ヘルメス・J・シャンブ

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個人セッションのお申込みについて

個人セッションのお申込みについて *** 2024/10月のセッションスケジュールが決まりました。 10/20(日)〜27(日)になります。 (*zoomセッションのみ) 時間帯 10時〜 13時〜 10/20✖️  21✖️  22✖️  23✖️  24✖️  25✖️  26✖️  27✖️   (○△は予約に空き有り) ご希望の方は下記内容をご確認の上、ご連絡を下さいませ。 *** *セッションⅠ (はじめて受けられる方) *セッションⅡ (Ⅰを受けら

    • 2024/10講話

      空は青く、雲は白いものです。 それが気持ちいいかどうかは、空や雲には関係がありません。 海もまた青く、無数の波があり、一滴の塩水がイルカのように飛び、舞い踊っています。 それが気持ちいいかどうかは、海や波や一滴の塩水には関係がありません。 風は目には見えませんが、それでもそれを、人は風と呼びます。 それが気持ちいいかどうかは、風には関係がありません。 では始めます。 以前も伝えたことがあるかもしれませんが、真空とともに在ってください。 その真空の中で、神の声を聴くので

      ¥500
      • 神との関係性

        神は病気を創ってはいません。 もしも神が病気を創り出すのなら、もはやその存在を神とは呼べません。 神が不完全さや苦しみを創造するでしょうか? もしも創造するなら、もはやそれを神とは呼べないのです。 神は差別を創ってはいません。 もしも神が差別を創り出すのなら、もはやその存在を神とは呼べません。 それは神ではないものに違いありません。 神は特殊能力を創ってはいません。 分離がないのに、特殊能力の意味があるでしょうか? 時間と空間が幻想であるのに、特殊能力が必要でしょうか?

        • 飄々と

          仮にゼロになったとしても、ゼロではありません。 仮に全てを失ったように思えても、目の前の現象がそのように見えたとしても、何も失ってなどいないのです。 無風になったとしても、風という存在が消えることがないように。 泣いても、涙は枯れません。 泣くことは、時には美しいものです。 だからといって、泣くことが素晴らしいというわけでもありません。 儚さとは、夢見です。 それ以上でも、それ以下でもありません。 落ち込む時には、夜風を感じながら、落ち込むことにケリをつけなければなりま

        • 固定された記事

        個人セッションのお申込みについて

          ご案内:瞑想(学習)会のお申込みについて

          ご案内 瞑想(学習)会への参加をご希望の方は、下記の内容をご確認頂き、ヘルメスのメールアドレスに直接ご連絡を下さいませ。質問がある方も、お気軽にお問い合わせ下さいませ。 ・zoom開催 ・対象:セッションを受講され、瞑想についての指導を受けられた方。 ・開催日程:月に3回程度(週1回目安、夜間、日時が合わない時などの不参加など自由) ・内容:主として瞑想、多種のワーク実践、聖典などからの引用と説明、質疑応答等々。 ・参加費用:お一人3000円(月額) その他、詳細につい

          ご案内:瞑想(学習)会のお申込みについて

          ご案内:10月zoomフォロー対話(無料)

          ご案内 すでにセッションを受けられた方のzoomフォロー対話(無料)、10月の日程が決まりましたので、ご案内をさせて頂きます。 10/5(土) 10時✖️  11時✖️  13時〜 14時✖️  15時✖️   時間は30〜40分になります。 *** セッションを受けられた後に疑問や質問がある場合に、フォローさせて頂きます。改めて何かを聞きたい、復習をしたい、その他、何かありましたらお申込み下さいませ(メールアドレスに直接連絡をくださいませ)。 実施スケジュールにつ

          ご案内:10月zoomフォロー対話(無料)

          2024/09講話

          今回は「苦しみ」についてお話をしたいと思います。 まず、私たちの生活、それを人生と言ってもいいですが、その生活とは、どのようなものでしょうか? 誰にとっても、人生=生活とは大切なものであるし、人生=生活こそ「私」そのものです。 「私」とは、人生=生活の中身ではないでしょうか? そして、それは結局のところ、私=世界となるのです。 私たちの生活のことを少し考えてみましょう。 私たちは時々、このように考えるかもしれません。 「なぜ、なんのために、生きるのか?」そして、「どの

          ¥500

          2024/08講話

          自己を知ることは、全てを知ることです。 「神」という名前、文字、言葉は、あくまでも「神」という名前、文字、言葉であり、その名前を付けられている”それ”、その”実体”、その”それ”は全ての全てであり、自己を知ることは”それ”を知るということです。 あなたは全てであり、全てはあなた自身だからです。 あなたがいてはじめて、あなたの知覚する世界があります。 知覚する者無しに、知覚される対象は存在できません。 音楽が、聴く者無しに存在する意味がないように。 これは心のレベルでの内容

          ¥500

          砂浜(短編小説:期間限定再掲示)

          砂浜  暑い夏休みの海。その砂浜で、彼は生まれた。父は小学生の男の子だった。父の手は温もりと想像力にあふれていて、その結果が彼となって姿を現したのである。彼には形が与えられ、話しかけられることによって心を持つにいたった。父は、彼がやがて波によって消滅させられてしまうことを、みじんも考えたりしなかった。  運よく、わずかに波のとどかない距離に、彼は生まれた。父は、そばを通り過ぎる大人たちに踏みつけられたり、つまり、壊されたりすることのないように、しっかりと彼を守っていた。そし

          砂浜(短編小説:期間限定再掲示)

          2024/07講話

          私たちはどうも、傷つくことをあまりにも当たり前に受け入れ続けてきたようです。でも、本当にそれは事実なのでしょうか? 確かに、身体は脆く、すぐに傷つき、そして崩壊していきます。ですから一番大切なことは、「私は身体なのだろうか?」と確認することではないでしょうか? 私たちが人として生きていて、いつも問題として頭を抱えることは、全て身体に関連することなのです。お金、食料、衣服や住居、そのためかどうかはわかりませんが、仕事、人間関係でさえ。 なぜ、人間関係でさえ、身体に関連している

          ¥500

          2024/06講話

          雨の日には、雨の歌があって、その歌を心地よいと感じる人もいれば、嫌気がさしてくる人もいるでしょう。 山や川が美しいと思う人もいれば、特別興味なんてなくて、ただのありふれた景色に過ぎないと思う人もいます。 人に興味がある人もいれば、人に興味がない人もいるかもしれないし、動物が好きな人もいれば、動物が苦手な人だっていると思います。 人それぞれですね。 誰かは、自分がとっても傷つきやすいと思っているかもしれません。 他の誰かは、自分は強くて、傷つくことを恐れてもいないし、傷ついた

          ¥500

          2024/05講話

          ”今”というのは、時間ではありません。 ”今”とは、永遠のことです。 ”永遠の今”の中に、時間や空間が存在するように見えるのです。 ”今”というこの瞬間ほど、重要なものはないでしょう。なぜなら、あらゆる創造はまさに”今”行われるからです。 実際、未来を決めるのは今であり、あるいはまた、過去でさえ、決めるのは今なのです。 時々、なんらかの過去のトラウマを解決するために、過去のことを思い出して、それにアプローチするような手法を取る場合があるかもしれませんが、それは全く役に立ちま

          ¥500

          2024/04講話

          「私」という想念のない「わたし」、それが真我です。 在る=実在 それが真我です。 無言で、どのような主張もしていないにもかかわらず、完全であり、完璧であり、唯一無二の真理である”それ” ”それ”があなたです。 「私は〇〇である」という認識が、自我です。 「私は体だ」は自我であり、「私はあれこれだ」も「私はああだこうだ」もまた自我です。 「私は傷ついた」とあなたがいくら真剣に思ったとしても、真我であるあなたは何一つ傷ついてはいません。 真我は永遠であり、不変であり、それゆえ傷つ

          ¥300

          2024/03講話

          不意の訪問者 幻想世界、その夢を見ている心は、そして、それが夢だと思っていない心は、行為を大切にしているようです。 行為によって、何かが変わると思っているのです。 だからこそ、いつも、「どうする? どうすればいい?」と悩むわけですが、これがまったくをもって解決に至らないということが、いまだにわかっていません。 そのような心は、分離した(無知の)心であり、また行為の他にも、場所や環境を気にしていることでしょう。暮らす場所や環境で、自分が変わると思っているのです。(これは、私に

          ¥500

          瞑想会シェアメールからの抜粋2024/2/19

          瞑想会参加者の皆様へ 〈共有メール227〉 今回はヘルメスからの言葉になります。 さて、今週19日から末までは、改めて、常に注意深く、”在る=気づき”に意識を合わせましょう。 「合わせましょう」とは、便宜上、使用しても、実際には、それが「あなた=私」なのです。 「私は何か?」と自分自身に向き合って問うとき、まさに、”在る=気づき”そのものが、そのままに返答しているはずです。言葉、ラベルなど、必要ありません。 この自己認識をしっかりとしましょう。 (H注:もしくは、瞑想

          瞑想会シェアメールからの抜粋2024/2/19

          2024/02講話

          あなたの名前は何でしょうか? あなたは誰でしょうか? あなたは何なのでしょうか? あなたの名前は高橋でも佐藤でも、木村でも〇〇でも・・・ありません。 あなたの名前は「I(わたし)」です。 わたし。 それがあなたの名前です。 私の名前は「わたし」です。 さらに正確に言えば、あなたの名前は「わたし」ではなく「在る」です。 もちろん、名前だけの話ではありません。 あなたは「在る」という、存在そのものです。 私は「在る」である。 このように、自身を正確に自己認識できているでしょ

          ¥500