正直どうだっていいんだがなかなか大した事
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
思い立って続けているうちに、
気が付けば近付いている、
あるいは通り過ぎているのが、
理想形だ。
(文字数:約800文字)
366日(今年は閏年だったので)、
つまり丸一年達成!
そう書くと、
誤解させるかもしれなくて申し訳ないが、
noteの連続投稿、
ではない。
とは言え連続投稿だって、
やってる人や達成した人にとっては、
似たような感覚だろうとは思う。
タブレットを機種変更してから、
デフォルトでインストールされていた、
読書アプリを使い出した事により、
年間3冊読みましょう。
毎日5分は読みましょう。
と半ば強制され続けた結果、
北条民雄『いのちの初夜』
柳田國男『木綿以前の事』
菱川師宣『小倉百人一首』
を各々3回は繰り返して読み、
今現在366日目は、
与謝野晶子の現代語訳版、
『源氏物語』の一巡目。
いや。
正直自分以外の他人からは、
どーーーーうだっていい話だと思うんだが、
何のどういった事柄であれ、
365日ないしは366日間、
毎日ちょっとずつ続けてきたって、
なかなか大した事だよ?
今何かしらやっている人、
やり終えた人は、
誇ったところで別に偉くもなければ、
何が変わったような気もしないし、
誰からの反応も「ふーん」程度で、
終わるだろうけれども、
自分の胸の内くらいには、
そりゃあ大した事だって、
思っておいていいよ?
なんでかって普通やんねぇから。
やらなくたって別に、
生きていく上で一切構わない事だから。
心が折れようが途中で止まろうが、
自分さえ言わなきゃ誰にも知られないし、
世界の何事も変わりはしない話だから。
何の皮肉も呆れもなく、
「よぉやった」と言ってやれる人間は、
ただ自分一人だけなんだよ。
ただやったという事実が残るだけ。
そんで多分明日からも、
読み続けるよねって思うだけ。
「自分すげぇ」って、
心の内で一回頷くくらいはやっとけ。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。