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道徳の地質学を読む1

ドゥルーズ『千のプラトー』のプラトー(≒章)のひとつ「道徳の地質学」の読書メモを少しずつしてみようと思う。
この章は単にパラパラ読んでいるだけだとうまく理解がすすみそうになかったし、誰かに読んでもらう構えで書いて―書いてあることを自分なりに読み替えたり展開して―何かしら取っ付きを設定してみたかった。

とは言うものの、誰かに何かを伝えようとするときの自分のフォーマットは、この文章はこれこれこういうことが書いてあって、この部分部分はこういう繋がりがあって、みたいな全体先取り的にその読み方を提示するものになりがちで、今回の読み進めるというやりたいこととアンマッチな感じがする。
全体を伝えられるわけではないものの、誰かに何かを伝えるというのにどういう書き方ができるだろう。

そもそも誰かに伝えるというときに何かしら頭が動くとしたら、その誰かが誰かということなしに考えることは少なくとも自分にはできない。同僚に、友人に、家族に、というのでも十分ではない。その話題を話してみたいと思う特定の誰かが、特定の場面がこれから読み進める文章の部分と繋がることがあるかもしれない。そういうつもりで書くことにする。


そういえばこの文章も以下のように書き始められる。

チャレンジャー教授、あのコナン・ドイルでおなじみの、地球を機械で責めて唸り声をあげさせたチャレンジャー先生が、例によって猿顔負けの気まぐれさで地質学や生物学の概説をあれこれミックスして、講演を行なった。

『千のプラトー』河出文庫,P.93

どういうわけかはさておき、コナン・ドイルの作品内の登場人物のチャレンジャー教授が聴衆に向けて講演を行うという設定でこの文章は書かれる。
チャレンジャー教授がどういう人物かとりあえずwikiで確認をしてみたら、以下のような記述だった。

ジョージ・エドワード・チャレンジャー(George Edward Challenger)、通称チャレンジャー教授(Professor Challenger)は、アーサー・コナン・ドイルによる一連のSF小説に登場する架空の人物。同じくドイルによるシャーロック・ホームズがくつろいだ思索的な人物であるのに対して、チャレンジャー教授は攻撃的・威圧的な人物である。

・・・

チャレンジャー教授はまた、うぬぼれ屋で独善的、何でも屋の科学者であった。マローンの編集者であるミスター・マクアドルは、「科学への造詣がある、ただの殺人的傾向のある誇大妄想患者」と評した。だが、途中過程でまず間違いなく他人を傷つけ侮辱するものの、いかなる問題も解決し、いかなるまずい状況からも脱出するチャレンジャー教授の機知は評価に値する。チャレンジャー教授はあらゆる面で、無礼で粗暴で、社会的な良心や自制心を持たない。だが彼は素晴らしい誠実さを持つ人物であり、愛する妻は彼の全ての理解者である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/チャレンジャー教授

道徳の地質学の中でチャレンジャー教授は様々な分野の専門家たち―地質学、生物学、言語学の史上の実在の人物を含む聴衆―に話をすすめるうちに、「大部分の聴衆が席を立っていた」ということになる。
そんな状況の中でも彼は話し続けることをやめず、「彼が夢見ていたのは、人間相手に講演をすることなんかより、ただのコンピュータにプログラムを提供することだった。・・・チャレンジャーはもう記憶装置に向かってしか語りかけない」


私が仮に設定した書き方も記憶装置に向かってのものだろうか。
頭の中の誰かに向かって話しかけようとすることは、ただのコンピュータにプログラムを提供することだろうか。
メモをとっていくうちにそのことも考えられるようになるかもしれない。


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heno
少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。