ノヴァセンの「資本論」
筆者が最近注目している経済思想家の斎藤幸平さんの新著「人新生の『資本論』」がメチャメチャ面白いです。その刺激的な内容にインスパイアされて「ノヴァセンの『資本論』」と題して考えたことを書いてみたいと思います。
まず、斎藤さんの「人新生の『資本論』」の内容を要約すると以下のような感じです。
感想をいうと「う〜ん、ラディカル❤️(笑)」の一言に尽きますね(笑)本当に斎藤さんの主張は気持ちの良いほど「ラディカル」です。
少し補足をするとここでいう「ラディカル」とは一般的な意味での「過激さ」ではなく(その意味も少し含みますが)、「根本的、根源的」の方の意味で使っております。
特にそのラディカルさに私が痺れたポイントは、近年気候変動危機の解決と経済成長の両立を謳う「緑の経済成長(グリーン・ニューディール)」が欧米で注目を集めていますが、経済成長をベースにした瞬間に資本の論理に容易に取り込まれて「経済成長の罠」に陥ってしまうだけで「現実逃避でしかない」とバッサリ。ついでに「緑の経済成長」の旗印になっている「SDGs(持続可能な開発目標)」も、かつてマルクスが資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判したことになぞらえて、「SDGsはまさに現代版『大衆のアヘン』である。」とこちらもバッサリ。
すでにこの辺りで「行きすぎた資本主義を修正しながら持続可能な社会を創る!」ことをテーマにまさにSDGsなどを活用しながらコンサル稼業(斎藤氏曰く「社会の再生産に役立たない『ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)』笑」)をしている筆者などは心が折れそうになります。。笑
なぜ「心が折れそうになる」かっていうと、自分のやっている仕事が実は「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」だってわかっているからなんですね。この本を読んで憤っている方、モヤモヤしている方も多いと思いますが、そういう人たちも私同様「自己否定」されていることに反応しているだけ(痛いところをつかれている)じゃないかなって思います。
さらに「ラディカル」な斎藤さんは容赦無く追い討ちをかけてきます(笑)
筆者が近年注目してきた「定常型社会」=「持続可能な福祉国家/福祉社会」の概念を日本に広めた広井良典さんの考えも「旧世代の脱成長論」と呼んで、資本主義的市場経済を維持したまま、資本の成長を止めることができるというのは「楽観的予測で間違っている!」とバッサリ。
さらに、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツが唱える行きすぎたグローバル化や、現在の富の偏在、大企業による市場支配の問題を解決する「進歩的な」資本主義「プログレッシブ・キャピタリズム」も、資本主義の根源的な問題を見誤って自己矛盾をおこしている解決策として、それを唱えるスディグリッツを「真の空想主義者」とバッサリ(笑)。
「あー、、ラディカル(根源的)すぎて痛い痛い(笑)」と、もんどりうって倒れる勢いです(笑)
「脱成長コミュニズム」の実現には「人類(ホモ・サピエンス)の意識段階の進化」が絶対的に不可欠だ
さて、斎藤さんのラディカルさにお腹いっぱい(瀕死状態、、笑)になったところで今回の本題です(毎度のことながら前置きが長い!笑)。
本書の斎藤さんの考えに著者は100%賛同するのですが、「その実現には『人類(ホモ・サピエンス)の意識段階の進化』が絶対的に不可欠だ」というのが著者の見解です。
同様のことは斎藤さん自身が本書で語っていまして「(私たちどっぷりつかっている)資本主義と、それを牛耳る1%の超富裕層に立ち向かうのだから、困難な『闘い』になるのは間違いない。そんなうまくいくかどうかもわからない計画のために、99%の人たちを動かすなんて到底無理だ、としり込みしてしまうかもしれない。」と少し弱気です(笑)。
ただ、斎藤さんはここでハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究から「あらゆる社会変革は「3.5%」の人々が集まれば可能」という数字に希望を見出し、本書を通じて「脱成長コミュニズム」運動への人々の参加を呼びかけています。
ここからは著者の見解ですが、「脱成長コミュニズム」という壮大なビジョンの実現には、以前のブログで解説した「人類の生存ラインである第2層(ティール以上)の意識段階に10%以上の人々が至れるかどうか」が重要なポイントになるだろうと考えます。
「資本主義」という無限の成長や欲望という現代の麻薬から人類が足を洗い真に持続可能な存在に進化するためには、ティール以上の意識段階の進化が必要であり、それなしに「資本主義の超克」とそれに基づく人々の行動変容は見込めないでしょう。
ノヴァセンの「資本論」
もっと言うと「人類の生存ラインである第2層(ティール以上)の意識段階に10%以上の人々が至った」世界では、「脱成長コミュニズム」という人新生の「資本論」の「その先」の「資本論」のあり方さえ見えてくると考えます。それを以前のブログで紹介したジェームズ・ラヴロックの「ノヴァセン<超知能>が地球を更新する」でラヴロック翁が予言した「人類を頂点とする時代(=人新世)の『その先』に訪れる<超知能>と人類が共存する時代(=「ノヴァセン」)」になぞらえて「ノヴァセンの『資本論』」と呼んでみたいと思います。
「ノヴァセンの『資本論』」がどんな姿になるのか?斎藤さんの「脱成長コミュニズム」を起点に妄想してみると、以下の様な感じじゃないかと思います。
「脱成長コミュニズム」から考える「ノヴァセンの『資本論』」のポイント
①「人間中心主義(ヒューマニズム)」から「ガイア(地球)中心主義」への転換:
前提として、有史以来人類の発明したあらゆる思想の根本にある「人間中心主義(ヒューマニズム)」から「ガイア(地球)中心主義」への転換が起こります。
②使用価値経済から地球(ガイア)価値経済への転換:
資本主義の「価値」中心から「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却した後、「使用価値」という「人間中心主義」の価値観の上位に「ガイア(地球)中心主義」の「地球(ガイア)価値」を最上位とする価値観の経済へ転換します。簡単にいうと、全ての経済活動が「地球(ガイア)にとって価値があるのか?」が判断基準になる世界です。
③労働時間の短縮、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、エッセンシャル・ワークの重視が劇的に進む:
おそらくノヴァセン時代は「労働」自体の概念が今とは全く違ったものになるでしょう。ノヴァセン時代の「労働」は人類の生活の質を高めることを重視するのに加え「地球(ガイア)価値」を高めることを何より重視します。その中で人々の労働時間を削減して、生活の質を向上させることが人類より1万倍速く思考や計算ができる<超知能=AI>によって劇的に進むでしょう。さらに、労働の創造性も劇的に向上し、画一的な分業をもたらす分業など過去の遺物でしかなくなるでしょう。
もちろん、生産過程の民主化も進み、人々は自分と地球(ガイア)に必要なものを<超知能=AI>と協力しながら自らの手で最小限の環境負荷で作ることができるはずです。そして、最後にエッセンシャル・ワークはその対象が人類に加えて地球(ガイア)にまで広がり、人々と地球(ガイア)にとって本当に必要な仕事のみに集中できるようになるでしょう。
実は斎藤さんはAI化には限界が存在すると明言しており、たぶん上記の様な「ノヴァセンの『資本論』」には「現実逃避の空想主義者め!!」とバッサリだと思いますが、、、(笑)。
人類(ホモ・サピエンス)の意識段階の進化の兆し
さてさて妄想はこのくらいにしておいて、、(笑)
最後に、「人新生の『資本論』」で筆者が一番興奮した箇所を紹介したいと思います。それが「人類(ホモ・サピエンス)の意識段階の進化の兆し」です。
具体的には本書で「資本主義と社会主義についてのアメリカ人の見解(年齢別/2018年)」(p123から引用)として紹介されていまして、なんとアメリカのZ世代の半分以上が資本主義よりも社会主義に肯定的な見方を抱いています。
著者は、Z世代はデジテル・ネイティブであると同時に「ティール・ネイティブ」なんじゃないかと思います。生まれ育った環境が幼いうちから「ティール以上の意識段階」を育んでいる可能性があります。
これは人類の存続にとって朗報です!彼らのような世代が以前のブログで紹介したようなユヴァル・ノア・ハラリやオードリー・タンのような「意識レベルの高いリーダー」にどんどんなって人類の意識変容を加速させることを期待しています。そうすれば地球が気候変動で破綻する前に「人類の生存ラインである第2層(ティール以上)の意識段階に10%以上の人々が至る」ことが可能かもしれません。
筆者が先日始めた「あなたの魂の成長をサポートします」プロジェクトもまさに人類の意識段階の進化をサポートする活動なので、ご縁のある方は是非リーディング(透視)させてくださいね!
*記事に記載した内容はあくまで個人の見解であり、記事に記載した団体等の公式見解ではありません