中学校の真横にはJRが走っていて、周辺には大手メーカーの工場が立ち並ぶような場所だ。そこに新しい駅ができるという噂が流れた。おそらくその前から建設される計画はあったのだと予想されるが、具体的に新駅開業にむけた準備が始まったのが、おそらくその頃だったのだろう。
そこから約30年が経ち、ついに来月その噂が形になるときが来た。JR磐田駅と袋井駅の中間に「御厨(みくりや)」という新駅が開業する。
建設が開始され、そこを通過するときには、徐々にできあがっていくその駅の様子を眺めたり、実家に帰省したときには、車で周辺の区画整理の様子を観察しに行ったりすることが楽しみだった。
新駅の北側には、YAMAHAやNTTの工場が立ち並ぶ。15分ほど歩くと、ジュビロ磐田のスタジアムがある。子供の頃森林だった場所には今や新興住宅地が広がる。
祖父が生前言っていた。昔その辺りに土地を持っていたそうだ。その頃は使い勝手もない荒地だったので資産価値は無いと思い、営業を受けていた住宅メーカーにその土地は売ったそうだ。しかしその後になって、その周辺が一気に開拓された。そうなる情報を祖父は聞いていなかったため、非常に悔やんだらしい。「してやられた」と。今となってはどうすることもできない。
新駅の南側が、私が子供の頃によく利用していた地域だ。通っていた中学校があり、中学校の周りを森が囲んでいる。森の中には神社や公園がある。思い出が残る場所だ。ボーイスカウトのキャンプは、この公園にテントを張って、飯盒を炊いた。森は夜になると真っ暗で、痴漢が出ると噂された。ここでやる肝試しは本当に怖かった。
中学校のヤンキーの溜まり場はだいたいこの神社周辺か森の中だった。体育教師が見回りにくる隙をみてタバコをふかしたりして遊んだ。
南側エリアは茶畑や田んぼが広がるのどかな地域だ。まさにただのド田舎だった。その茶畑が開拓され、友人の自宅周辺も区画整理されて、今後は新興住宅地になっていくそうだ。通っていた学習塾や駄菓子屋、文房具屋もそこにあったが、すでに区画整理の影響で営業をしていない。
30年経って見える景色は随分変わってしまうが、30年前の思い出は確かにそこにある。その思い出も、あと30年もしたら私の記憶からもなくなってしまうのだろうか。google mapの航空写真でその辺りを眺めると、茶畑だったところは住宅用地として長方形に切り取られている。あぜ道だったところは、まっすぐな舗装路が引かれている。村が町になっていく。
「御厨」とは、「神の台所」という意味らしい。この地域は昔から御厨地区と言われており、その歴史ある名称が、駅名につけられた。新駅の横には、今でも古墳が横たわっている。敷かれた線路によってその形状はいびつではあるが、確かにそこには「御厨古墳群」として故人の墓が存在する。
景色が変わり、記憶が薄れていっても、そこにあった大切なものは存在し続け、代々後世に伝わっていくのだろう。
ボーイスカウトのキャンプの途中にみんなで抜け出して、近くのコンビニで卑猥な本を買って読んだ記憶は、今だに全くかすれることはないのだが。