「障害者」とは誰なのか?
はじめまして。昨年の4月に新卒でヘラルボニーに入社しました山本しずくです。ヘラルボニーには2021年12月にインターンでJOINし、早2年半。これまで多くのメンバーの入社エントリーを読んできましたが、ついに自分が書く番になりました。(もはや在職エントリですね〜)
自分の人生や考えを振り返り、赤裸々に書き連ねた文を読んでいただく機会はなかなかないので少し恥ずかしい気持ちもありますが、お付き合いいただけますと幸いです。
1. 私が「障害」という言葉に出会うまで
小学校は1学年2クラス、約80人と少し小さめの学校でした。折り紙も好き、鬼ごっこも好き、基本的に遊びはなんでも大好きな私が、昼休みに入り浸っていた場所が「なかよし学級」です。なかよし学級は大人の言葉で言うと特別支援学級です。
なぜ入り浸っていたか。理由は簡単。トランポリンがあったからです。
運動場にはブランコやジャングルジムはありますが、トランポリンはなく、どうしてもトランポリンで遊びたい私は「なかよし学級」に遊びにいっていました。
私にはリカちゃん(仮名)という友達がいました。リカちゃんは、私の前に立ってはいつも「しずくさん元気?元気って言ってるやん!」と体を前後に揺らしながら繰り返し言います。リカちゃんは同じクラスの友達です。リカちゃんは「なかよし学級」で学んでいる時間も多かったのですが、小学生のころそんなことは気にしていませんでした。
「なかよし学級」には他にも他学年の友達がいました。バギーに乗っていて話すことができない男の子、イヤーマフをしている女の子。小学生の私にとって、「バギーに乗っている」とか「話せない」とか「イヤーマフをしている」とか、すごくどうでもいいことで、一緒にトランポリンをしたり、カードゲームをしたり、お互い笑顔で遊んでいることが楽しかったのです。
中学校はリカちゃんと同じ学校に進学しました。しかし、リカちゃんと同じ教室で一緒に何かをするということも少なく、遊ぶこともほぼ0と言っても過言でないほどなくなりました。中学校にも「〇〇学級」と名前がついた特別支援学級がありましたが、行くこともなく名前も正直覚えていません。
小学生の時は「障害」という言葉を知らず、1人の友達だと思っていた「リカちゃん」は、中学生になると「障害があるリカちゃん」と私の中で変わっていったのです。
いつも通り「しずくさん元気?元気って言ってるやん!」と話しかけてくれているにも関わらず、だんだん距離があいていきました。
2. 私が「障害」に対峙した日
私は崖のような急な坂を登った先にある高校に進学しました。
高校1年生のある夏の日、友人たちとプールに遊びにいきました。流れるプールやスライダーなどがある大きなプールです。
どんな遊びも大好きな私が唯一大っ嫌いなのが水遊び。足をちゃぷちゃぷつける程度はいいですが、首より上が濡れるのは本当に嫌です。しかし、誘われたら断れない性分。プールにいきました。
首より上が濡れるのが嫌な理由は2つあります。
1つ目は単純に濡れたくないから。
2つ目は顔を見られたくないから。
私は子どもの2%に見られる斜視があります。小学生の時は本当に気にしておらず、「片目だけ動かせる私、天才やん」とまで思っていたのですが、思春期真っ只中の高校生。見た目で悩むのも無理はない。
普段はメガネをかけているため、斜視かどうかは斜視そのものを知っている人しか分かりません。しかし、プールに入るとどうしてもメガネを外す時間が多く、よく見ようとすると片目だけが寄っちゃいます。
一緒にプールにいった友人らはまったく気にせず遊んでくれますが、プールの場でたまたま居合わせた人はそうではありません。
じろじろ見られることもしばしばあります。そんな中である言葉が私の耳に飛び込んできました。
「障害者おるやん!」
小学生くらいの男の子2人の言葉です。
その言葉が私に向けられた瞬間、咄嗟に
「なんで障害者なん?嫌や!」
と思いました。
自分には絶対に向けられることがないと思っていた言葉が、いざ自分に向けられると心の奥底で本当は持っていた感情が出てきました。正直自分でも驚きました。
何が嫌だったんだろう。帰路につきながらすごく考えたことを覚えています。
「障害=欠落」
行き着いた答えはここでした。
高校生の時は、知的障害のある人の余暇活動をサポートする部活に所属し、毎月の活動を楽しんでいた私が、無意識にそう思っていたのです。
正直、「欠落」という強い言葉を思っていたわけではないですが、「できないことが多い人」、「私が助けてあげる人」、「私とは違う存在」と思っていたと思います。
自分自身の偏見や差別意識に気づくというのは受け入れ難いものです。
当時は何度もこの記憶を反芻し、反芻しては自分は偏見なんてない、差別意識なんてないと思うために言い訳を考えました。
昔からルールや先生のいうことをしっかり守る「いい子」だった私には、「偏見や差別はいけません」と教えられていたので、自分の無意識下に存在した偏見や差別意識に対峙してもその記憶から逃げることしかできませんでした。
3. 私が「障害」を学び、知る
大学では特別支援教育を専攻しました。子どもの頃から小学校の先生になりたかった私は教育学部に進むことを決めていました。
でもどうしても捨てられなかったのが「障害」について知りたい、学びたいという気持ちです。
だから教育も障害も勉強できる特別支援教育を専攻しました。結局先生の道には進まなかったのですが、このお話は置いておきます。
大学ではじめて「障害の社会モデル」に出会い、とても驚いたことを覚えています。
「障害」は個人に内在するものではない。
とても腑に落ちたと同時に、どうしてこれまでこの考えに至らなかったのかを考えました。
「障害」という言葉は、立ちはだかるもののようなイメージなのに、「障害者」になると途端に個人に障害が内在化されるような気がする。
これまで生きてきて、道徳の教科書の中に出てきた助けてあげないといけない「障害者」、義足”なのに”頑張って山に登る「障害者」のような、日常生活の中に溢れる「障害者」という世間一般が見出しているカテゴリーにとても違和感を持ちました。
「健常者」と「障害者」ってなんだろう?
「障害者」に対する無意識の偏見や差別意識ってどの時点から植えられていくのだろう?
「障害者」という言葉そのものに内包されるイメージや、どのタイミングで「障害者」という”世間一般”のカテゴリーを形成していくのかにすごく興味があり、大学を卒業後は大学院に進学し、日々こんなことを考えながら研究を行っていました。
4. 私がヘラルボニーに出会った日
2020年2月21日、霞ヶ関の弁護士会館前である意見広告が出されたことを知りました。
この国のいちばんの障害は「障害者」という言葉だ
これだ!私も思っていた!と興奮したことを覚えています。当時インターンシップをさせていただいていた独立行政法人のみなさんにも知っていただきたく、グループ内報で勝手に紹介するくらい興奮しました。今でもどのようなレイアウトで載せたかも鮮明に覚えているほどです。(勝手に載せてごめんなさい。)
調べていくと株式会社で行っているということもわかりました。
「障害者」と「健常者」の二分化の解消とビジネスに興味のある私にとって、同じ方向を向いていて、株式会社として戦っている会社があると知ってとても嬉しかったです。
それから、常にTwitter(現X)をウォッチしてヘラルボニーの情報を集めていると新卒採用を見据えたインターンシップの応募が目に飛び込んできました。
想いが綴られたインターン募集のnoteをよみ、一番下にある募集要項に達した時にドキッとしました。
インターンシップ対象は大学3年生。
当時私は大学院1年生。
知らん!関係ない!応募したれ!ということで、応募締め切りの数分前に志望動機を書き上げ提出しました。
(後に聞いた話では、当時のインターン生が「大学院1年生も大学3年生と就活のタイミングは同じですよ」と説明してくれたとか、、!)
無事インターンシップに参加でき、ひよっこインターン生を迎え入れてくださった皆さん、そして支えてくださったメンターの方々のおかげで大学院卒業後晴れて新卒でヘラルボニーの社員として働けることになりました。
5. おわりに
現在は、HRチームとコーポレートチームを兼任し、素敵な仲間に囲まれ、日々奮闘しながらとても楽しい社会人生活を送っています。
ヘラルボニーで働く中で、ふと一人語りと称して軽く書き綴った文章です。
ヘラルボニーの思想を届けつづけたら、このnoteで書いたような障害のある人への無意識の偏見は、古典を読むかの如く、こんな時代があったんだと背景説明がないと意味がわからない世代がくるかもしれない。そんな未来がみてみたいし、そんな未来を作っていきたいと思っています。
そしてもう一つ。
あるアカウントメンバーは「クライアントさんを幸せにする」と、あるリテールメンバーは「お客さんは仲間だと思っている」と教えてくれました。
広報メンバーはヘラルボニーの思想を丁寧に丁寧に届けてくれ、経営企画室のメンバーは営利企業として戦う素地を積み上げていってくれています。
岩手事業部は着実に岩手の地に根を伸ばしています。
そしてみんな、ヘラルボニーの作家さんのことが大好きで、常に作家さんへ思いを馳せています。
自分よりも誰かのために全力を出せるメンバーで、ちょっぴり自分のことは後回しになっちゃう、そんなヘラルボニーメンバーを私は誰よりも支えていきたいと思っています。
こんなカチカチな文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。文章からも滲み出る真面目さ(自分で言うなw)が私の取り柄でもあります!これからどうぞよろしくお願いいたします!
番外編. 私を構成するもう1つ
私を構成するものは何かと聞かれたら、この2つかな?と思うものがあります。
1つ目は書かせてもらった「障害」について。
そして2つ目は「ネパール」です。
最近は街中に「インド・ネパール料理」という看板とともに、赤がメインカラーで青の縁取りがある三角が2つくっついたようなユニークな形をした国旗を見かけるようになったあの国です。
せっかく書くのだからネパールを抜いては書けないな。そう思い、番外編を作ってしまいました、、!
高2の冬、もうすぐ高3に近づく、よく「高校3年生0学期」とか言われるような時期に、官民連携で行っているトビタテ!留学JAPANという制度を使って人生ではじめて留学をしました。
(実は、ヘラルボニーはトビタテ!留学JAPANの応援旗のプロデュースもさせていただいています!)
どこの国に留学をしたか。それは「ネパール」です。
この留学がきっかけでネパールが大好きになり、コロナ禍以前は年に数回行っていました。
本当はネパールについても書きたいところですが割愛します(笑)。でもネパールが大好きなんだってことを書きたいがために番外編を作ってしまいました、、!
ネパールでもたくさんの障害のある方々に出会いました。
いつかネパールの障害のある方とも一緒にお仕事できるように虎視眈々と狙っています。
धन्यवाद !
おしまい