『山びとの記』宇江敏勝著
今こそ読んで欲しいんだ。こういう本を。
「何になる」とか「何が得られる」とかじゃなくて、
ただただ知っておいて欲しいんだ。
我が国とてほんの100年も過ぎないちょっとした昔には、
大体がこんなものであった事を。
『山びとの記 木の国 果無山脈』
宇江敏勝著、ヤマケイ文庫、2021年
(1980年中央公論社刊の増補新版、
2006年新宿書房版を底本とする。)
概要:
山小屋に生まれ炭焼き一家の長男として、
山中で育った筆者、宇江敏勝さんが従事してきた、
炭焼き・造林を主とする林業の歴史。
個人史ではあるが昭和三十~四十年代における、
和歌山県・奈良県の文化・社会史と、
密接に結び付いている。
果無山脈という実在の地名に、
「第三章 果無山脈の主」という章題が面白い。
よっぽどロマンあふれる展開が待ち受けるかと思いきや、
筆者自身の事に過ぎない感じが。
物心ついた時からほぼ家族のみでの
山暮らしを続けていただけあって、
宇江さんの眼差しに文章は独特だ。
実直かつ余分な情念を感じさせない。
しかしそこにはやはり人の情が息付いていて、
今や親世代から慣れ切ってしまった私達の、
文明的、とされている生活を、
改めて別の視点から眺めさせてくれる。
以下、特に印象に残った文章を抜粋する。
「透明な音」などは本当に、
現地で慣れ親しむほどに耳にしてきた人にしか表現し得ないものだ。
豊かな自然環境を反映した描写は羨ましくも感じ、
実地経験に乏しい自分の文章に不安を覚えはしたが、
時と場所と種類が異なるだけだと思い直す。
他にも読んでおいて、そこから何かを感じ取っておいて損は無い情報なら数多くある。
奈良と和歌山、それぞれの現場や気風。
木地師の存在と歴史。
名古屋の木材業者「長谷川」の業績。
造林そのものの問題点と動物に与える影響。
チェーンソー導入による振動病と筆者の実感。
紀州備長炭の歴史と炭焼き工程(窯造りから)。
等々。
山の神の祀り方(特に霜月七日)と禁忌に関しては、
「山の神は御詠歌を嫌う」
といった一文があり、私には衝撃かつ複雑な気持ちにもなったが、そこも含めて興味深い。
ならば如何にして歩み寄り、相容れる筋道や境界を見出せば良いだろうか。
私がよく訪れる和歌山県は高野山や龍神方面なので、
記されている地域とはまた異なるのだが、
それでも山々を眺める際の感慨はより深くなったし、
記された地域の方角にも目を向けるようになった。
家に無事帰り着くまでが修学旅行であるように、
心に残った印象と、その蓄積を元に、
自分の頭で考え直すまでが読書であると、
すなわちただ一度の通読で終わりはしないと、
私は思っている。
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