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普通に幸せになってほしい、の普通ってなに?

このお話は先日、ファミリーフォトをお手伝いしたときに聞いた、お子様に対するママのひとことからはじまる。

私は写真を撮らせていただく際、必ずお打合せを行っている。撮影のコンセプトやイメージはもちろん、お子様であれば生まれたときのお話やご出産秘話、お名前の由来や最近のお子様の流行りなど・・・撮影に関係あります??って話まで聞いている。


私のモットーは

「写真は撮る人と撮られる人(物や風景なども含めて)とが両想いには勝てない」

と思っている。

・カップルがパートナーを撮る写真

・パパママが撮るお子様の写真

・お花が好きな人が撮るお花の写真

・結婚式が好きな人が撮る結婚式の写真
などなど


撮る側の愛情が写真にのると思っているし、撮られる側の表情も、好きな人とそうでない人(なんとも思っていない他人)に向けられる表情は段違いである。でも、その撮る側がカメラの技術を持っているとは限らず、だから、カメラの技術をもつ私が、おこがましいとは思いながらも代理でめちゃくちゃ好きになって撮る!がいい!と思っていつも撮影に臨んでいる。だから、撮られる側のことを、頭の先からつま先まで知り尽くして、愛し尽くしたいと思って、必ずお打合せをしている。


1歳の誕生日を迎える男の子のファーストバースデーのお打合せ。お打合せも終盤に差し掛かり、私からの質問も多岐に及んでいた。

荒井:「どんな子に育って欲しいとの願いはありますか?」
ママ:「とにかく元気に健康に育ってくれたら、本当にどんな風になっても愛していると断言できるくらい、かわいくて仕方がないんです。」

私はここまでは想定内の回答。深くうなずきながら、次の言葉を待つ。


「仮に学校にいきたくないと、引きこもりになっても愛してるし、もしも、ぶっくぶくに太ってしまっても、不健康なら困るけれど健康ならそれでもいい。女装することが自分の中でしっくりするなら一緒に買い物に行って、かわいい服を一緒に選ぶ。男の子が好きでも、女の子が好きでもいいし、誰を好きになってもいい。ただただ、愛し、愛される子になってくれたら、それでいいんです。」と。


私は、自分でも気づかないうちに、音も出さずに涙がこぼれていた。

「え?えええ??なんで?なんで夏樹さん泣いてるの??」とママはびっくり。それはそうだ。私も自分が泣いてしまうとは自分でもびっくりな出来事だった。


私の涙のわけは、ちょうど、同性のお二人のご結婚式のお手伝いをしていたことで、ママの「男の子を好きになってもいいし、女の子を好きになってもいい」の言葉が、ちょうどお二人の親御様とリンクして、思わず涙が出てしまったのだ。

同性カップルのご結婚式も何度も経験がある。(というか、ここで「異性カップル」とは言わないのに「同性カップル」と言っている時点で、そして「経験がある」と言っている時点で、私もひとつ、いやいくつもの、色眼鏡をかけてしまっているのかもしれない。そんなつもりはないのに、言葉って本当に難しい)

また、心持ちとして、同性カップルと異性カップルとで何も違わない、と思っているその時点でなんか違うと自分に腹立たしく思ったことや、違うとか違わないじゃない、と思ったり、その都度その都度、自分の未熟さや配慮のなさ、経験不足や人としての厚みのなさを実感しては、悩んできた。


今回のお二人は、私のところに相談に来てくださったときからすでに、親御様からご結婚のご了承をいただけておらず、それどころか、同性でお付き合いしていることすら認めてもらえていない。親御様にご参列いただきたいと願いながらも、ご友人様だけを招いたパーティーの方向で進んでいた。

けれど、なんとか親御様と分かり合えるきっかけになるような結婚式にできないか、と私自身ずっとずっと考えていたところだったし、お二人とも何度も親御様のご参列について話し合っていた。次回、私も同行したうえで、親御様のもとにもう一度お話に行くタイミングだった。

そんな折にこのママからの

「男の子を好きになっても、女の子を好きになってもいい」

との言葉を聞き、思わず感極まってしまったのでした。

私は子供を産んだこともないし、子育てを経験したこともない。だから親御様のお気持ちを真の意味で分かることはできないのかもしれない。けれど、深く想像はできる・・・し、知りたいとも思う・・・

きっと、、、きっと、だけれど、お二人の親御様も、お二人が産まれたときは「健康に育ってほしい」とだけ、願っていたはずで、誰を好きになっても、お二人のことがかわいいはずだし、結婚だって本当はお祝いしたいはず。


けれど「普通じゃない」ことが許せなくて、みんなの「当たり前」がよくて・・・???本当にみんなと一緒がよかった???

みんなよりも、かけっこで一番とってほしいと願ったり、いい成績とってほしいと願ったり、いい大学にいい会社に行ってほしいと願うくせに、みんなと違う「同性を好きになる」ことはなぜ許せないのか・・・???

と思っていたけれど、お打合せ時に聞いたママのひとことで、私のモヤモヤが間違っていたことに気づいた。

親は子に、「とにかく幸せになってもらいたい」

ただ、これだけを願っているのだ。

かけっこで一番も、成績トップも、いい大学も、いい会社も、きっとそれが「幸せ」だと思うから願っているのだ。

だからきっと「同性と結婚をすることを幸せだとは思えない」から認められないだけなのではないか、と。現段階の日本では法律上の性別が同じ二人は結婚が認められていないから・・・苦労することが分かっているから許せない、というのが根幹にあるのではないか、と。

すぐに法律を変えることは、一個人の私にはできないけれど、二人でいることが幸せなんだってことが分かってもらえれば、きっときっとお祝いしてくれるはずで・・・それにはやっぱり、結婚式に参列していただいて幸せな二人を見てもらうことが一番なんじゃないか・・・そんな単純なことなのか?もっともっときっと複雑で言葉にできない気持ちもいっぱいあるはずだけれど、逆にシンプルに考えた方がいいのかもしれない・・・

とにもかくにも、ウエディングプランナーの私ができることは、何かないのだろうか・・・


ぐるぐるぐるぐる・・・思考は行ったり来たり、答えが出ないまま、まだまだ悩んでいる最中。そう簡単に答えは出ないけれど、絶対にあきらめない。

私は、うわべだけの結婚式が好きではない。

型にはまった演出、いつも通りの進行、気持ちのこもっていない、ただただ「結婚式をする」だけのロボットみたいなスタッフが大嫌いだ。

ウエディングプランナーは友達でも家族でも同僚でもない、だからお二人と一定の距離間は絶対に必要だと思うけれど、踏み込むべきタイミングが絶対にある。これは経験上、絶対だ。

迷った結果、その一瞬を見誤り、踏み込まないで後悔してきた過去があるから、踏み込むべきタイミングで、お二人の人生に踏み込む覚悟があるプランナーでありたいと思う。

必ず、いい結婚式にする。

どんな形になろうとも、私はお二人のご結婚式の最高責任者であり、絶対にお二人を幸せにする。

悩むことも迷うこともあるけれど、これだけは絶対に断言できる。


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