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ヒーローヒロコさん


ヒロコさんは毎朝、真剣に新聞を読んでいる。

「デジタル版だから同時に読めるよ」と、私にも読めるようにしてくれた。

しかし、私にはその新聞の読み方が分からないのだ。



例えば、昨日9/13の1面には、民主主義を機能させるための政治の監視が必要であることが書かれていたと思う。

その冒頭は、「嫉妬」だった。

何の脈絡か分からない。どうしてこれが1面に来るのか分からない。

一昨日の新聞にも遡ってみたが、「嫉妬」につながる形跡はなかった。

ヒロコさんに聞いてみたら、歴史的な経緯とインタビューを受けられた准教授の近著の内容紹介としてや、と返ってきた。そして、続けてこう言った。

「新聞を読んでも、『そうだ、そうだ』と素直に読めば良くはあるけど、『どうして?』『何で?』という疑問さえ遮るように、『新聞にこう書かれているから』というのは、あまりにも狭小な考えやと私は思う。その人の性格と、経験の浅深や、人との関わり方、もっと言えば人間性の問題なんやわ。これには不思議やけど、年齢も社会的立場も関係ないわ。
人間性の豊かな人は人を小馬鹿にしたり、『分からない』という人のことを悪く言ったり、相手の心を否定したりすることは絶対にしいひんよ。だから、相手の態度や言動、振る舞いから、本質をよく見てごらん。素晴らしい人や素敵な人は世の中にたくさんいはるわ。
私かて、インタビューしてる准教授の近著とは言え、それはそれとして、なぜここから新聞紙面として始まったのかは、はっきり言ってよう分からんわ。自分の中にあるこれまで学んできた情報を引っ張り出してきて脳内処理に時間かけて、自分を説得する読み方しなあかんし大変やん。読み手に気ぃ遣わせるなあ〜。ひゃーははは。私と友ちゃんでこれやったら、他にもようけいはるわ、おんなじように感じてはる人。ははははっ。2面に水を差す存在の大事さも書いてあったわ。ここから始まれば読みやすかったのになあ〜。ひゃーははは」

ヒロコさんは小柄だけど心はデカかった。
私には1面を読むのがやっとだった。ニュースも少ない。毎年同じものを書いてるように思えるのだ。
でもヒロコさんの話を聞いて、何だか安心した。

私はこの新聞を読む時、新聞記者が意図する正解からハズレて読んでるように思えて、私は宗教はしてないけれど、なんかポンコツだという烙印を押されているように思えてしまうのだ。
そして、民主主義のどうこうと書くならば、どうして、支援政党の党首を選ぶ選挙を薦めないのかとずっと思っていたことも伝えた。

「右に同じく〜。友ちゃんポンコツなんかじゃないよ。私はポンコツ中のポンコツやん〜何やったかなあ、そういや、そんなふうなこと言われたこともあったっけか〜けっこうけっこう大いにけっこうコケコッコー🐓♪」

誰に言われたのか知らないが、ヒロコさんは明るかった。憎悪もなかった。人類愛みたいなものがこの人にはある。だから私も笑った。
そして、私みたいに感じている人も、きっと団体の中にもいるってことか。
「触れちゃいけないことは何もない」
ヒロコさんが言ってくれるから、世の中を、ヒロコさんのいる世界を、信じてみたくなる。

ヒロコさんはいつもこんなことを言う。

「あんなあ、苦しい時ってな、『自分だけかな、こんなこと思ってるの』とか、『こんな自分で情けない、死んでしまいたい』とかな、『消し去りたい過去や』とか、思ってしまうのが人の世の常かも知れへんけど、案外みんなおんなじ気持ち持ってたりするもんやで。そんな心を、勇気要るけど、誰かに打ち明けて安心することはたくさんある。
人生でな、失敗なんてないねん。たとえ自分が流されてきたことであっても、後悔してることであっても、自分だけはな、どこかで自分を許さなあかん。それをズルいと思って自分を粗末にしたり、苦しいから誰かに聞いてもらいたいけど話したら、その人との関係や信頼はどうなるって苦しむやろ。
何のために私はその人の近くにいるんやと涙が出るわ。
苦しい時にな、たった一人、自分のことを深く理解して、どんな自分でも受け止めてくれる他人がいたら、どれだけ心強うて、安心して生きていけることか。
励ましてもらう、励まし続けてもらうって、弱いからじゃないで。互いの信頼関係や。それが生まれてきて生きていく苦楽っちゅうもんやで。
話を聞く方かて、話してくれる人の苦悩は、もう一人の自分やと思って深く時間をかけて、口を挟まんと、まずは聞ききっていけば、絶対他人事になんかならへん。一緒に悩むやんか。
一緒に苦楽して、一緒にあーじゃないこーじゃないと解決策探して、正解でなくてもさ、その時その時の最適解を見つけていけば良い。互いの人生にとって、なくてはならない存在なんやで、どっちも」

いつもシビれる。内緒で録音したことがあった。ごめん。盗聴じゃないよ。
それにいつでも聞き返せるやろ。
ヒロコさんの言葉は人間らしいからかなあ、泣けてくるんや。

ありがとう。
普通の感覚のヒロコさんはやっぱりヒーローや。



中学校時代、ヒロコさんの、私たちクラスメイトたちへの心づかいに対して、「マザーテレサやんか」とクリスチャンの男の子から褒め言葉として言われたことを思い出した。彼は教科書に載っている「救世主」の読みを、あえて「メシア」と読むような子だった。

ヒロコさんは即座に、「ありがとう。うちは仏教で日蓮さんやからそれ系の褒め言葉でよろしく」と言ってみんなを悩ませたことを思い出して笑えてきた。その後、精一杯の知恵を絞って「釈迦の母」って何て名前やろうと、スマホがない昭和時代の中学生の私たちは考えるのだが思いつかず。みんな褒めたかったんやで、ヒロコさんを。「ヒロコさん、いつもありがとう」やったんや、クラスメイトのみんなも。


ヒロコさんはどうあってもヒロコさん、子供の頃から「小さな巨人・ヒロコさん」だった。




<写真・文 ©️2024  友>



この小説は、多くがノンフィクションです。
一部調べがつかないもの、著者の主観のものがあるため、その部分をフィクションとします。
実在するヒロコさんをモデルに、10代を20世紀で生き、20代からを21世紀で生きる彼女の人柄と私を含めた取り巻く環境や出来事を書きます。
毎日を生ききることに背中を押してくれた感謝を残したいです。

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