リズムの概念レベルについて
リズムの概念レベル
リズムには拍子(拍節)・フレーズ(グルーピング)・グルーヴ(ノリ)という3つの概念レベルを考えるべきだ。
大雑把に言うと、拍子(拍節)レベルは強拍・弱拍の構造や、音の整数的な配分に関わる。楽典の知識は、このレベルの初歩に過ぎない。
フレーズ(グルーピング)レベルは音の結びつきのレベルである。フレーズ・レベルは拍子レベルを基礎として成立する。拍子を抜きにしてグルーピングを考えることは不可能ではないが、それは全く別の存在である。
そしてグルーヴ(ノリ)・レベル。その実現には音の配分の極めて微妙なコントロールを必要とするレベルであるが、その本質を理論的に言い表すことは不可能ではあるまい。
拍節レベルの議論をしているときに、グルーヴの違いの話題を出したりしては混乱の元である。
拍子(拍節)レベル
リズムの最もシンプルな階層は拍子である。
一定間隔のビート、あるいはパルスが最も単純なリズムであり、拍子の原型となる。
ビートやパルスは時間的な点であるが、その機能は時間を区分することにある。だからビートはかつては小節と同じ意味を持っていた。
この時間区分を分割することによって拍子の基本構造が生じる。もちろんこの基本構造を知っている者にとっては、小さな時間区分を集めて大きなまとまりとして感じることも可能だろう。
強拍は大きなまとまりの先頭と考えればいい。先頭は構造的な軸になっているため、強く意識されるのである。
この分割は必ずしも等分である必要はない。
そもそも人間は、ある時間をちょうど半分にする点を簡単に見つけることはできない。
しかし2分の1や、3分の1のような、比較的単純なものについては、感覚的に大雑把な判断をすることが可能である。
だから分割は等分が直接行われるのではなく、小さいレベルの別のビート列を入れ子状に含むように行われる。
このような分割を行うと、我々がよく使う普通の拍子(4/4, 3/4, 6/8 etc.)を生み出すことができる。
3拍子を2+1に分割する、などという変則的な拍子(準拍子)も同様にして生み出すことができる。
我々はこのような様々な拍子の構造を頭の中に持っていて、実際の音楽を聴く際にそれらのうちのどの拍子に当てはめたらちょうどハマるかな、という判断を瞬時に行う。
私はこのような頭の中の構造を認知心理学の用語を用いて「スキーマ」と呼んでいる。世の中にあるリズムというものの多くは、人間の持つスキーマの影響の元で生じたものである。なぜならば、音楽家は人間に理解できるものを作らねばならないからである。
フレーズ(グルーピング)・レベル
拍子レベルでは強拍がその後に続く弱拍をまとめていた。だからフレーズ・レベルでも、強拍を先頭とするフレーズは優位性を持っている。
実際、リズムを考える際に上記のような拍節的グルーピングを考えておくだけで済んでしまう場面は多い。
しかし拍節的なグルーピングに一致しない位置でグルーピングが生じる場合も当然ある。このようなグルーピングの生じるメカニズムを説明するために、私はこれらのグルーピングが拍節的なグルーピングをずらす操作によって生み出されるという仮説を立てている。一見突飛なアイデアに思えるかもしれないが、こう考えればシンコペーションも同時に説明できるのでリズム構造全体を極めてシンプルな理論にまとめることが可能である。
グルーヴ(ノリ)・レベル
グルーヴとして一般に語られることのうち、ある程度は1つ前のフレーズ(グルーピング)・レベルに属するものかもしれない。
このレベルに関わる要因は、時間的配置の微細な違い、アクセント、それらの細やかな陰影付け、などであり、楽器によってはイントネーションを揺らしたりすることも関与するだろう。
また、グルーヴに関連があると言われていることには他に、「重心」とか「フィール」などと呼ばれている感覚がある。しかし体重をかけるとか、感じるなどという説明はその際の感覚のいくばくかを捉えているとはいえども十分なものとは思えない。私なりの説明を加えるとすれば、そこには運動の「ゴール」「目的地」がある、と言えるのではないかと思われる。和声で言えば一種の終止感であるし、メロディーの動きの局所的な目的地、のようなものなのではないか。2拍目、4拍目をゴールとする運動は、そこで休息し次の拍との関係が弱まる。逆に1拍目、3拍目をゴールとする運動においては、2拍目と4拍目は出発点として理解される。このようにグルーヴを理解するならば、グルーヴはフレーズ(グルーピング)・レベルのリズムにも強い関わりを持つように思われる。
だがリズムとは送り手と受け手の共同作業によって成立する現象である。であるからそれは、音の配置だけによって決まるものではなく聴く人間の認識的な準備が必要である。4拍子の2拍目や4拍目に「重心」を感じるなどということは、我々の頭の中のスキーマがそのような形を準備している時に、それにピッタリ合致する音刺激が外部から与えられた時に初めて成立する。
つまり聴き手は受け身ではリズムを十分に感じることはできないということである。リズムを感じるためにも、訓練と積極的な参与が必要である。
カテゴリー:音楽理論
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