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それならよかった 2024/09/29週

 何週か前に投稿した内容と同じような目的(”実家の整理”)で帰省をしてきた。
 実家に帰省してきた、と書こうとして何となくひっかかって"実家に"のところを消してしまう。その投稿でも書いたように前住んでいた家にはもう誰も住んでおらず、実家だった建物は空き家になっている。家族がそこに誰もいないという状態がそれを自然には実家と呼べなくさせている。

 その投稿の中で彼と書かれていた人物は、実家が営んでいた国道沿いの店に正面から入るのに自分が抵抗を感じているのに気づいて、それならと店の前の鍵をあけて入っていく。私は空港から実家までたどり着くまでに、世話になっている弁護士のところで店の前の鍵は"バカ"になっていると聞いて、鍵を差し込んで実際にそれが”バカ”になっているかも確かめないままに、裏口に回り込んで店に入ることになった。

 回りくどくなってしまうけど、これも書いておかないと済まない。今回たまたま自分が帰省する当日に連絡のついた同郷の友人が、それもたまたま都合がついて車でその国道沿いの店まで送ってくれた。
 駐車場にはいれる店の前の道路で右折待ちで停車している間、店を使ったことのある人がすれ違うかもしれない、というかすかな感覚を少し後で友人も感じているらしいと気づいた。というより、友人が感じていたのは多分、ここって何かあるんだっけ、というか、ここって何か用事がありうる場所なんだっけ、という外からの視線を内面化していたんだと思う。

 そういうことに付き合わせてしまった、という意識が友人と話しているときに、私がいかにもそうしそうなピントのズレた言い方になって反復された。

「さて、一緒に廃墟の探検をしようか」
「店で使っていた食器とか、何か気になるのがあったら持っていって」

 一緒に廃墟の探検をさせることはできなかった。
 建物の中は私が想像していたよりずっとホコリまみれで、動きがないことが何故ここまで家の中を変えていくのか不思議になるくらいだった。

 喫茶店でアルバイトしていたときに老作家が私に、
「変化していることに俺らは気づかないんだよ。全部変わってしまった後に気づくことになる。」
 そんな感じで言っていたのを思い出した。もっとカッコいい言い方だったかもしれない。老作家のことをカッコつけてると思っているのか俺は。こんなの書いてるのを知られたらと思うと、そんなこと起こりようがないのに少しヒヤヒヤする。全然関係性のなくなった今でも、こういう下手なこといったら、みたいな感覚が残っているのが面白い。あんなによくしてもらったのに怖かったんだと改めて気づく。自分の底を晒すことの怖さだったように思う。

 感覚が残っていた。店の正面から鍵をあけて入っていった彼のことを書いた感覚が、実際にそこに入った私に、彼との違いの感覚を付け足すことになった。彼がしたようには店の椅子には座れず、ホコリを手で払うこともできなかった。軍手をつけて、本の表紙を雑巾で拭き取っていた。
 そうしている自分を、なるほどこういう感じになるのね、これはやってみないとわかんなかったわ、と面白がっている。

 病院にいるぼんやりした父に、本当はあのときにどんなことを考えていたの、と聴くことはできないと思っていた。ただ別れ際に、また来るね、と言えればよかった。

「お前定職はあるんか」
「おかげさまで、コンピューター関連の仕事させてもらっとるよ」

「子をつくれよ。励みになるけぇ」
 はっとして聴き返した。
「父さんの励みになってた?」

 何も言わず、頷いていた。
「それならよかった」
 本当にそれならよかった。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。