恕のこころ
中学の頃、黒板に書く字がめちゃくちゃうまい社会の先生がいた。朝比奈先生という。担任を受け持っていただいたことはなく、社会の授業を教わっただけである。正直言って、彼にどんな授業をしていただいたか、またどんな先生であったかは、失礼ながらほとんど覚えていない。
だが、朝比奈先生がある日、授業の前に突然黒板にチョークで大きく書いた美しい「恕」の文字を、俺は覚えている。それは論語の一節...古代中国の思想家である孔子が、弟子である子貢の問いに答えた時に出てくる言葉だ。
書き下せば「子貢、問うて曰く、一言にしてもって終身これを行うべきものあるか。子曰く、それ恕か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ」となる。
現代語訳としては「“生涯において務めてやるべきことを一言で教えてください”と、子貢が問うと、孔子はこう答えた。“それは恕(じょ)だ。自分がやられて嫌なことは他人にするな”」という感じになる。
授業そっちのけで「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」の訓話をし、最後に先生は言った。「恕」とは、人を思いやり慈しむことです、と。
「恕....怨と似ている字なのに、すげえ優しい気持ちだな。大事だな」と俺は思った。俺が通った当時、その中学校では様々ないじめが色々な場所で横行していた。そんな中、先生なりに個人を特定せずに教えを伝えたかったのだと思う。いじめっ子たちを吊し上げず、なおかつ、いじめられっ子も追い詰めない、先生なりの恕がそこにあった。
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