子どもに”甘い”とは?
長男たこ、長女ぴこ、次女ちぃは激しい暗黒の不登校を2年余り、今年の5月までやっていた。
そして今日、久しぶりの本気の行き渋りがあった。次女のちぃが、校門の前で座り込んだ。6月に移住して、2学期も半ばに差し掛かった10月中旬の出来事だった。
【パパの帰省】
私の祖母の3回忌が行われるにあたり、10月の連休に、関東で仕事をしている夫が帰省した。
6月に島に移住してからというもの、親戚のおばちゃんや、実家の私の両親には、特に子どもたちの登校に関して、大変にお世話になっており、私は一緒に子育てをしてもらっている心強さで、安心して仕事に行けていた。
前日に法事も終わり、平日のその日は夫が昼の船で関東に戻るということで、子どもたちの登校を見送ってもらえることになっていた。
母子で先んじて移住していたので、夫に、子どもたちが日々頑張っている姿を見せられることが私としては嬉しかった。移住前は、それはもう激しい行き渋りと、2年以上の不登校をこじらせていたのだ。
「パパに頑張ってるよって、見せてあげようね!パパも頑張ってねって送り出そうね。」と子どもたちと話していた。
長男たこは中学が遠いこともあり、早々に登校した。相変わらず「行ってっきます」の声が小さい。夫と、思春期やねぇ。。とほのぼの見送った。
長女ぴこと、次女のちぃは、小学校が家のすぐ近くということもあり、のんびり登校する。夫が、「近いし校門まで見送るよ。」と二人を連れて家を出た。
徒歩2分で往復できる通学路なのに、なかなか夫が帰って来ない。母は出勤のついでに見ていこうと学校側に車を回した。すると、次女のちぃが、夫の説得を受けながら校門の前に座り込み、ストライキを起こしていた。
私は車の窓越しに、「どうしたの?パパ、ちぃは大丈夫だよ!いつも頑張ってるんだよ!ちぃ、ママ行ってくるから。今日も学校楽しんでね。」と声をかけた。ちぃは私の顔をみて、困ったような笑顔を向けた。あ、甘えてるプレイだな、とちぃの顔を見て思った。(学校)行きなさい!と眉間にシワを寄せてちぃを見て、これくらいなら大丈夫だろう、と思い出勤した。
【実家からの連絡】
仕事が終わると、実家からラインが入っていた。
「パパはホントに甘い!バカ親父だ!!」とじいちゃんの怒り心頭なラインだった。ばあちゃんからは、「ちぃとよく話をしてください。」とラインが入っていた。
何事かと家に帰り、ちぃに話を聞く。
結論、「パパと一緒にいたくて、学校行かないって言った。」ということだった。来月のちぃの誕生日にパパに居てほしかったが、明確な返答をもらえず、ごねた、という話だった。
更にぴこに話を聞くと、校門をくぐらないちぃを見兼ねて、ぴこが近所に住む親戚のおばちゃんを呼びに行ったそうだ。
おばちゃんが説得しても、先生が説得しても、パパが説得してもちぃは動かず、
「パパはお昼に船に乗るから、11時くらいまでちぃと一緒に過ごすって約束したんだって。」とぴこが言った。ぴこは途中で校長先生に教室に連れて行かれてちぃのことはわからない、と言った。
私は夫はちぃに付き添い登校をしたのだと思っていた。
実家に電話をすると、じいちゃんが怒っており、ばあちゃんが呆れていた。「パパの意味がわからん!11時まで一緒に過ごそうかって、ちぃと家におったんだぞ!ふざけるなだろ!!せっかくここまで来て、学校行くようになったのんに、パパのせいで子どもが甘えて学校行かんなるんなら、もうさっさと(関東へ)帰れっつんだ!子を甘やかしてのさばらして!そんな父親おらんほうが良いわ!!」
なんで夫は家にちぃを連れて帰る選択をしたのか、とても気になった。家に子どもを置いて、良いことなんてなかったって精神えぐられる経験をしていただろう。学校に行けて、社会と繋げれて良かったね、って喜んでいたはずなのに。
夫に電話をした。船から新幹線も乗り終えている頃だった。夫は路線電車の駅のホームで電話に出てくれた。テレビ電話の表情に疲れが見えた。
【夫の話】
「今朝のことは、あまりよく覚えていない」と第一声に言うほど、夫はぐったりしていた。
1時間半くらい、校門のところで、先生2人と親戚のおばちゃんとちぃの登校を説得したんだと言った。けれど頑なに動かないちぃに、おばちゃんが、「もう帰らんか!先生に迷惑だ!」と啖呵を切ったようだった。夫は一旦引き下がってクールダウンさせるのが正解なのだと判断した、とのことだった。
そこで、家でちぃと、TVやYouTubeは見ないで宿題しようね、と話していたところへ、親戚のおばちゃんから連絡を受けた私の実家の両親、じいちゃんとばあちゃんが家に来た、とうことだった。
ここからはじいちゃんから聞いた話になるが、じいちゃんは「甘ったれんな!!」とちぃを抱えあげて、学校まで連れて行ったという。ちぃは泣いたが、校門のあたりでは「降ろせ!」とじいちゃんを叩いて笑っていたと言った。
そしてじいちゃんは、夫に一喝したと言った。何を言われたのか、夫は私には言わないが、容易に想像できる。夫はえぐられたに違いなかった。
夫は電話で言った。
「俺は、子どもを甘やかしてしまうみたいだよ。子どもの意見なんて聞かないで、力でねじ伏せるのが父親なら、俺にはできない。俺が判断ができない事が甘いって言うなら、子どもを駄目にするなら、俺に何ができるのかわからないよ。」
【子どもたちへの確認】
夫が抱えるこの不条理と、不甲斐なさと、悔しさには私にも身に覚えがあった。同じ感情を、子育て全般を通して、世代間ギャップ、カルチャーギャップとして感じていた。
私は子どもたちをダイニングに集めて話をした。
子どもたちにまず確認する。「パパは、あなたたちに甘いかい?」
子どもたちは「うん、まぁ。。」と首をひねる。
甘いっていうのは、優しいっていう表現で今は使っていない。子どもがパパを格下に見て、パパならチョロいって思っているのかって聞いているんだよ。と問い直すと、子どもたちは首を横に振った。
じいちゃんやおばちゃんは、「パパは甘い!」って言う。けど、君たちはパパの優しさに沢山救われて今までやってこれたんじゃないのかい?パパが子どもの話も真剣に聞いてくれる人だから、今のあなた達が居るんでしょう?
子どもたちは真剣に頷く。
大人はみんな、子どもの成長を応援してる。分かるね?と聞くと、更に頷く子どもたち。
じいちゃんも、パパも、君たちを応援しているのは伝わってる?と聞くと、
「うん。方向性の違いでしょ。」とたこが言う。
そう。
『正解』と言われる道を無理やりでも進ませて、たとえ自分が嫌われてでも、子どもが最終的に幸せになれば良いと考えて「こうしろ!!」というじいちゃん。
子どもが自分で『正解』と思える道を発見して進むことを応援して、回り道をしたり失敗するリスクを一緒に背負おうとしているのがパパだ。
私はきっとその真ん中のポジションに居る。だから、どっちの気持ちも分かる。
子どもたちは、ここまでの話を聞いて、「自分で選んで決めるほうがいい。」と言った。
それならば、と私は話を続ける。
「自分で自分を律しなきゃいけない。見張られて、命令されて動くのは嫌でしょ?周りに何もうるさいこと言う人がいなければ、ダラケていいの?違うでしょ?コイツは余裕だ、って人を軽く見て自分は楽をしたり勝手なことしたりするの?それでいいの?」
ちぃは目にいっぱい涙を溜めている。
「パパもママも、自分で考えられる子になってほしいと思って、沢山の言葉を飲み込んで、あなた達を見守ってる。言われないからいいやっって、サボって良いの?今、何をするべきか、自分はどう動くべきか、あなた達ならもう考えて動けるはずだよ。違う?」
「ごめんなさーい!!」とちぃから涙が溢れる。「ちぃ、ホントは学校行くのが正しいって分かってた。けど、パパなら怒らないから良いやって、お家に居れるかもって思って、わざとやっちゃったーーー!!」
わーっとちぃが突っ伏して泣いている。
「パパはね、自分が防波堤になって、周りからいっぱい辛いこと言われても、あなた達を守ってるんだよ。あなた達を信じて、いつもあなたたちの気持ちを聞いて、助けようとしてくれてるんだよ。そんなパパを裏切るようなこと二度としちゃいけない。分かったね。」
子どもたちは分かった。と神妙な面持ちで頷いていた。
【総評として】
親族は、特に私の両親世代、じいちゃんたちは、イメージいやすい言葉でいうところの、昭和の価値観を持っている。
そして、その子育てにも良さはあって、悩まず「こうと決めたらこう!!」という明確さが、子どもには分かりやすい。
でも、誤解しちゃいけないのは、「子どもは親の言う子を黙って聞いとれば良いんだ!!」という支配的なのとは少し違う。
「こうしたほうが困らんし、良い確率が高いから言うこと聞け!」というニュアンスが強い。だから、私も傷つきながらも、じいちゃんの言い分にも一家言あるのではないかと耳を傾けてきた。
けれど、心理学やら、育児やら教育やらを勉強すればするほど、子どもを一人格と捉え、思いを汲み取るのが正解だという考えを強くする。
分野の全然違う仕事をしている夫が、自然に子どもを対等に見て、話をすることができる姿勢は、昔からすごいな、と思うし見習うべきところだ。
悩むことは多いし、ブレブレに見える私達夫婦の子育ては、きっとその時の状況や、子どもの気持ちや、移りゆくものに柔軟に合わせて対応しているがために、『甘い!』とか、『筋通せ!』とか言われてしまう。
私の推しの養老孟司さんが、「こうすればこうなるなんてものは、自然界にはない。いつもどうなるかわらない」と話す。子どもだって、自然の一部だ。日々変われば、こちらも変わる。それが自然だ。
私達夫婦の子育てはきっと大丈夫だ。正解なんてないし、日々変わりゆく中で、考えて、ちゃんと悩んでる。子どもたちは、ちゃんと成長している。と思う。たぶん。
ただ、おばちゃんの言葉がリフレインする。
「子どもらは足元見とるんだよ!親が怒らんから調子に乗っとんだ!」と。
そして、ちぃの「パパは怒らないからわざとやっちゃったー!!」という自白。
『子どもにナメられる。』私がすごく嫌いな言い回し。ナメられるってなんやねん、子どもも大人も人をナメてかかっちゃいかんだろ。人として。
ナメられないために虚勢を張るのも違うだろ、と思うし。
けど、ちぃはパパを「ナメとるやないかい!!」という話だ。
ほんとに、子どもは『キレイゴト』で育つもんじゃねぇな、と思う。
【自分への教訓】
・子育てって、正解がないからこそ悩むけど、大人はみんな、子どもたちのことを思っている。
・やり方の違いで相手を評価しない。思いは同じでも、方法が違うこともある。
・心が硬くなるとディスコミュニケーションが生じる。じいちゃんと夫の思いを私が仲介できたら良いのかなぁ。