書かないと連れていけるようにならない 2024/10/06週
彼が自分の帰郷した姿とした藤屋という人物は、駅の近くの山際の道沿いのアパートに住んでいて、そこで言ってみれば歳をとったなりの落ち着いた生活というのに馴染んでいきつつも、それをどこか自分で演じているようなところがあると感じている。
その感覚が藤屋という人物にその地域の言葉遣いをわざわざ自分が使っているという意識をさせ、山際の道を歩いて抜けた先の海岸から見える父の病院の灯りに労うような声がふと口から漏れ出たとき、それを茶化すような考えを過ぎらせた。
彼は一時的な帰省のときに空いた時間をつかって、藤屋という人物がそうしたように、藤屋が住んでいるアパートからすると駅の反対側の居酒屋で食事をして、自分が考えた風景がどのくらい合っているかを確認するために、同じルートをなぞるように歩きはじめた。
夜の暗さのトーンは考えていたよりずっと深いものだった。彼が考えていたような山の陰の輪郭は捉えられず、見渡しはずっと狭かった。普段の生活圏では見られない星空だった。ただ暗いというだけで、通り過ぎる家々の食事の匂いや星の存在感を生々しく感じられるのを面白く感じていた。足りないところを補おうとして健気なものだね、と思いながら、たしかにこれなら小さい自分は夜は怖かったかもしれない。そう思っている自分も視界の覚束ない山際の道に身体を晒していることにどこか怖気づいていた。
「タカくんはその自分がそうなっていて欲しいと思っている人物が、そうなって欲しいと思うように描けてるの?」
彼の友人はそういう話をするときはいつもそうするように、スタバの丸テーブルで斜め向かいに座った身体を彼の側にむき直すようにして問いかけた。
「それがうまくそうできないんだよね」
「うまくできない」
彼は、そうねえ、と一旦間をあけて、それに関わるような会社の同僚との会話が思い返された。
「この前飲んだときSさんはタカさんのそういう感傷的なところあんまりよくわかってなかったですよね」
彼は年の少し離れた同僚が笑ってそう話すのを、その自分に対する評価がフラットなことを同僚と過ごしてきた時間と捉えて嬉しく思った。感傷的なところもある。たしかにそうだと思う。
彼はそれを友人に伝えようとしてみる。
「うまくできないってのは、なんつーか、感傷的すぎるというか、そういうことを書いて考えようとすると、自然と感傷的な方に流れがちになる感じがすんだよね。でも実際のおれはそれ一遍でもないわけじゃん。」
「そうですね。カッコつけてんな、って思います」
「強い言い方ですね」と彼は笑って、
「でもそうだよね。身をやつしてるというか、自分のほんの一部分しかその場所につれていけてない気がしてて、でも実際はこうして一緒に誰かといたら、ひと笑いとったろうか、とか、腹減った、とか早く酒飲みたいとか色々喋るわけじゃない」
「この前なんか飲み屋の兄ちゃんに変なこと言ってましたよ。地元のスナックは入口のドアに皆んな会員制って貼ってあったけど、あれはじめはどうやって入るんだろう、とか何とか」
「ああ、でもあれ面白かったよね。ああいうのはですね、佐々木さん。つって。いかにも謙虚な雰囲気でスッと入るんですよ。スイマセン、一人なんですけど大丈夫ですか?って入れ、って。そんで店の人がこいつは大丈夫そうだな、と思ったら入れてもらえるし、そうじゃなかったら入れない。そういうもんです、って」
「何か深々勉強になります、みたいに言ってましたよ。真面目くさった顔して、ほんとアホくさかった」
彼はあらためて思い返した。そこには色んな自分がいて、色んな人がいて欲しい、思いつくものはできるだけ連れていきたい。できるだけ賑やかな方がいい。書かないと連れていけるようにならない。