ユン・ドンジュ『空と風と星と詩』第四回/「ひまわり顔」【えるぶの語り場】
ソ:気に入った詩を三つ選んできてとお願いしていたんだけど、最後の一つは何ですか?
シュ:「ひまわり顔」かな。
まさに一日の僕という感じがするから(笑)
ソ:なるほど。
またサラリーマンとしての自分に重ね合わせたわけね(笑)
シュ:そうそう(笑)
ひまわりって一年草だから、ひと夏で枯れてしまうわけだよね。
その儚さとか哀愁とかもまさに僕だなって。
ソ:たしかに労働者の哀愁というのはとてもよく表現されている詩だよね。
僕は共感する部分はあまりないけど、技術的にはとてもうまい詩だと思ったな。
ひまわりって太陽の方を向いて動いて、それを毎日繰り返すわけだよね。
このひまわりというモチーフによって、一日という時間的空間がとてもうまく表現されているし、そこに労働者の侘しさのようなものが端的に表れてきてるよね。
シュ:作品として分析するとそういう鑑賞になるのか。
ソ:それにしても、気に入った詩を三個選んできてってお願いしたときはもっとキリスト教的詩をたくさん持ってくると思ったな。
というのも詩の鑑賞方法が分からないって言ってたから、「十字架」とか「八福」とか宗教的知識で補えるような作品を選んで来ると思ったんだけど。
シュ:僕も最初はキリスト教的な詩について語って宗教の知識で尺を稼ごうと思ったんだけど、正直、キリスト教的モチーフの神学的意味は分かってもそれによってユン・ドンジュが何を伝えたかったのかが分からなかったから諦めたという感じかな。
ソ:「何を伝えたかったのか」を考えながら読むのはまさに小説とか哲学みたいな散文の読み方だよね。
シュ:結論を求める読み方ということか。
ソ:うん。
前も言ったように散文は「理解」する文章、詩は「感覚」する文章だから、言い方を変えれば、「何を伝えたかったのか」よりも詩人が「何を感じていたのだろう」と考えながら読んだ方が結果的に伝わってくるものは多いと思うな。
シュ:つくづく詩はDon’t think, feel!の世界なんだなあ。
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