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小説とエッセイの違い

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 ごく個人的な感覚かと思いきや、
 もしかするとこれは、
 小説とエッセイの違いを説明する、
 一助になる気がしたので書いてみる。

 見出し写真は
 「例えば小説(物語)ってこんな感じ」
 ってイメージで選んだ。
 一瞬えっ?て思うかもしれんけど、
 それで完成されている。

(文字数:約1000文字)


  真夏に真冬の小説は書けるが
  (可能であればせめて秋口から書きたい、
   とは言え書く事は可能だが)、
  真冬に向かっていく時期に、
  真夏の小説は書きたくない。

  年が明けると多少事情が変わる。

  真冬に真夏の小説は書けるが
  (可能であればせめて春先から以下同文)、
  真夏に向かっていく時期に、
  真冬の小説は書きたくない。

  つまりは同一年における、
  季節の先取り、は可能だが、
  季節の振り返り、は難しい。

  エッセイであれば書ける。

  しかしこと小説となると、
  それは「その年に自分が経験した、
  その年の真夏or真冬」になってしまう。

  気をつけていても、
  その年を過ごした自分の感覚に、
  引きずられがちである。

  小説にあっては、
  よほどの猛暑・極寒が、
  物語にも影響する場合でない限り、

  たとえ日時に場所が定められた、
  歴史小説あるいは、
  ドキュメンタリー小説であって、
  調査すればその年が、
  猛暑あるいは極寒であった、
  記録が残っていたとしても、

  物語への影響が無いのであれば、
  いつどの年とも限定されない、
  「一般概念的な真夏」
  を描写しなくてはならない。

  読み手の側はその年、
  どんな真夏を過ごしたかなど、
  分かりはしないからだ。

  エッセイであれば逆だ。
  「今年の夏は異常に暑かった」と、
  むしろ嘘偽りなく書き記せる。

  自分個人の、
  まさしくその年その日時の、
  経験や感覚にこそ重きが置かれるものだ。

  エッセイに比して小説は、
  嘘偽りに思われ、
  言葉でもそのように語られがちだが、

  実は「物語世界」の構築に寄与するか否かという、
  純然たる規律が支配している。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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偏光
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