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お坊さんのインタビューを始めてしまった

昨日のnoteを読んでくれたライターさんたちから「成仏させられないって感覚、めっちゃわかる!」とご連絡あり。当時のわたしと同じく、みんなが「成仏」という言葉を「さまよう霊魂をあの世へ送り出すこと」みたいなイメージで使っているのが興味深い。だけど、仏教でいう「成仏」は「悟りを開いてブッダになること」なんだけどね。

しかし、「このままでは、この人たちの人生の物語は成仏できない」と思ったあげく、お坊さんのインタビュー企画でをするなんて。ネタか、シャレなのか?と思われそうだけど、そういうわけではなくて。

今このとき思い出すまでそのつながりは意識していなかった。詰めが甘いというか、ぼんやりしているというか……。まあいいか。話をつづける。

彼岸寺は、2003年に松本紹圭さんのブログとして始まり、その後さまざまな宗派のお坊さんたちが関わりながら運営されていたウェブマガジンだ。コンセプトは「インターネット上の寺院」。お坊さんだけでなく、お寺のお嫁さんや仏教に興味を持つ人たちが集まって、あれやこれやを書いていたし、この集いから仏教を軸にした新しい関係性が生まれていった。

「お坊さんのインタビューを連載するなら、ここしかないな」

そんな感じで、お正月にポンと企画書を添付したメールを送信。快く受け入れてもらっただけでなく、彼岸寺のお坊さんたちの手厚くサポートしていただきながら、約4年の間に33人のお坊さんにインタビューした。テーマは「会いにいけるお坊さん」。「お寺ともっと深くご縁を結びたくなったひと」に向けて書いた。連載タイトルは「坊主めくり

「なぜ、出家したのですか?」

お坊さんのインタビューはこのひとことから始めていた。すると、一人ひとりぐーっと深い答えが返ってくる(あたりまえだ)。お寺に生まれたわけでもないのにお坊さんを志した人もいたし、お寺に生まれたのが嫌で出家の前に家出したという人も少なからずいた。お坊さんに会えば会うほど、このインタビューの面白さ、超重量級の面白さにうちひしがれた。

「人生をかけて出家しはった話を、わたしなんかが聞いてていいんやろか」

自分でやりたくて始めたインタビューだから、すごく楽しかったし、思いっきり書けることもうれしかった。今、読み返しても「この人(←自分)、えらい楽しそうに書いたはるなー」と思う。

でも、自分ごとき若輩がお坊さんの人生を受けとめられているのか?と、自問自答するようにもなっていった。「せっかく聞いたのに書けないなんて」と悩み、聞いてしまったら聞いてしまったで「これを書くのはわたしでいいのか?」と悩む。真面目なワガママなのである。

そして、お坊さんインタビューをはじめて1年が過ぎた2010年春。京都精華大学の公開講座GARDENでインタビューに関する講座をみつけた。講座名は「インタビュアーは何をしているのか」、講師は西村佳哲さん。

「西村佳哲さん、てどんな人やろ?」

講師紹介に書いてあった著書、「自分の仕事をつくる」を買って来て読む。内容の面白さもさることながら、「あ、この人のこと信頼できる」と思えた。あのときの「信頼できる」感覚は、今もずっと西村さんに持ち続けていて、鮮度を保ちつづけている。とてもありがたい人。(ちなみに、まったく関係のないことだけど、西村さんはお坊さんではないのだがお坊さん的なヘアスタイル?なので、そこにもちょっと親しみを感じる)。

西村佳哲さんとの出会い、あるいは西村さんから学んだことは、まちがいなくその後のわたしのインタビューを変えてしまった。そして「聴く」ということについての探究は今もつづいていて、編集学校をするときにも大切に伝えるようにしている。

※画像は、極楽寺ご住職で消しゴムはんこ作家の麻田弘潤さん作。

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