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育児と動物のしつけについて
【移住した頃の話】
長男たこは中学1年生。今年の5月まで正式な不登校をしていた。しかも明るいやつじゃなくて、割と精神漆黒系の不登校だった。(母の主観強め)
妹たちももれなく不登校で、家で身悶える日々を過ごしていたのだが、母親である私がバーンアウトしたことをキッカケに、
「皆の者!!自然の中で暮らすぞ!!」と竜巻のように関東の家を引き上げて、私の実家である島に移住した。
島の人間は、心は清いが口が悪い。都会育ち(?)の我が子達には、私の親族の叱咤&叱咤&叱咤&時々僅かな激励が、カルチャーショックだったに違いなかった。
朝、登校をグズつこうもんなら、じいちゃんからヤジが飛ぶ。
「学校は行くもんじゃー!!フガフガ言うとる暇があんなら準備せえ!!おらぁ!立たんかい!!」と家庭内の治安も空気もとてもピリついた感じになった。
子どもたちは骨折した心が、粉砕骨折になる前に、涙ながらに登校した。
私はこの状況が良いのかどうか、どえらい混乱した。
こう見えても、不登校についてめちゃくちゃ勉強したし、理解しようとしたし、子どもが心身壊すくらいなら学校なんて行かなくていい、という所まで自分を高めて(?)いた。
子どもの涙を見ると、「もうやめてあげて!」と言いたい気持ちも喉まで込み上げた。この状況で子どもの代弁者になれるのは母である私だけだ!と。けれど、言葉を飲み込んだ。子どもをかばいすぎて、私自身が壊れた過去が確かにあった。
我が子達は大丈夫!選択できる。
じいちゃんの怒号を押し切って自分を守るために学校を休むか。
新しい環境である転校先の学校へ行く挑戦をするのか。
【子どもと動物の話】
子どもたちは結局学校へ行く選択をした。しかも毎日学校へ行った。じいちゃんが「おはよう!!」と玄関に登場するだけで学校に行った。
子どもは動物に近いなんて言われるけれど、昔飼っていた犬を思い出した。
犬の名前はチェリー。私が散歩につれていき、浜辺でリードを外すと、全速力で走って、名前を呼んだら振り向くけど帰ってこない。私が追いかけるとある程度こちらを見て待っていてくれるけれど、もうリードに繋ぐぞってすんでの所でまた全速力で走って逃げたチェリー。
私のお父さんである、じいちゃんが浜に現れて、「チェリー!」と呼ぶと、めっちゃ言う事聞いてどんなに遠くからでも走ってじいちゃんのもとへ戻ってきた。そして私がリードを首輪に繋ぐ間も、じいちゃんの前では全く抵抗なくハァハァ舌を出して顎を撫でられていた。チェリー、この野郎。。
私の声が聞こえていたくせに。私を待つ素振りでその気にさせて。日々散歩に連れてきてやったし、めっちゃ仲良くやってきたのに嘲笑うように逃げやがって。そんでじいちゃんの前でばっかり忠犬アピールかい!!
子どもと動物は違う!と私はずっと思ってきた。
話し合えば分かり合える。きちんと話して、思いをすり合わせて、あわよくば子どもが学校に行く選択を自ら出来れば良い。私個人の思いはすごく学校に行ってほしいんだけども。とずっと思ってきた。
けれど、この朝の登校刺激は、子どもに一言の言葉も発しさせなかった。子どもたちは本能的に動物として動いているようだった。
一心不乱に餌を食べている猿が、ボスザル登場であっさり餌場をあけ渡すような。私はそんな感覚で我が子達を見ていた。
【言うことを聞く子】
昔みたTVを思い出す。
番組名は忘れてしまった。地方の水族館のイルカの話だった。そのイルカは、調教師の言うことを全く聞かなかった。調教師の指示をガン無視して泳ぎ回っていた。
調教師はのちに取材に応えていて、「いつか、わかってくれる時がくればいいな、と思って見守っているんです。」とすこし忍びなさそうに、おだやかにコメントしていた。テロップの文字も『いつか分かってくれる』を強調していた。
視聴者やコメンテーターはその様子に笑っていた。
当時私は、幼少期のたこを育てていた。全くこのイルカ同様、言うことを聞かずに自由に動き回っていたたこ。私がこの番組を見たときの衝撃を、今でも忘れられないのは、調教師と自分を重ねていたからだ。
”親の躾がなってない。””躾ればいい子にできるものを親が責任放棄している”そんな世間の声を聞いているような気持ちになった。(実際誰もそんなことは言っていないのだが、私が勝手にそう思ったのだ。)
時をしばらくして、別の番組で、具志堅用高さんの愛犬グスマンの話を目にする。グスマンも全く具志堅さんの言う事を聞かずに、自由に楽しそうにハシャギまくっていた。決められたレースのコースをガン無視して走るグスマン。
その様子にまた笑いが起こる。誰かが「バカ犬だー!」と言って、再び笑いが起こる。
あのイルカの調教師を見た時と同じざわつきを私は感じてしまう。もうたこは成長して小学校高学年になり、不登校になっていた。
言うことを聞く子って、良い子だ。ちゃんと躾けられてる。場をわきまえて、考えているように見える。賢そうに見えるし、そう育てた親も立派な人に見える。
私はやっぱり、駄目な親だなぁと思う。躾ができていないのかな、私の思いや声は、なかなか子どもたちに届いているように思えない。
【子育てのテーマ】
言う事聞いてほしいって思う。いい子になってくれって思う。
けれど子どもたちは言うことを聞かずに、間違えるし、自信をなくしたりしている。
例えば、早く寝ろって言っても寝ないで、朝機嫌悪くて学校に行き渋るとか。勉強しようって言っても勉強しないで、点数とれなくて自信なくす、とか。
私が何度言っても、なかなか子どもに入っていかない。じいちゃんの話はすぐに入るのに。これは、私に威厳がないからかな、とか、穏やかに話していたら分からないのかな?という疑問になる。
怖いから動くって、動機として良いの?と思う。
でも実際に子どもは大声を出したり、覇気を使ったりすると動くことが多い。
私は、『自分で考えて動ける子になってほしい』とずっと願っている。
それは、私自身が『自分で考えて動くこと』にコンプレックスを持っているからだ。自分で考えられるようになったのは、25歳を超えてからな気がする。動けるようになったのも35歳を超えてからだ。色んなことに自信がなく判断ができない自分。子どもが生まれて尚更『自分はどうしたいのか』分からないまま生きてきた。
それは、私自身が、割と従順に親や誰かの言うことを聞いて、勉強もしたし、就職もしたし、結婚もしたし、流れに上手く乗っていたからだと思う。はたから見れば順風満帆な私の人生だが、私にはいつも自信がない。
”無理やり”を強いて来なかった我が子達は?と思って様子を見てみると、おやおやどうした自信がないのだ。自分で決めて不登校になったくせに、打ちひしがれている。
そして、今移住して、じいちゃんたちに叱咤激励されて登校しだして、少し自信を得たような感触を表情から感じられる。
親が子どもに『自分で考えて歩んでいけ!』っていうのもまた、この広い世界で酷なことなのかもしれない。と最近思う。
ある程度、こっちが道だぞ!って示すこともまた、必要なんだなぁと思う。
あー、子育てって激むず!!!
【自分への教訓】
・支配的であるべきではないけど、必要な強要もあるのかな、と思う。
・見守る、信じるだけでは、育たない部分もあるのかもしれない。
・いろんな考えの人が居て、子どもは震えたり、頑張ったり、安心したりできるから、「ま、いっか」って話。
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