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束縛を捨てたら自由になれると思ったけど、孤独しか残らんかった話:20年目に気付いた真実。

パニック障害、まさかの人生ハードモード

26歳で非正規デザイナーとして働いていたわたし、ある日突然パニック障害を発症。「壮絶」という言葉がぴったりの日々が始まりました。電車に乗るたびに息苦しくなって胸がバクバク。「このまま心臓止まるんじゃない?」って本気で思う。救急車呼びたいけど、それも恥ずかしい。だから各駅停車の電車を1駅ごとに乗り降りして耐え続ける地獄ロード。

そのうち電車そのものが怖くなって、徒歩か自転車じゃないと通勤できなくなりました。でも「助けて」なんて言えない。「迷惑かけちゃうし、弱い自分なんて見せられない」って思い込んでたんです。

頼れる人?そんなのいるわけない。恋人にも友達にも弱音を吐けないから、孤独に病院を渡り歩く“ドクターショッピング”を始めました。でもどの病院でもピンとくる先生はいなくて、「次こそは!」と期待しては失望する繰り返し。

エステ?いやいや心療内科です

そんなある日、通っていたクリニックの日曜診療に心療内科ができると聞き、紹介状を手に行ってみることに。そこで出会ったのが、さらさらヘアに透き通る肌、優しい声のフェミニン男子ドクター。「ここ、本当に心療内科?エステじゃないの?」って一瞬疑ったくらい。

でも診察が始まると、そのイメージは一気に崩れました。これまでの先生たちは目も合わせてくれなかったのに、このドクターはめちゃくちゃ丁寧に話を聞いてくれる。不思議と心がすーっと軽くなったんです。

「あなた、同郷じゃない?」と聞かれた瞬間、びっくり。「え、この先生も地元が同じ?!」と急に親近感が湧いて、少しずつ自分のことを話せるようになりました。

「束縛を捨てろ」と言われて、全部捨てた結果

ある日、診察中に先生がさらっと言ったんです。「あなたを束縛するものをすべて捨てなさい」って。

「うわ、深っ!」と感動したわたしは、即実行モードに突入。
ちなみに、診療の度に「彼氏と別れた?」って聞かれたので、まずモラハラ彼氏を捨てました(笑)。次に仕事を辞め、同僚や友達とも縁を切り、周囲のしがらみを片っ端から断捨離。

「自由だー!」と爽快感に浸っていたのも束の間。「あれ、これ自由じゃなくてただの孤独じゃない?」と気づくまでにそう時間はかかりませんでした。

モラハラ彼氏はいなくなったけど、つながりも消滅。仕事を辞めたら社会との接点もゼロ、友達を切ったらわたしを知る人もゼロ。「これ、本当に良かったの?」と思いながらも、もう戻れない。ただ前に進むしかありませんでした。

20年かけてわかった、束縛の正体

それから20年。やっと「束縛を捨てなさい」の本当の意味がわかりました。当時は“束縛”を目に見えるものだと思っていたけど、実は違ったんです。本当に捨てるべきは「人に迷惑かけちゃダメ」「弱さを見せたら恥ずかしい」といった、自分を縛っていた思い込み。

自由になるって、外側の何かをバッサリ切ることじゃなくて、内側から少しずつ自分をほどくことだったんです。

筋トレとジョギングで心をほどく

筋トレとジョギングは、そんなわたしの心をほどくための大事な時間になりました。重いダンベルを持ち上げながら「人生もこんな風に持ち上げられたらいいのにな」と思ったり、ジョギング中に「遠くへ逃げたい…いや無理か」と現実に引き戻されたり。それでも、走り終わるころには「まあ、いっか」と少し気が軽くなるんです。

筋トレとジョギングを続けるうちに、「弱さを隠さなくてもいいんだ」と思えるようになりました。まだ「助けて」って言えるほど素直にはなれてないけど(笑)、それでも自分を責める回数は激減。心がだいぶ楽になりました。

思い込みをゆっくり手放していこう

あのフェミニン・ドクターとの出会いがなかったら、わたしはいまだに見えない束縛に縛られていたかもしれません。勢いで全部捨てた結果、いろいろ失敗したけど、それでも本当の自由を探す旅に出られたのは良かったと思っています。

自由になるには時間がかかるし、簡単じゃない。でも、少しずつ思い込みという名の束縛を手放しながら進んでいく。それがわたしにとっての「自由になる」ということ。

これからも焦らず、自分をほどきながらゆっくり進んでいこうと思います。

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