NVCをエナジーワーク的に解釈したら「シンNVC」にたどり着いちゃった件
こんにちは。らいおんです。久しぶりの投稿です。
最近読んだ中で衝撃を受けた本があったので、紹介したいと思います。
その本とは、『「わかりあえない」を越える』(マーシャル・B・ローゼンバーグ 著、海士の風 発行)です。
NVCとは何か?
この本は、世界各地の個人・組織・社会で広がる新しいアプローチ「NVC(Nonviolent Communication:非暴力コミュニケーション)」を実践するためのエッセンスを豊富な事例とともに解説している本です。
著者のマーシャル・B・ローゼンバーグ (以下、「マーシャル」と呼びます)は、NVCの提唱者であり、国際的な平和推進組織CNVC(Center for Nonviolent Communication)の設立者です。年間250日以上をかけて世界中を飛びまわり、数百におよぶ地域コミュニティー、国際会議、戦争で疲弊した地域などでNVCを伝える活動を精力的に続けてきたすごい人です。
私自身NVCについては、多分2012年くらいにマーシャルの前著を読んで以来、しっかり学ぶのは久しぶり。その当時は、書いてあることに深く共感するものの、自ら実践するにはハードルを感じたのを記憶しています。
ここで、少しNVCについて解説しておきたいと思います。ただ、今回の記事はNVCを詳しく解説することが目的ではなく、NVCとエナジーワークの共通点を深掘りすることが目的なので、NVCを詳しく知りたい方は、上記の書籍や解説しているサイトが山ほどあるので、それらをご覧ください。
NVCの根幹にある人間観
さて、ここからが今回の本題です。まず本書を読んでまず「グッとくる」とくるのが、マーシャルがNVCの根幹に、人間本来の性質を「お互いの幸福のために貢献するもの」と置いている点です。
これは、最近でいうとルドガー・ブレグマンの「Humankind 希望の歴史」で示されている「人間の本質は善である」という人間観に相通じるものがありますね。
これまでリーディング(透視)で多くの人の魂を視てきて思うのが、「どんな人の魂も同様に美しい」ということです。その輝きを視ていると、マーシャルやブレグマンが言うように「人間の本質は善である」と直観で理解できます。
社会から極悪人と呼ばれるような人(犯罪者など)をリーディングしたことは多分ないので、確たることは言えませんが、多分そのような人々も魂のレベルでは美しく輝いていると思います。ちなみに、人が大きな罪を犯す原因は、本人の意思というより本人以外のエネルギーからの影響や、他人(霊やエイリアン含む)にスペース(オーラ)が乗っ取られていることの方が多いように視えます。
「人類の本質は善である」と信じることからしか人類の次の進化は始まらない
ここで少し横道にそれますが(毎度のことですがw)、この「人間の本質は善である」と言う人間観を持つことが、本ブログでも何度か言及している「人類(ホモ・サピエンス)が生存可能なティール以上の意識段階へ進化できるかどうか」において非常に重要なポイントになると感じます。
(意識の進化に関する記事は以下も参照ください)
少し前までの私自身の人間観であり、現代人の多くが持っている人間観は「人間は本来、怠け者で、自分勝手で、不道徳な生き物だ」という「冷笑的な人間観」だと思います。不思議なほど、この冷笑的な人間観はこの社会に深く浸透しており、人間に対する暗い見方に我々は囚われています。(この人間観に支配されていたので、以前のブログでの私の論調もこの「冷笑的な人間観」が色濃く「もう、人類ダメ(絶滅)なんじゃね??」的な話が多かったことを深く反省しております(笑))
でもこれじゃダメなんです(人間の意識は進化しません)!!
ブレグマンは上記の本の中で、独自の取材によって、心理学の定説を覆しまていきます。(例:スタンフォード大の囚人実験(普通の人間は邪悪になれる)やミルグラムの電気ショック実験(アイヒマン実験)の「嘘」を暴いています)
また、人類史、思想史、資本主義に至るまで、幅広い領域を網羅・統合する考察を行った上で、「人類の本質は善である」と結論を下します。
これが、本書が「希望の書」として全世界で大ヒットした所以でしょう。
我々自身、自らの冷笑的な人間観に基づき、暗い未来しか想像できないことにほとほとうんざりしているわけです。原因は「冷笑的人間観にあり」なのです。
従って、私からの提案は一旦「人類の本質は善である」と信じてみよう!!ということです。この人間観を持つ人が人類の一定割合以上になるだけで人類の存続を脅かす多くの課題(環境問題、格差による分断、戦争や暴力)が解決できると思います(そして、その過程で多くの人間の意識段階がティール以上に進化するのだと思います)。
さて、順調に横道に逸れまくったので、NVCに話を戻したいと思います。
NVCはエナジーワークそのもの
本の中では強調されていませんが(特に日本語訳の中では)、NVCはとってもスピリチュアルだと思います。
例えば、本書でマーシャルは「NVCとは、ある種の精神性(スピリチュアリティ)と、その精神性を日常生活から人間関係、政治活動のいたる様々な場面で具現化するスキルを統合したもの」と言っています。
そしてこの「精神性(スピリチュアリティ)」についてマーシャルは以下のように述べています。
はい、無茶苦茶スピリチュアルですね!(笑)
スピ系にアレルギーのある人は、この文章の意味が分からないと思いますし、さーっと引いている姿が目に浮かびます(笑)
また、この文章で日本語訳では”いのち”と訳していますが、これは「魂」と言ったほうがしっくりきますね。そしてその”いのち=魂”に貢献する神聖なエネルギーは、まさにエナジーワークで取り扱うエネルギーそのものですね。
つまりNVCとは、これら神聖なエネルギーを日常生活等様々な場面で具現化スキル、つまりエナジーワークそのものと言っても過言ではないでしょう。(少なくても筆者にはそう読めました)
暴力の核心とその解決方法としてのエナジーワーク
NVCの第一の目的は、思いやりのある与え合いが可能になるような方法で、他者とつながることです。つまり、暴力のない世界の実現です。
しかし、現実の世界は残念ながら暴力が蔓延しています。
マーシャルはその原因を「暴力が蔓延している原因は、わたしたちの本質ではなく、わたしたちの受けた教育にある」と述べています。また、本書で紹介されている神学者ウォルター・ウィンクは、文明の幕開け以来(少なくとも8000年前から)人々は暴力を楽しむように教育されてきた、と言っています。そして、そうした教育が思いやりに満ちているはずの本来の性質から、わたしたちを切り離している、とマーシャルは述べています。
さらにマーシャルは暴力の核心について以下のように述べています。
このマーシャルのいう「教育」もピンとこない人が多いのかなぁと思いますが、エナジーワーク実践者にはものすごくしっくりくる解説だと思います。
マーシャルの言っていることをエナジーワーク的に解釈すると、「教育」の正体は「プログラミング」という我々を特定の判断や行動へ誘導する(制約する)エネルギーのことを指していると思います。また、このプログラミングの他にも現生の家族や先祖たちからのエネルギー的な干渉「ファミリーコントロールエネルギー」もこの「教育」に含まれているように思います。
我々は上記のようなエネルギーの影響を受けることで直観ではなく思考で物事を判断する「ジャッジメント」のエネルギーが優位になり、物事(のエネルギー)をあるがままに価値判断なく受け入れる「バリデーション(validation)」ができない状態になってしまいます。
バリデーション(validation)について知りたい方は以下の記事も参照ください。
エナジーワークの目的は、これら自分の魂の成長を阻害するエネルギーの呪縛を解いて、魂の自由と成長を獲得していくことにあります。
つまりエナジーワークをすることは人間を暴力を駆り立てる上記の「教育」から我々を解放する「脱教育」を可能にして、暴力のない世界を実現する方法だと言えます。そして、マーシャルはNVCがその手段だと言っているわけで、ここにもNVCとエナジーワークの共通点が見出せます。
NVCのステップをエナジーワーク的に解釈してみる
さて、次にさらにNVCのステップもエナジーワーク的に解釈してみます(得意の超訳です(笑))
1. 評価をまじえず、行動を「観察」する
NVCでは、まず相手の行動の何を好ましく思い、何を好ましく思わないのかを評価をまじえず自分の内面の変化を「観察」することからスタートします。エナジーワークでは、この内面の変化を直観(透視能力)を使ってエネルギーとして視ます。個人的にはエネルギーで視る方がより評価(思考やジャッジメント)をまじえずに内面変化を捉えることができるように感じます。
2. 観察したことに対して抱いている「感情」を突きとめる
NVCでは次に、自分の心の中に目を向け、「相手の振る舞いを見たときに、自分の内面でどんな感情を抱くのか」を明らかにします。
エナジーワーク的に言うと、感情もエネルギーです。従ってステップ1で直観(透視能力)で視るエネルギーには感情のエネルギーも含まれます。もっと言うと感情以外のエネルギーも同時に視ていくので、NVCよりも視ている対象や範囲が広いように感じます。
3. そうした感情を生み出している要因、「何を必要としているのか」を明らかにする
NVCでは、次に自分の感情を生み出している要因、「何を必要としているのか(ニーズ)」を明らかにします。ただし、多くの人はこのニーズを理解し表現することに大きな抵抗を感じて、うまくできない、とマーシャルは言います。そして、その原因はニーズを表明する行為を「求めすぎている」「依存しすぎている」「わがままである」のように捉えさせるような支配的なコントロール(教育)を政府、学校、企業、家庭において受け続けたことにある、と言っています。
エナジーワークでは、「何を必要としているのか(ニーズ)」を魂の成長の観点から視ていきます。つまりどんなエネルギーが自分の魂の成長をサポートするのかを視ることで、自分の魂が本当に望んでいるもの(真のニーズ)がわかります。さらに上記でも述べたようにエナジーワークをする過程でマーシャルがいう「支配的なコントロール」のエネルギーから自らの解放する作業も同時に行なっていきます。以前のブログで紹介した「受け取り上手」になっていくわけですね。
4. それを具体的な行動として「要求」する
NVCでは、最後にニーズに基づいて相手に何をして欲しいのかリクエスト(要求)します。そしてここで注意が必要なポイントして「リクエスト(要求)と「強要」の違いを理解した上で「相手に強要しない」ことを挙げています。「強要」は、人間関係に破壊的な結果をもたらすコミュニケーションなので注意が必要です。つまり自分だけでなく相手の神聖なエネルギーから出発できるような(自発的にやりたくなる)コミュニケーションが必要なわけです。
エナジーワークの観点から言うと、相手に何かを伝えていく際には、言葉によるコミュニケーションよりも「魂と魂のコミュニケーション(対話)(Spirit to Spirit Communication)」が大変有効です。
「魂と魂のコミュニケーション(対話)」の詳しい方法は以下の記事も参照ください。
「魂と魂のコミュニケーション(対話)」において、NVCでいうところの「強要」は「コントロールと言う名の『ヒーリング』」にあたります。この「ヒーリング」をしてしまうと魂同士のコミュニケーションがうまくいかないので、結果として自分の「リクエスト」を相手が受け取ってくれないことになります。
シンNVCの実践で平和を実現させよう!
このようにNVCはその根底にある人間観や目的、そして各ステップに至るまで、エナジーワークとの共通点が多いことに驚きます(むしろ、エナジーワークそのものと言っていいくらいです)。
もっと言いますと、NVCの効果をもっと高めることがエナジーワークには可能だとも思います。つまりNVCの実践にエナジーワークを組み合わせる「シンNVC」の実践を提唱します。(また各方面から怒られそうですが(笑))
マーシャルは、上記のような人間観とNVCの実践を通じて、人類が現在抱える暴力や格差、環境破壊などの問題を解決する新たなシステムを構築し、平和に向かって進化することができる種だと強く信じていました。
そして、私がエナジーワークを実践している目的やそこに感じている可能性もマーシャルと全く同じなので、人類の次の進化と平和な世界の実現のために「シンNVC」の実践を行なっていきたいと思います。(おしまい)
*記事に記載した内容はあくまで個人の見解であり、記事に記載した団体等の公式見解ではありません