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たこ、学校を脱走するの話

たこの限界発信

長男たこは、5年の終わりから不登校・不安定登校である。

たこは、小学校6年時、学校を2回脱走している。

1回目は6年生の春。
たこが、「学校には行きたくない!」「おれは休みたい!」
強く主張していた頃だった。
当時、たこは『おれは学校に軟禁されているんだ』と言った。

今となって思えば、休ませてやれば良かった。
しかし、両親には仕事があった。
両親ともが、自分の居住区から車、電車で30分以上かかる場所で働いている。通勤・勤務時間少なく見積もって仕事には10時間かかった。
たこ一人、家に置いておくよりは、学校がベターではないかと考えていた。

そして、昼食問題もあった。給食食べなかったら、何を食べる?朝に母が昼食を作り置く余裕など全く無かった。レトルト食品、カップラーメン、そんなものを食べるくらいなら、学校へ行け。あなたは成長期だ。栄養取れ。そう思っていた。

更には、妹たちへの格好もつかなかった。妹のぴこも、ちぃも、兄が学校へ行かないとなれば、「私も休むー!!」と言い出す雰囲気がぷんぷんしていた。毎朝両親は、兄妹ひとりひとりの地雷を踏まないよう、誰も「今日休む」と言い出すことの無いよう、細心の注意を払い、ポジティブを装い、親の意志!という大きな波に3人を巻き込んで、なんとか登校させていたのだ。

その頃たこは、別室で過ごすことが許可され始めていた。校長先生が設けた『別室登校』で使われる会議室には、ルールがあった。
【別室から、いつか必ず、教室に戻ること】
たこは、「教室での授業が嫌だ」と訴えていたが、たこ自身に、学習進度に遅れがある、とか、友だち・先生とトラブルがある、など、目に見えた明確な理由が無かった。

教員も、親も、たこは何が嫌なのか?と首をひねっていた。
結果、「たこは、ちょっと授業をサボりたいのではないか?」
という誤審をしていた。

たこは、時間制限付き(1日のうち、1時間程度)で別室で過ごすことを赦されていた。

たこ、脱走する

別室の時間を使い切り、別室の先生が「教室に戻りなさい」とたこに言った。
「はい。」
たこは素直に返事をして、一階にある別室から、自分の教室がある3階に登っていく。
たこが教室に辿り着いたとき、教室には誰も居なかった。
6年生は、音楽の授業で、担任も含め、音楽室に居たのだった。
校舎の北棟。教室があるのは南棟。真ん中に階段がある校舎の作りになっており、クラスメイトに会わない動線が、たこの頭に瞬時によぎる。

ランドセルを無造作につかみ、たこは階段を駆け下りた。
ホールを抜けて、昇降口へ。
根が真面目なたこだ。心臓は、相当高鳴っていたに違いない。
靴を履いて、校門まで走った。
小学校には出入口が3つある。主に車使用者を受け入れる正門、職員室・保健室の窓の前を通る西門、そして、グラウンドと飼育小屋を通る東門だ。

たこは、東門を選んだ。家から登校で使用するのは西門だった。東門を使えば、距離にして数百メートル、家までロスになる。しかし、人目のつかない東門をたこは選んだ。

たこは、学校を抜け出した後も、正規の通学ルートは通らなかったようだ。裏道や畑の中を歩き、相当遠回りして帰った、と言った。

そのころ学校では、たこが校舎に居ない!と大騒ぎになっていた。
別室の先生は「たこは教室に居ると思った。」
担任は、「たこには会っていない。別室に居ると思った。」
手の空いている先生が、全員校舎を探し回った。
保健室の先生が電話番となり、校長先生が自転車で飛び出し、数人の先生が学校の近隣を捜索した。同時に親へも連絡が入った。

我が家には電話がない。比較的融通の利く夫が、アレクサアプリで放課後の子どもたちと連絡を取り合っていた。
小学校から連絡を受けて、夫はすぐ、ケータイから、リビングのアレクサを鳴らした。
「はい・・・。」
たこが出た。
家に居ましたー!!夫が学校に連絡を入れ、校長先生がそれを受けて、自転車で我が家へ直行した。

校長先生が我が家の玄関をノックすると、気まずそうにうつむいたたこが出てきたそうだ。
「出てきてくれて良かった。本当に無事で良かった。」
校長先生はそれだけ伝えて、学校へ戻った。

母は夫から事情を聞き、混乱していた。とても混乱していた。
学校を脱走するなんて。どれほど先生に迷惑をかけているのか分かっているのか?軽率すぎる。悪いことだって分かっていたはずだろう。なんで。どうして。

母は、たこと話をする必要がある、と強く感じていた。なるべく冷静に。たこの思いを聞こう。深呼吸して、たこと膝をつき合わせた。

母:「どうして脱走した?」
たこ:「(学校が)嫌だったから。」
母:「どれだけみんなが心配したか。どれほどの迷惑をかけたか、分かってる?“心配かけて、ごめんなさい”だよ。」
たこ:「・・・・。」

たこは黙って、眉間にシワを寄せた。納得がいっていない時の顔だ。
母:「ねぇ!!ごめんなさいだよ!!」
お前がしたことはどれほどの事か判っているのか?
母は、たこが“事の重大さ”を理解しているのか測っていた。
そして焦っていた。どうして“ごめんなさい”を言わない?

たこがぽつりと言った。
「学校が困る。と思う。」
それっきりたこは俯いて黙ってしまった。

え?何?「学校が困る?」どういう事?
先生に「心配かけて、ごめんなさい。」「迷惑かけて、ごめんなさい。」じゃないの?学校が困るって何?人に対して謝まるんじゃなくて?
訳わかんない。サイコパスなの???

母はしばらくたこのことが理解できなかった。
とてつもなく混乱していた。
戦友(不登校を一緒に戦っているママ友)にそのことを話した。

戦友は、いつも母の視野では捉え切れない視点で話をしてくれる。
戦友は言った。
「“学校が困る”って本質突いてるな、と思ったよ。」
どうゆうことかと話を聞くと、
結局、たこが脱走したことで、学校の責任問題が問われる。たこはそこを突いているのではないか、という事だった。

母は、改めてたこに話をする。
母:「学校が困るってさぁ、学校が、児童の安全管理ができないことで、責任を問われるから、困るっていうこと?」
たこが頷く。
はぁ。。。母からため息が漏れる。

たこ「先生には、“ありがとう”だと思う。心配してくれて。」
たこは、言葉数が少ないながらも、思っていることを話だした。

たこが脱走した。そのことで、学校の責任が問われる。そしたら、学校が罰を受けるかもしれない。先生の評価が下がって、お給料が下がって、先生は生活に困るかもしれない。それは、ごめんなさいと思う。
そんな中で、自分の心配をしてくれたのだとしたら、先生には「ありがとう」だと思う。

という事だった。

母は絶句した。言葉もなかった。
大人の保身を見抜いていたの?世間体の先の。
たこの話を聞くまで、母はそこまで考えが及んでいなかった。
先生にどれほど、心配かけたか。どんだけ迷惑かけたか。その思いだけしかなかった。

母は考えた。自分が教師だとして。児童が脱走したら、まず、「やっべ~。。。」と思うだろうな、と。

たこは、そこまで考えられる知性をもってしても、脱走した。

お迎えを頼んでくれれば…。言いかけて口をつぐんだ。
果たして迎えに行けただろうか。
職場に「息子が帰りたいって言ってるんで」と休みを申請できただろうか。できなかったはずだ。
たこは、それも十分に分かっていたんだ。
たこにとって、やむを得ないことだったんだ。

話をしなければならないと思った。たこが抱えている学校が軟禁であるというたこの中の真実を、しっかり理解しなければならないと思った。

2回目の脱走

たこが2回目に脱走したのは、修学旅行の前日だった。

今度は、ランドセルは教室に置きっぱなし。家の鍵だけランドセルから外し、20分休みの全校生徒の雑多に紛れて抜け出した。

担任は教室にランドセルがあることで、たこの脱走など、思いもよらぬことだった。

たこの脱走は、一人の同級生のリークによって発覚する。
「たこが門から出ていくのを見た。」と。

ランドセルがあるのに?!先生たちは半信半疑、昇降口の靴を確認する。下駄箱にはたこの上履きが残されていた。

すぐさま母の職場に連絡が入る。母はすぐに駆け付けられる状況に無かった。夫にかけても話し中。仕事が忙しく学校からの連絡も受けられてはいなかった。母は、戦友に電話をした。
「たこがまた脱走したかもしれない。家に居るか、確認をお願いできないだろうか」と。

戦友が我が家に駆け付けると、校長先生が我が家の玄関先に立っていた。
「たこを確認しました。」と校長先生は戦友に言った。

戦友から
「たこちゃん、家に居たよー!校長先生に会ったよ!」とラインをもらった。戦友は続けて、
「校長先生、すごく心配してた。でも怒ってなかった。校長先生が言ってたよ。
『無事でよかったです。これが、学校現場の現実です。』って。」とラインをくれた。
教育現場の大変さを想像する。“大変”という日本語では収まり切らないのではないか、と思う。

母は、校長先生に対して、担任の先生に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。またたこにやらせてしまった
たこが、パニックを起こし、衝動的に脱走したとは考えにくかった。たこは分かっている。全て。たこにとって苦渋の決断だったことは、想像に難くない。

親が、たこの思いをきちんと聞けていない状態だった為に、学校に手間を取らせてしまった。
母は、たこ1回目の脱走から、学校とはマメに連絡を取り合い、たこの状況を学校と共有していたつもりだった。
そして、母の思いを汲んで、学校としても、最大限、たこに寄り添うスタンスでいて下さっていた。
「こんなに(学校側に)良くしてもらって、それでも裏切ることをする。学校側にこれ以上迷惑かけるくらいなら、学校を休ませた方がマシだ。」
母は半ばそう思っていた。

夫に事情を説明すると、夫はたこと話をするべく、仕事を早退した。
たこは、図太くも、放課後帰宅した友だちの家でゲームをしていた。

夫はたこを友だちの家から半強制的に回収し、「けじめをつけよう。」と言い、車で学校に向かった。

学校に着くと、夫とたこは会議室に通された。
校長先生、担任、学年主任とテーブルを挟んで対峙した。
たこはうなだれていた。
「どうして脱走した?」
静かな尋問の時間が流れる。夫も先生と同じ疑問を持っていた。

夫は、ピリつく空気の中、親として“たこに謝らせなければ”と思った、と言う。たこの頭を押さえつけて、たこのおでこを机に擦り付ける想像をしたそうだ。しかし、夫はわかっていた。そんなことをしても、たこが貝に閉じこもるだけだ、と。

結果、大人4人に取り囲まれ、詰められたたこは、黙って下を向くことしかできなかった。
たこは結局、謝らなかった。

夫と校長先生が、席を外し、二人で話すことになった。
校長先生から夫が言われたことは、
「明日の修学旅行、是非たこくんには来てほしいと思っています。ただ、修学旅行先で、このような事態になったら、私は警察に捜索を協力してもらうしか手がなくなります。そしたら、たこくんが修学旅行を続けることはできないと思います。申し訳ありませんが、すぐに迎えに来てください。」
夫は、深々と頭を下げた。

たこは、沈黙を貫き、翌日修学旅行に参加した。
「行きたくない」とたこは言ったが、母が承諾できなかった。
「一生に一度の絶対に思い出になることだから。行って後悔して。」
母と夫は、翌朝6:50に学校へ出向き、たこの出発を見送った。

後記:
たこは修学旅行を大変に楽しんだ様子で帰ってきた。
そして、写真販売の業者の写真には、たこが沢山写っていた。
母は内心、カメラマンも巻き込んで、たこはマークされていたのではないか、と思っている。

自分への教訓

  • 子どもの気持ちをしっかり聞くこと。

  • お互いが譲歩できる条件で、約束をすること。

学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。