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【中国2007】正紅花油を試してみた! (”正紅花油” 接受中药的挑戦)
2007.6.24 上海留学中の記録を再編集
今から振り返ってみると、20代は腰痛に度たび悩まされていました。けれども、自身のことを振り返ったり、立ち止まってみたり、大事にするという感覚は欠如しており(お恥ずかしい限り・・・)、湿布や痛み止めで治るもんだと思い込んでいたのです。上海留学中もしかり。
天候に関係なく、腰痛を発症してしまっていたので、中国版ドラッグストア(ここでは药房 yaofang)に薬を求めていった時の記録です。
【当時のログ再編集】
今回、腰痛 (腰酸)な状態になりまして、まだ20代前半やのに・・・、この中药のお世話になることに。
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中药とは・・・
いわゆる漢方薬、中国古来の伝統的な薬のことだそうで、解放前までは、”国药”と呼ばれていたそう。 今でも、この”国药”という言葉はシンガポールや香港、東南アジアの 華僑の間で使われているらしい。
①植物薬、②動物薬、③鉱物薬の3区分あり。
正紅花油、これは①植物薬のようだ!
药房に行って相談したところ、実は最初に出されたのは犬の皮の薬でした。え、シップの代用みたいな感じなのかしら・・・。ワンコは勘弁。犬を飼っているので、未だ犬のお肉だけは頑なに拒否して食べていない程。抵抗があるのです。
犬の皮の薬は勘弁してもらったところ、出てきたのがこの「正紅花油」なのでした。お値段9元(約150円*)。安い。
*2007年のレートと価格です
この油の使用感は、塗ってすぐにスーっていう匂い(結構好き)がやって来て、だんだんとじわじわ温かくなる!!
説明書きを軽く読んでみたところ、温经散寒と活血止痛というワードがありまして。
温经散寒とは、中医学(漢方医学)の用語
体を内側から温め、冷えによる不調を改善する考え方や治療法のことを指す
温経:経脈(けいみゃく)を温める
散寒:寒さを取り除く
温经散寒は腰痛に関係あるんだろうか。。。ん?冷え?冷房か?
活血止痛とは、中医学(漢方医学)の概念
血流を良くすることで痛みを和らげる治療法や考え方を指す
活血:血の巡りを良くする
止痛:痛みを止める
活血止痛はどうやら腰痛と関係がありそう。
[ひとことメモ]
日本と比較すると中国は薬がとても安い!
けれど一方で、医療費は高いと聞いている。治療の前に保証金?(デポジットのようなものか?)を払う必要があるんだとかないんだとか。支払い能力があるかどうかの証明は現金でするという雰囲気のよう。
【補記 2025】
■中医の基本的な考え方
性味・・・薬の性質、性能。 → 人体の陰陽のバランスを調整する
四气・・・寒 热 温 凉 の4種の性質
■正紅花油
薬局で購入できる非処方薬。そして、中国において一般的な家庭常備薬の一つ。風邪による頭痛や関節痛、打撲や捻挫などの日常的な痛みに対して使用されることが多いらしい。
紅花:血液の流れを改善する作用があり、血行障害による諸症状を改善する。”紅花”の本質は、体を温まる作用のある温性で、滞った血行をスムーズにする作用に優れている。特に「心」と「肝」の症状に効果的。
■中医的腰痛
・寒邪(かんじゃ)が原因の腰痛
寒邪とは、寒さによって血行が悪くなり、気血(きけつ)の巡りが滞ることで起こる不調のこと → 「温経散寒」が適用される
・瘀血(おけつ)による腰痛
鈍い痛みが続く、夜に悪化する、押すと痛い → 「活血止痛」
・腎虚(じんきょ)による腰痛(加齢や疲労による)
だるさを伴う、疲れると痛みが増す、足腰が冷えやすい → 「補腎(ほじん)」
そして、今、振り返って思うこと
上海留学も終盤に差し掛かっていたころ、腰痛が日に日にひどくなってしまい、それでも「今回の腰痛はつらいな・・」と思っていた私。HSKの試験当日に脂汗をかきながら受験し、ある友人からかなり強い痛み止めをもらい、友人たちに支えられながら帰宅したのを思い出しました。結局数年後、椎間板ヘルニアが判明し強い痺れから眠ることが出来なくなってまい、手術することになったのですが、この症状を発症したのが香港出張から帰国した次の日という、なんとも中華圏に縁を感じずにはいられないです。
今だからこそ思えるのですが。この時はこのように気軽に中医/漢方に触れられる贅沢な環境だったのです。けれども当時の私は全くと言っていいほど医学/薬学といった方面にアンテナを張っておらず。2007年、中国が「発展」に息を巻いて四六時中工事をしていたあの頃を見つめることに精一杯だったようです。それはそれで当時の私の目で様々な価値観に触れることができたので、財産になっています。
当時の記録を読むと、まぁ若い!ので、何とも言えない気持ちにもなったりするのは否めないのですが、でもそれが20代の私だったんだなとも思えたりします。