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「今、ここ」にある、圧倒的で不可思議で、あかるい世界/美術家・詩人 田中重人さんインタビュー

青い画面に、白く一本の線が水平にのびていく。

ああ、これは好きな青色だと思った。シンプルなのにふしぎと単調ではない。青のなかに水面のような揺れがあり、光を反射しているようにも、光をはらんでいるようにも見える。白い線は、その青を切り裂くことなく、やはりゆらめくように発光しているのだった。眺めていると、吹き抜けの高い窓からのひかりが、青い画面のうえをにじるように移ってゆく。

この絵は、神山で暮らす田中重人さんが描いた、「祈り」と題する絵画シリーズ連作のひとつ。一つひとつの絵には、小さい詩のようなタイトルが与えられている。わたしは、10月に訪れた徳島・神山町の「豆ちよ焙煎所」でこの絵に出会った。

豆ちよ焙煎所に展示された絵画シリーズ連作「祈り」のタイトル(筆者撮影)

彼は詩人でもある。川の生き物が好きで、その生態系をちいさく表現する水槽をつくるのも上手だ。表現形態が先にあるのではなく、彼のこころの動きがかたちになったものが、たまたま絵画であり、たまたま詩であり、あるいは水槽なのだと思う。そのあり方がなんとも心地よくて、お話を聞かせてほしいとお願いした。場所は、神山温泉の裏手を流れる川のほとりで。声と声の間の沈黙には、ずっと水の音が響いていた。(写真は特に記載のないものは田中さんご提供)


祈っていれば「その人」の存在を思い出せる

絵画シリーズ「祈り」には3種類の色鉛筆が使われている。あの青は手の動き、線の集合体なのだった。抽象画のようだが、この絵画のはじまりは、まったくコンセプチュアルなものではない。

田中さん ただ、この塗り重ねかたをしたら、青の発色がおもしろいとたまたま見つけて。「この青が作品になってくれるかも」と塗りはじめました。最初は、ちょっと急いでしもたんですよ。とたんにダメになって。だから、あの作品をつくるときは、すごくコンディションが大切です。時が満ちていくときのような、ゆっくりした時間の流れかたがあって、そのスピードに僕は従わなあかんというか。ゆっくり薄く描いてみたら、画面がいきなり変わって深みが出ました。そのときに、僕のもっている祈りの感覚と結びついたんです。

祈りを込めて引く一本の線が、何千本、何万本となり、一面の青を生み出していく

田中さん 僕の感覚では、祈りは「黙祷」に近いんですよ。ただ沈黙に身を浸したときに、「この世界のなかにみんなちゃんとおるよ」「しんどいなりに、その人のところにちゃんと人生があるよ」って思えるんです。それを思おうとしているというか。僕、しんどかったときに、祈るように生きたけど、一番しんどいときは祈れなかったんです。もう、無、みたいな。体がいたくて消えたい、消えたい、毎日消えたい。そうなると、家族も声をかけられないんです。へんな言い方ですけど、祈れないほどしんどい、人生の一番つらい現場にいる人の、声を聞き逃さないために祈る。祈っていればその人の存在を思い出すし、絶対にそういう人がこの社会にいっぱいいるんだと身に迫ってくるというか。

豆ちよ焙煎所での展示のようす。映り込んでいる女性は、
田中さんのパートナー、やっちゃんこと泰子さん(筆者撮影)

田中さんは、2014年から5年間、パニック障害と双極性障害というふたつのつらい病気をわずらい、社会生活から離れなければならなかった。人に会うのがこわくて家にこもり、郵便配達のバイクの音にさえおびえた。発作はなおさら堪えがたかった。「体が痙攣して、呼吸が苦しくなり、意識が遠のいて、ぐったりと倒れ込む」ことを繰り返した。そんなとき、やっちゃん(田中さんのパートナー、泰子さん)は、何も言わずに体をマッサージしてくれた。すると、遠のいていた意識がだんだん戻ってきて、やっと正気に戻ることができたという。

からだが動く日は、車に折り畳み自転車を積んで出かけ、ひろびろした景色のなかでサイクリングをした。川にルアーを投げてナマズを釣る日もあれば、土器を探してみる日もあった。しんどさのなかに、少しでも「心地よい時間」を見つけることが、回復へのゆるやかな道筋になった。そんなある日、菊地成孔さんのラジオ番組で、アントニオ・カルロス・ジョビンの『三月の水』の訳詞の朗読を聞く。


春の田園風景のなかで詩がこみあげた

『三月の水』は、聞けば誰もが知るボサノヴァの名曲だ。しかしその歌詞が、神経症からの回復の途上にあったジョビンによって書かれたことは、あまり知られていない。まぶたに残る一瞬の風景のような短いフレーズが耳の奥に溜まり、『三月の水』のイメージが立ち上がってくる。田中さんはこの詩に惹かれ、またジョビンの境遇が自分に重なるように感じもした。そして、サイクリングしているときの田園風景を「三月」という詩に書いた。

当時、サイクリングしていた徳島・石井町の田園風景

突風。
南からくる風。
ゆるみ。
ぬかるみ。
よどんだ水。
に沈む小石。
雲。
流れる。
足早に。
空。
あらわれる青。

田中重人「三月」より一部抜粋

この詩を書いた後、「もしかしたら、自分は詩でもう一度表現の世界に戻れるかもしれない」と思ったという。

田中さん 僕は、大学で現代アートをやっていて、21歳のときに大阪にあった信濃橋画廊『関西若手五十人展』でデビューしました。その作品はいきなり売れたし、批評家からの評価も得て、だんだん作家として認められていきました。でも、本当は自分のなかで解決せんとあかんことがいっぱいあったのに、なりふり構わずやっていて。作品に内容がないし、そもそも自分には教養もない。そこに対する負い目や引け目があって、続けられなくなった。24歳のとき、美術から足を洗って東京に引っ越し、10年間はいろんな本を読んで暮らしました。

哲学、歴史、近代文学。ハイデガーの『存在と時間』を、9か月かけて何冊もノートを取りながら緻密に読み込んだこともあった。しかし、どんなに教養を身につけても、ずっと「後ろ髪を断ち切った感じ」を抱えていたのに、彼はアートの世界に戻ろうとはしなかった。東日本大震災後、東京での生活に行き詰まりを感じ、神山に移り住んでからも、そのことに変わりはなかった。なのに、5年間の苦しい闘病生活のなかで、気づくと詩を口ずさんでいた。まるで、失っていた声を取り戻したかのように。

田中さん 美術という、本当は楽しくて、いちばんしたかったことを封印したことが、20代半ばから30代の苦しさの一番の原因やったと思います。するべきものをせずに断ち切ってしもたから、病気が「待て待て待て〜」いうて、発作を起こして、発作を起こして、「あんたやることあるぞ、置いてきとるで」と気づかせてくれた感じはすごいありますね。もし、病気していなかったら、僕の人生すかすかやったと思いますもん(笑)。文句たらたら言いながら生きてた気もするんですよね。今は、病気してよかったーと思っています。

誰もが「病気してよかった」と言えるわけではない。彼がそんなふうに言えるようになって、本当によかったと思う。そう言えたからこそ、彼は「祈り」を絵に描き、詩を書いているのだろう、と。


詩集「トトとコト」と「ヴァルネラブル」

詩「三月」のあと、田中さんはたくさんの詩を書いた。最初のうちは、物語のある詩を書いていたが、「遊び」のようなつもりで身近な出来事をやさしい言葉で詩に書いた。

そのうちの一篇「たやさぬように」が、若松英輔氏の公式ホームページ「読むと書く」で開催された作品発表会(テーマ「火」)で、第三回木蓮賞を受賞する。その後の作品発表会でも、「きんようの夜」(第6回)「えーえん」(第7回)「こおろぎ」(第8回)と立て続けに佳作入賞した(いずれも第一詩集『トトとコト』所収)。

第三回木蓮賞受賞作品「たやさぬように」
第6回佳作入選「きんようの夜」

田中さん 「きんようの夜」について、若松さんが選評で「この書き手の詩における文体の誕生を感じさせる」と書いてくれたのを読んで、自分では半信半疑だったけど、試しにこの文体で書いてみようと思ったらうわーっと出てきて。それが第一詩集『トトとコト』になりました。200篇くらいの詩がたまったとき、やっちゃんに「本にしたら?」と言ってもらって。詩集や絵を通して人と出会うのはすごくうれしいし楽しい。大変な思いをしてきたけど、もう一回人生を選べるとしたら、僕はたぶん自分の人生を選ぶと思う。この人生でいいと思えるようになりました。

田中さんの詩集は、まず神山町内のいくつかのお店で発売した。まちの詩人の処女詩集を求めて、まちの人たちがお店に立ち寄る。そして「しげちゃん(田中さんの愛称)の詩」を読んで、詩に歌われる「やっちゃん」や「こっちゃん」を思いうかべて温かくなる。

手から手へ、ちいさくてもたしかなぬくもりがひろがるように、ふたつの詩集は150部ずつ版を重ねている。第三詩集の準備も進んでいて、タイトルは『セカイハアカルイ』というそうだ。すべての詩には、田中さんが信じているこの世界の「あかるさ」が映り込んでいる。

現在準備中の第三詩集『セカイハアカルイ』より。
全ページフルカラーで田中さんが描くイラストが入る


それでも「世界はあかるい」と信じている

20代の頃、田中さんはノートに「世界は圧倒的で、充溢していて、不可思議であかるい」と書き留めていた。だから、どこにも行かなくていい。「今、ここ」という自分の体がある場所が、自分にとっての「聖地」だと感じるという。

田中さん いろんな宗教ごとに聖地があるけれど、僕の聖地は常に「今、ここ」なんです。ここが聖地にならんかったら意味がないよなって思いがあって。「けやきをみにでかけた/きゃべつをかってかえってきた」という詩(「欅」、第一詩集『トトとコト』所収)を書いたことがあります。自転車で見に行くと公園にいつもの欅がちゃんと立っていること、スーパーに行ったら新鮮なキャベツがそこにあることが、僕にとってはすごいなにごとかで。どこか遠くにでかけなくても、自分がすっと黙ったときに、今ここにある世界って本当に圧倒的やなと思います。

東京に住んでいた頃、田中さんが眺めていた欅の木(ご友人提供)

「あほなこと言うようやけども」と、すでに笑いながら口にして、田中さんは「僕ね、世界って根アカやと思うんですよ」と言った。その「根アカな世界」は、彼が子どもの頃に歩いていた「通学路」へと通じている。

田中さん 子どものときの通学路は、僕にとって世界の何より楽しい場所でした。虫がおって、川があって、魚がいて、アオサギがいて「あれ、絶対に昨日のあいつやで」って友だちと言い合うぐらいなじんでいた。僕は家庭環境がけっこうシビアだったから、外の世界が僕にとってすごく大切やったんかなと思います。やっぱり、通学路は今思い出しても無条件にあかるい世界で、それがあることでたぶんすごい救われていたと思う。いろんなしんどいこと、つらいことがあるけど、まちがいなく世界自体はそんなことないよって。もっとあかるい場所やからねって言ってくれてる感じがあって。だから僕は、世界があかるいんだと信じていればそれでいい。もし、僕が信じることをやめたところで、圧倒的にあかるい世界がそこにあるという安心感はあります。

田中さんの絵画や詩に感じる不可思議なあかるさは、きっと、この通学路へと続いているのだろう。長い闘病生活をおくっていた、ひどくしんどい時期に書かれたはずの詩でさえも、あかるいひかりに包まれている。それは、言葉の意味のあかるさではない。言葉そのものがひかりになって、読む人の心を、その時間と場所をあかるくするのだ。

第一詩集『コトとオト』より。絵は田中さんの娘・ことちゃんが描いている


「祈り」から「祈りの場」へ

田中さんは今、一年ぶりくらいに詩がわきあがる時期を迎えている。話しているときも、「昨日、ひさしぶりに4つくらい詩を書いたんです」と、少し照れながら、でもとてもうれしそうに朗読してくれた。ひとつ、ここで紹介したい。

「火」
動物園にいったら
さるが火をなげつけてきた
やりかえそうにも、わたしの手のなかに
もえさかるような火はなかった

田中重人

「もえさかるような火」とは、かつて田中さんのなかにあった「怒り」のような感情だ。かつては、その熱い感情を原動力に、日々なにかと闘うように生きてきたけれど、「今は闘いとは違う場所にいる」という。それもまた、病気を通じて起きた変化のひとつだ。

田中さん いろんな過去を振り返ったとき、やっちゃんが「傷ついてきたんやね」って言ってくれたんですよ。「ほんまや!」と思って。初めて、子どもの頃の家族との関係のなかで傷ついてきたんやなと認識しました。当時は、「なにくそ」やったから傷ついている感覚はなかったんですけど、あのときしんどかったんやなと思えたときに、「もう自分の人生を生きよう」と思えました。

ことちゃんと一緒に遊ぶ田中さん

最近はふたたび、「大きい作品をつくりたくなってきている」そうだ。祈りをこめる作品というよりは、人が集まって祈る場になるような作品。あるいは「祈る場」そのものをつくりたいと言う。

田中さん 大学の頃のインスタレーションはすごい気負っていたし、言葉から考えていたところがあったけれど、日常の中の聖なるものへの思いは当時からずっと続いています。そして今、自分がもう一回インスタレーション的なことをしようとしている。すごい新しい展開が動いているなあと思います。

第一詩集『トトとコト』の表紙の見返しに、「“あとがき”にかえて『空白の五年間』」と題した一枚の紙が差し込まれている。そこには、田中さんが過ごした「困難な五年間」「苦しくて辛い五年間」についての短い文章と、病気について歌った、ただひとつの詩「いのり」が印刷されていた。少しだけ、引用する。

あなたのありのままで
苦しみのただなかに身を潜めて
夜の沈黙に耳を傾けてほしい
何も聞こえない声がある
なぜならそれは
語り得ない言葉だから
あなたがいま
経験していることは
語り得ない言葉を秘めた夜の
親しい友になること
あなたはすでに
夜に認められた
かけがえのない存在だから

田中重人「いのり」一部抜粋

日常のなかの聖なるものは、すべての人の「今、ここ」にある。絵を描かなくても、詩を書かなくても、自分がいる場を守り抜こうとする、それ自体が祈りなのだと田中さんは言う。たとえば、仕事をしたり、料理をしたり、洗濯ものを畳んだり、体を横たえるシーツを整えたり、日々の暮らしをつくる行為にも込められているのだ、と。自分と他者の、人生を生きることへの敬意をもつことが、わたしたちの祈りなのかもしれない。

もしこの記事を読んで、彼の詩に興味をもったら、詩集を手もとにおいてほしいと思う。あるいは、取り扱える書店やお店の方は、その営みのなかにこの詩集を置いてもらいたい。彼の日常を歌う詩は、かならずあなたの日常にも重なり合う。そして、その重なり合ったところから、あかるい世界への回路がひらいてゆく。


●田中さんの詩集を取り扱う書店など


<徳島>
豆ちよ焙煎所(神山町・寄井)
ていねいに一粒ずつ焙煎するロースター。店内ギャラリーで『祈り』の展示も行われた。
https://mamechiyo.shop/

魚屋文具店(神山町・上角)
懐かしく、ちょっと楽しい文具、メッセージカードなどが並んでいる。
https://www.instagram.com/sakanayabunguten/

<京都>
レコード・CDと古本屋 100000t alonetoco.
http://100000t.net/
京都市役所のとなり。ほぼごきげんかつ無休、12〜19時。

古書・ミニプレス&ギャラリー レティシア書房 
地下鉄「烏丸御池」駅下車、徒歩10分。月・火定休、13〜19時。
https://book-laetitia.mond.jp/

<神戸・元町>
1003
新刊・古本・ミニプレスのめっちゃいい本屋さん。火・水定休、12〜19時。
https://1003books.tumblr.com/

<東京・高円寺>
Amleteron
読書と手紙にまつわるお店。営業日はブログ等で確認、12〜18か19時。
http://amleteron.blogspot.com/

<オンライン>
田中重人さんの詩集販売ページ「ナツノヒ」

https://tototocoto.thebase.in/

●田中重人さん関連リンク

note「タナカシゲト」
https://note.com/totototocoto
やっちゃんによるインタビュー、詩集「トトとコト」の付録「“あとがき”にかえて『空白の五年間』」全文などが読めます。

Instagram
https://www.instagram.com/shigeto.tanaka1976/
田中さんのアート作品が日々発表されています。

めぐ@詩のソムリエさんの詩集紹介記事。ぜひこちらも読んでいただきたいです。


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