【小説】タマユラーメン右左
「この作品はエモい古語辞典コンテストのお題
『玉響(たまゆら)』を利用し創作したものです。
https://www.pixiv.net/novel/contest/emoikogo」
ほとんど読まれないまま埋もれていた作品だけども、
秋だし。
(文字数:約4000文字)
タマユラーメン右左
世の中が、まだ何のかの言って牧歌的だった時代の大阪に、「右」を名乗る者と、「左」を名乗る者とが、入り混じって暮らす下宿屋がありました。
アパートとも呼び得ないいわゆる「○○荘」の時代です。
「なぁに眠たい事ぬかしとんじゃボケェ! 尿道に、線香立てて火ぃ点けたろかホンマにぃ」
「下品か上に出来もせん事を言いつらかすな河内者がぁ! ワイんせいで大阪の全体が誤解されるっじゃろもん」
「お前の『ワイ』は俺かお前かどっちか分からんねん田舎者! 国に帰らんかいアホンダラ!」
「オイ達ゃ集団就職でこっちさん来させられとっとじゃ! ワイ達がよぉ働かんさかいに、親から国から期待されてな」
「中途半端な関西弁混ぜ込むなや!」
「暮らしよったなら多少なっと移り込むじゃろがい!」
睨み合っていた二人の耳にふっと、夕方五時の音楽が届いて参りました。それと同時に両者の腹からも虫の声。
「あっこで決着付けたろうやないか」
「望むところや」
下宿から、五分と歩かないその先に、赤い張り出しテント屋根が目印の、
「タマユラーメン」
はありまして、誰も名前を知らないおばあちゃんが基本は一人で切り盛りしております。
基本、と申しますのも孫と覚しき小学生くらいの、男の子か、女の子かも誰もがはっきりとは分かりかね、適当にごまかしながら接していた子供がカウンターで宿題をやるついでに、お客さんへのお水出しやら帰った後の食器下げやらはしてくれますので、客の側も顔を見せたついでに挨拶くらいは致しますし、話相手にくらいはなってあげるのでした。
「何や。兄ちゃんらまたケンカして来たんかいな」
その子供に聞いたなら、「話相手になってあげてるのは自分だ」と答えたかも分かりませんが。
「ケンカちゃうわ。コイツが世の中っちゅうもんを、いっちょん分かっちょらんけんで」
「ワイの言いよるが世の中じゃったらオイはカケラも知らんでええわい」
「両方の訛りが混じり合ってどっちが関西出身やねん」
その日は座敷席の入り口中央に立つ柱と、対面になるカウンター中央の柱に、男の手のひらほどの大きさの、赤い袋が飾ってありまして、
「ああ。重陽か」
そう言い出したのは九州出身の「左」側でした。メガネを掛けた細身で、勉強熱心と思われます。
「何やそれ」
「知らんのか関西人のくせに」
「地元の人間がわざわざ土地のもん気にするかいな」
「宮中文化やから知らんわな河内者は」
「河内にだけ『者』付けるのやめんかい。けったくそ悪い!」
顔のそばにコト、と置かれたお盆に気付いた子供は、「ごめん」と呟き立ち上がりました。座敷席の一つに座り込んだ二人に、お水を運びに向かいます。
「茱萸嚢や。重陽の節句で、邪気払いに使われる」
「聞いた事無いわそんなもん。菊の被せ綿くらいしか」
「何かそいは」
「そっちの方が知らんのかい。シュユなんちゃらより有名やで」
「『ぐみぶくろ』や。関西でよぉ聞くんはな」
とお水を出すついでに、子供が口を挟みました。
「その言い方も聞いてるけど、タマユラとシュユと掛けとっとじゃろか思て」
カウンターの奥で穏やかな含み笑いが響き、子供も釣られた様子でクスクス笑いました。生まれも育ちも大阪の「右」側は、蚊帳の外に感じて気を悪く致しましたが、すぐにラーメンが届けられてしまえば、不快を思っている暇はございません。
箸を割った後で二人とも気が付いたように、向かい合いで手を合わせ、
「いただきます」
を述べるや否や男二人が、いざ掻き込みすすり入れるばかりでございます。
「旨かな」
「ああ」
合間に差し挟まれる文句もその程度。
「旨い」
「ほんに」
見事に決着は付けられるのでございます。旨い食い物で腹がくちて、争いの種などは忘れてしまった、という形で。
やがて「右」だの「左」だの、名乗り合う事自体が、愚かしく感じられる時代がやって参りました。
人それぞれに事情や想いは抱えつつも、強くは主張をし合わない事が良しとされ、口にしたところで何事も変わりはしないとうそぶいて、要は流行らなくなったのです。
格好が悪いとされモテないとなれば、それまでの美学に正義などは、キレイさっぱり忘れてしまえるのがヒトの、とりわけ男という生き物でありました。出自も気にしない事になり訛りも薄め、「人は中身だ。本質で勝負だ」などと語られもしましたが、
出自に主張こそが人の、おそらくは「中身」であり、「本質」を醸成もしてくれる事に、長らく誰も気が付きはしなかったのです。
相当の久しぶりに訪れた、町並みを歩いていてふと足を止めます。確かこの辺りだったと、眺め回してももちろん当時の下宿屋など、そのままでは残っておりませんが、
道の曲がり具合に傾斜度合いに、幹の太さは違えど街路に並ぶイチョウ、といった名残を追い掛けどうにか、建物の前まではたどり着き、すっかり建て替えられてはいたもののやはり単身者用の集合住宅で、ドアの並ぶ様子までは変わっていませんでしたから、
隣の住人と、どちらの部屋だかお互い分からなくなるほど入り浸って、中身なんか無いどうでもいい話をウダウダと、よくもまぁ毎日しゃべり続けていられたものだ。仕事に身を入れるなり、勉学に精を出すなり、もっと生産的な趣味でもお互い始めていれば良かっただろうに。
などと思い出しつつ苦笑して、集合住宅には背を向けました。
腹が減ったらそこの角を曲がったところにあるラーメン屋で、注文しなくてもラーメンしか出て来ない店で、ずいぶん旨かった覚えがあるけれども、何せ金の無い時分に安かったから。
そう思い返しながら角を曲がったところには、あるのです。赤い張り出しテント屋根が目印の、「タマユラーメン」が。
そうして引き戸を真横に引き開けてみましたら、いるのです。カウンター席に座って宿題らしいノート類を広げている、小学生くらいの子供と、
カウンターに囲われた厨房に立つ、名前も知らないおばあちゃんが。
「何や。おっさん冷やかしかいな。こないな時間に」
「いや」
言われて店の時計を見れば午後の三時を回った辺りで、確かに中途半端ではありましたが、
「食べられるなら、一杯……、食べさせてもらえないかと、思って……」
限り無く「ふん」に聞こえる返事をして、子供は厨房の奥に言うのです。
「ばあちゃん。ごめんな一杯作ったって」
穏やかな含み笑いが届いてそう言えば、おばあちゃんの話す声を聞いた事が無いと、思い出しつつ男もカウンター席に座りかけましたが、
「水はセルフやで」
と鉛筆の尻で示された給水器にまずは向かいました。
「小学生に働かせたらあかんて、役所の人にばあちゃんが怒られんねん」
「それはまぁ、その、今ではそれ虐待だから」
「せやけどな、お客さんが帰ってしもうた後に片付けするんはええねんで。要はヒトに見られんかったらええねや。いいかげんな話やろ」
久しぶりに聞く訛りの強さで、ずいぶん長く話しかけてもくるなと、男は内心迷惑にも感じていましたが、
その子供に聞いたなら、「おっさんらからこのくらいはしょっちゅう話しかけられるんや」とでも答えたかも分かりません。
「変わった、店名ですけど何か、理由でも?」
おばあちゃんに話しかけたつもりでも、
「いや?」
答えて来るのは子供です。
「何もないただのしょう油ラーメンやけどな。仕上げにうちのばあちゃんがこしらえた、玉ねぎ油垂らすねん。それにハマって通いに来るお客さんも、何年か置きに無性に食べたなって、わざわざ遠くからやって来るお客さんもおるけどな」
「そうか。玉ねぎの、油で、『玉油』……。ハハ……」
タマユラだのシュユだの言い合った昔を思い出し、若い時分のひけらかしや、そうした行為の意味の無さに自嘲の笑みを浮かべながら、
当時のそのままに思えるけれども、思い出がそう見せているだけだ。記憶を写し取って並べたら、まるで別人に違いない。
そう心に頷いたところに届いたそのラーメンも、それほど美味しくはないのです。確かに素朴な味わいに、垂らされた玉油が深みや香ばしさを添えてはいますけれども、時間帯も腹の減り具合も異なり、懐のあたたかみも異なれば、有り難みも違うものですから致し方ありません。
大きく違いはしないだろうけれど昔は座敷席だったしな。
そう思い返していたところに、
「一緒に来てた兄ちゃんは今どないしてるん」
とノートから顔は上げないまま、子供は言うのです。
「今、は……、さぁ……。どうしているのか……。もう連絡も、取れていないな」
答えながら思いがけずのように、涙がひと筋伝ったところを見ると、ある程度までの行く末は男も知っていたものでしょう。
「せやなぁ」
手を止めてその、男の子か女の子かもはっきりしない子供は、幾歳月を重ねたものとも知れないような笑みを浮かべて言うのでした。
「ヒトの命に、気が合うて楽しく過ごせる合間は、ほんのちょっとやからな」
実際は、毎年作り直された物に違い無いのですが、座敷席の入り口中央に立つ柱と、対面になるカウンター中央の柱には、数十年前と寸分違わないような、
茱萸袋が飾ってあったという事です。
了
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