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『山びとの記』宇江敏勝著

 今こそ読んで欲しいんだ。こういう本を。
 「何になる」とか「何が得られる」とかじゃなくて、
 ただただ知っておいて欲しいんだ。
 我が国とてほんの100年も過ぎないちょっとした昔には、
 大体がこんなものであった事を。


  『山びとの記 木の国 果無山脈』
    宇江敏勝著、ヤマケイ文庫、2021年
    (1980年中央公論社刊の増補新版、
     2006年新宿書房版を底本とする。)

 概要:
   山小屋に生まれ炭焼き一家の長男として、
   山中で育った筆者、宇江敏勝さんが従事してきた、
   炭焼き・造林を主とする林業の歴史。
   個人史ではあるが昭和三十~四十年代における、
   和歌山県・奈良県の文化・社会史と、
   密接に結び付いている。


 果無山脈という実在の地名に、
 「第三章 果無山脈の主」という章題が面白い。
 よっぽどロマンあふれる展開が待ち受けるかと思いきや、
 筆者自身の事に過ぎない感じが。

 百姓をしている男たちが稲刈りなどで里へ下っている時も、私は腰を落ち着けて山で働いていた。(略)山深いところにひとり身を置いて、他人がそばにいないというのは、なんの気遣いの必要もなく、せいせいした気分になるのである。
 必然、月末の勘定でも、私が稼ぎ高でトップの位置を占めることが多い。(略)仲間から、おまえは果無の主みたいな男やな、と言われるのも、あながち冗談ではなかったかもしれない。(略)

「第三章 果無山脈の主」p162~163

 物心ついた時からほぼ家族のみでの
 山暮らしを続けていただけあって、
 宇江さんの眼差しに文章は独特だ。
 実直かつ余分な情念を感じさせない。

 しかしそこにはやはり人の情が息付いていて、
 今や親世代から慣れ切ってしまった私達の、
 文明的、とされている生活を、
 改めて別の視点から眺めさせてくれる。

 以下、特に印象に残った文章を抜粋する。

 祭りというのは、その地域に生活している者の共同体の行事である。村人でもなく信者ともいえない私どもは、招かれたわけでもないのに、そこにまぎれこんでいたのだった。仕事を休み晴れ着で着飾って、一家あげて出向くほどに、私どもを惹きつけたものはいったい何だったのだろうか。
 人の集団からはぐれて生きていることの淋しさ、いわゆる疎外感というよりは、より本質的ななにかが、たえず私どもの胸の内にあったものと思う。(略)

「第一章 炭焼きと植林」p58

(略)当時まだ田辺市まで行かなければ喫茶店もバーもなかった。あるときはじめて「アルサロ」へ遊びに行った者がいた。帰ってきてからみんなで感想を聞くと、いや、話せるような女はおらなんだよ、とその男は答えた。まじめに人生観などを語り合えるような女性を期待してアルサロへ行ったのである。

「第二章 青春の西ン谷」p87

 西ン谷は、とりわけ狸の多い山だった。(略)小さな鼓を爪先でそっと弾くような響きである。狸が鼻を鳴らして、落葉を吹き、ミミズなどを探しているのだ。それが空間を伝わると、透明な音に変化するのである。(略)

「第二章 青春の西ン谷」p107

 「透明な音」などは本当に、
 現地で慣れ親しむほどに耳にしてきた人にしか表現し得ないものだ。

 豊かな自然環境を反映した描写は羨ましくも感じ、
 実地経験に乏しい自分の文章に不安を覚えはしたが、
 時と場所と種類が異なるだけだと思い直す。

 私は懐中電灯をともして時計を眺め、まだ朝には遠く、淡い月明かりであることを知った。寝袋の中で眼を見開いて、白い窓をしばらく眺める。そして十年昔のある夜にも、同じ場所で夜半に目覚めて、小さな窓の頼りない光を見つめ、外の月明かりの山の姿を心に描いていたことなどを、思い出していた。

「終章 果無山脈ふたたび」P302~303

 他にも読んでおいて、そこから何かを感じ取っておいて損は無い情報なら数多くある。
 奈良と和歌山、それぞれの現場や気風。
 木地師の存在と歴史。
 名古屋の木材業者「長谷川」の業績。
 造林そのものの問題点と動物に与える影響。
 チェーンソー導入による振動病と筆者の実感。
 紀州備長炭の歴史と炭焼き工程(窯造りから)。
 等々。

 山の神の祀り方(特に霜月七日)と禁忌に関しては、
 「山の神は御詠歌を嫌う」
 といった一文があり、私には衝撃かつ複雑な気持ちにもなったが、そこも含めて興味深い。
 ならば如何にして歩み寄り、相容れる筋道や境界を見出せば良いだろうか。

 私がよく訪れる和歌山県は高野山や龍神方面なので、
 記されている地域とはまた異なるのだが、
 それでも山々を眺める際の感慨はより深くなったし、
 記された地域の方角にも目を向けるようになった。

 家に無事帰り着くまでが修学旅行であるように、
 心に残った印象と、その蓄積を元に、
 自分の頭で考え直すまでが読書であると、
 すなわちただ一度の通読で終わりはしないと、
 私は思っている。

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