ボイス、ボイス、ボイス 2024/10/27週
よくあるチャット形式の
インターフェースはこっちの左側に
自分のアカウント以外のボイスが
吹き出しの中に表現されることが
多いように思います
自分のアカウントは
大体こちら側ですね
とはいえ
noteには吹き出しの機能が
ないので、これが自分のボイスで
左側が自分以外の
ボイスとは解釈され
づらいかもしれません
例えばこうして想像上の"半分"の境界を越えて
右寄せのブロックがこう真ん中より左に寄って
いくと全体としてボイスの分割という
印象は薄れていって、この人は
何がしたいんだろうと
思われても仕方ありませんよ
そこでアイコンを使うやり方が
note公式で紹介されていました
でも、アイコンを使うなら
はじめから左詰めでも
同じことだろうと思います
なるほど、読む人は
アイコンの違いを話者の違いと
捉えるだろうから
左詰めで統一されていても
かわりないということですね
吹き出し形式ではない
チャットはそうなっていますね
― そんな風に遊びはじめそうになります。
― と、インタビュアーの私は"―"を使って、この会話の外から発話していることを装うことができるわけです。
― では、お二人はそういったボイスの分割のインターフェースの形式について、どう思われますか?
この"―"は編集するときに私が付け足した"もの"で、インタビューのその場では、私はニコニコ笑いながら二人が会話しているのを眺めていた。話がうまく転がれば"―"はなくても構わないと思っていた。二人が楽しそうに会話できていれば、私がその場であらかじめ設定していたテーマなんてどうだっていい。真剣な話になってきたら、眉間にシワを寄せることも辞さない、と。
私の話している内容にどこか
不愉快なことがありましたか
さっきからずっと眉間に
シワを寄せていますが?
こういった
インターフェースの形式を用いずに
たとえば小説で
ボイスが分割されているように
捉えられるのは何故なのか
それを考えていたんです
(そんなことを考えて何になるんだろう。
何故なのかを問うより、それで何ができるのか考えるほうが
少なくとも自分の性にはあっているな。
Aもそう思っているに違いない。
そもそも私とAは元々一つだったんだから。)
もう私はAの役割を続けることにうんざりしています。私はいま喋っていることが"真ん中"を過ぎているとか、括弧やカギ括弧で括られているとかそういうのが面倒になってきているからです。だから今だってもう改行なんてせずに喋っているんですよ。アイコンがあればわかるでしょう。そういうことですよ。
以前からこういうことを試してみようと思っていました。
というこのフレーズは、たぶんこの文章の書き手のボイスとして解釈されるかもしれません。今日のところはそれでいいでしょう。
もう書く時間として予定していた2時間をとっくに過ぎているので。