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生物学と社会学~アイドルの愛し方(その壱)
今日こそは早く寝る。
なので、今夜はお風呂が沸くまでのほんの少しの間、と決めて書いている。
最初にお断りしておくと、これから書こうとする内容は、何かを悪と定義して糾弾したり、断罪したりしようとするものではない。
そして、部分的にちょっと刺激が強い箇所があるかもしれないので、18歳未満の方は、ここでそっとページを閉じられるか、保護者の方にご相談いただくことをおすすめする。
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あー…ダメだった。
いま、湯船でこれを書いている。
人生初めてのアイドルのファンダムに身を投じて、ちょうど今日で7か月が過ぎた。
喜びを分かち合いたくて、Twitterにアカウントを作り、お友達ができて、いろんな決まり事やお作法を学びつつ、毎日楽しませてもらっている。
しかし、わたしは、ごく初期から、彼らを「音楽的に」「社会的に」「生物学的に」という三つの観点から見ている自分に気づいていた。
※音楽の話は、また別の機会にしようと思う。
なぜなら、とても長くなる上に、今回の論旨からはちょっと外れるから。
でも、これもきちんと自分の中でカタをつけておかないと、いつか自分の心を殺しにくる。
そのうち書こう。
アイドル。
それは、崇め奉られ、愛されるもの。
こう書いただけでも、すでに社会学と生物学の要素がマーブル状になって香ってくる。
特に彼らは、そのポリシー、言葉、行動、歌詞で、社会学的に目を背けられないほどの魅力を放っている。
そして、もちろん、その声で、そのダンスで、その姿で、そのしぐさで、生物学的にも強烈な魅力を放ち続けている。それはステージの上で最高に発揮されるが、ステージの外でも、衰えるどころか、別の輝きを放ってファンたちを虜にしてゆく。
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エンターテインメントに携わる演者が、舞台の上以外で、どれぐらい生物的な魅力を放出するかは、これまではおそらく管理者(所属事務所)がコントロールしてきたのだと推測される。
しかし、この休業期間中に、なんと個人のInstagramのアカウントが開設されてしまった。
投稿されたものを見る限り、事務所のチェックなどはなく、個人の裁量でコンテンツが投稿できるようになってしまった。
楽しみであると共に、わたしの心には、ふとおにぎりひとつ分ほどの大きさの不安がよぎった。
そして、公式が「アーティスト保護」として守ったきたものを、割とあっさり見せてくれるようになった。
…これは、見せる側、受け止める側にとって、歴史的な大事件なのだと思う。
上記記事に書いたように、その人ごとに、アイドルの好きな点は重複したり異なったりしながら存在している。
そして、個人個人に、自分でも意識しない「生物学的愛と社会学的愛」の配分ラインがきっと存在している。時には一本。時には複数本。
それらのラインは、彼らが自ら見せてくれる「生物学的な魅力」をどう判断するのだろう。
今日はここまで。
次回はay女史に以前いただいたキーワード、「共感性羞恥」を交えて、書いてみたいと思う。
よし。一時前にお布団に行ける。
寝る。