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Hello、Little Tibet

                                     Ⅵ
有名観光地より、市井の人々やその暮らしに興味のある私が、ここには行っておきたいと思っていた観光地がある。ボダナートだ。ボダナートとはカトマンドゥにある大きなチベット仏教寺院である。リトルチベットとも言われ、昔からチベット人達の交易の際の聖地であり、1950年代以降は亡命してきた多くのチベット人の居住区にもなっている。ヒマラヤ山脈と共に、チベットに対しても並々ならぬ興味と郷愁をもっていた私がぜひとも訪れたかった場所だ。

そこはもうチベットだった。ネパールとは違った人々の顔、民族衣装。えんじ色の袈裟を羽織った僧侶たち。頭を地べたにつけて祈りをささげる人々。回るマニ車。想像以上のチベット感に私は圧倒され、見るものすべてに興奮していた。

お寺近くの広場でなにやら人だかりができはじめた。群衆の中心で何が行われているのかは見えなかったが、おそらく物売りかなにかだろう。しかし、私はそこに集まっている老若男女の方に魅了された。輪の中心に夢中になっている人々を今がチャンスとばかりに、至近距離でまじまじと眺めた。

何年洗っていないのだろうと思われる厚手の生地の伝統衣装をまとった男性は、その長い髪と、真っ赤な糸の束を一緒に編み、その編んだ髪を頭の上にカチューシャのように巻いている。首や耳にはターコイズや赤サンゴが飾られ、その姿は同じ人間なのだろうかと思わせるくらいインパクトがあった。このインパクトは私たちの顔が似ているからこそのインパクトなのだろう。なじみのある顔なのに、このような風貌と野性味溢れた人を私は日本でみたことがない。
女性は黒い着物に、美しい腰巻エプロン。それは絶妙な色合いのストライプ柄に織り上げられたヤクのウール。
しかしそれらの伝統的衣装の足元は歩きやすそうなトレッキングシューズを履いている人が多い。この現代と伝統のミックスが私にはなんだかおしゃれに見えた。耳には、赤サンゴ、ターコイズ、シルバーのほかにも、ただピアスホールに赤い紐を通してぶら下げている人もいた。耳から垂れたその紐には、創作意欲と、旅情を掻き立てられた。

でも、なぜか一番今でも心に残っているのは、一人の通りすがりの少女だった。ちょうど小学校3・4年生くらいだろうか。冬の太陽をたくさん浴びたような茶褐色の髪を後ろで無造作に束ね、髪と同じ瞳の色をしている。黒い前合わせの着物は少しサイズが小さくなってしまったのか丈が短く、明るい黄色の帯のような布をキュッと腰に巻いている。グレーのハイソックスに、ごつめのスニーカー。軽快な足取りで人混みの中を颯爽と歩いていた。何があったという訳ではないのになぜ彼女にそんなに惹かれたのかは上手く一言では言い表せない。彼女のまなざしと足取りには、まったく迷いが感じられず、確たる自信と、やはり野性味が感じられたのだ。純粋さと成熟さが同居しているような。大好きな、長靴下のピッピのような。もしかしたら、その時の私が欲しかったものを彼女に見たのかもしれない。
カメラを持参していなかったので、ガラケーで急いで彼女の写真を撮ったが、遠く立ち去った後ろ姿しか写っていなかった。

今ではガラケーと共にもうその写真はない。彼女が片手で、落ちてきた前髪をかき上げながら後ろを振り返らず足早に立ち去っていく姿は、なぜだか今でも目に焼き付いている。

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