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書くことで見えるものは変えられるか ーベタに見るを読む

この記事を書くことがなおざりになっているせいで他のことも書けない状態になっているので少しずつでもいいから進めていく。

この記事は以下の記事の続き

この記事で主として取り上げる若林奮の本は他の本ではあまり感じたことのない読みづらさがあり、その原因はこの本の大部分で基本的なスタンスとして設定されているベタに見る(その後記述する)という態度に由来する、ということを書いてみた。

今回の記事では読むのが個人的に難しかった箇所を引用しながら、どこに難しさを感じたか、ある程度具体的に記述していく。

ARDÈCHE 河の左岸を上流に向って北西にのぼる。時々見える大きな谷は白い石灰岩と松と数種類の草と水とで出来ている。この日の午前中はよく晴れていた。石灰岩は大理石ほど白くはなくて、日に照らされてはいるが、空より植物に近かった。曇っていれば、おそらく空に近づいたであろうと想像していた。平坦な石灰岩の台地を侵蝕して谷があるにもかかわらず、私の向う対岸は私の目より下にあり、その崖はどちらも私の側にある様に見ることが出来た。

記事を読んでくれている方は、この文章を読んで少なくとも自分の中でどんな風景か、苦労なくイメージを出力することができただろうか。
これはひとまとまりの文章の中の適当なところを切り取って引用したわけではなく、OULLINSという地名を付されたタイトルの文章の冒頭である。

文脈として補完できるもので思いつくのは、移動手段が車であること、前記事で紹介した本の概要部分、というところだろうか。
少なくとも自分がこの箇所を読むときに意識していた前提はそのくらいだと思う。

上の引用は、大まかに3つに分けられる。
まず状況、背景の導入。
その次に風景の構成要素とその相互関係。
そして風景を自分の目線から眺めたときの見渡し。
自分にとってイメージを出力しづらいのはこの2つ目と3つ目。

2つ目は、眺めの中に見て取れる対象がどんな色彩で、またどんな視覚的な質感をもっているかという属性において比較されるような記述。また、背景が曇っていればという仮定で、眺めの中の対象の属性的な関係が変化するということを考えている。

3つ目は、自分の位置と目の高さ、向きと見渡しの関係がつくる構図。ここでは、見渡しの前提として、平坦な石灰岩の台地を侵蝕して谷があるという記述があるものの、それを眺めている自分の姿勢と地面の傾きといった見る側の条件は記述がない。そのためか、この3つ目の部分は自分の中で風景のイメージがうまくまとまりにならなかった。

以上を書いてみて思ったのは、
これは描く行為としての見方ではないかということ。
なので、もしかしたら絵を書くのを習慣にしていたり得意な方、あるいは絵のテクニカルな文脈に馴染みのある方は引用した文章をすんなり読めるのかもしれない。

ある見渡しを絵画のように、ではなく、絵画を描く行為として記述すること、そういう書き方でキチンと伝わるかが心許ないが。。
つまりこの本ではベタに見る(その後記述する)ということが、そのまま制作するとしたらどんな風にそれを構築するだろうという思考の過程になっている。(隣り合う色はどう使い分ける?どんなやり方で色を乗せる?その素材は?厚さは?画面の構成は?)
なるほど、絵を描くわけでもなく制作するわけでもない自分には読みづらいわけだ。

とりあえず、見ることと制作することが相互に入れ子となっているような記述、というこの本の基底となっている重要なポイントを抽出できたと思う。
これで次の回で、この本で扱われる主要な概念のひとつと、その概念が関わる、モノや眺めを観察する上での実践的な手法について検討するための道筋はつけられただろうか。とにかく書いてよかった。

とかいってこの考えで続きに取り組んで、全然検討違いでうまく読み進められなかったら、、
でも、何度もそういうことを繰り返してきたし、そうなったらやり直すだけだ。まだ続けられる。


そうだ。
毎度ヘッダにみんなのフォトギャラリーの写真を使わせていただいている。
今回はチームたながわさんの作品とのこと。素敵な写真ありがとうございます。

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