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パリの精神的中心地:シテ島【ヨーロッパの旅2000年】

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』は、
 日本語に置き換えるとしたら、
 「べらんめえ調」で書かれている。

(文字数:約3100文字)



事前準備:お金編

  2000年当時の話で面目ないが、

  マリー嬢からはお金に関して、
  「トラベラーズチェック(小切手帳)を買っておけ」
  と指示されていた。

  存在自体をその時ようやく知ったのだが、
  これがなかなか便利な代物で、

  日本国内でのレートが安いタイミングで、
  ある程度まとまった額を買っておけば、
  その後の国内レートが変動しようとも、
  ヨーロッパ圏内の両替商で、
  ヨーロッパ通貨として換金してもらえる。

  更にパスポートに紐付いた保障が付いていて、
  紛失したとて盗み取られたとて、
  窓口係員の目の前で、
  本人がサインするまではただの紙切れ。

  再発行してもらえるし、
  再発行と同時に紛失した型番は失効になる。
 
  クレジットカードに電子マネーが、
  世界各国でほぼ当然になりつつある現代では、
  まだるっこしい手続きに思えるかもしれないが、

  何せ2000年当時はユーロじゃなかった

  フラン、リラ、ポンドを、
  周遊する3カ国に応じて、
  使い分けなくてはならなかったし、

  国ごとにレートも異なっていて、
  当時のリラはわりかしインフレ状態にあった。


沼じゃねぇ、海だ。大洋だ

  その前年マリー嬢から、
  旅行の話を聞いて数日も経たないうちに、

  私はちょっとした興味から、
  1998年米版『レ・ミゼラブル』を観に行って、

  ヴァルジャンを演じたリーアム・ニーソンと、
  ジャヴェールを演じたジェフリー・ラッシュと、
  原作者ヴィクトル・ユゴーの作品群に、
  それはもうドドドドハマりしてしまった。

  沼レベルじゃなく溺れ尽くした。

  ドイツ語専攻であり、
  そちらも上等に好きだったので、
  ベートヴェン似の担当教授に、

  「単位とは無関係で構わないので、
   フランス語の講義も受けたいです」
  と相談し、

  ベートヴェン似教授の友人であり、
  今回の旅の引率でもあるフランス語教授、
  愛称タネさんを紹介してもらえて、

  一年、二年後輩の学生に混じって、
  講義も受けさせてもらえていた。

  我ながら断言するが、
  そんな学生は他にいない。


ユゴー記念館

  そんなわけで当然行くよね。
  ヴィクトル・ユゴーが暮らしていた場所を、
  そのまま記念館とした建物にはもちろん。

  解説等も全てフランス語しかなく、
  まだおぼろげにしか読み取れなくて悔しいが、
  それでも執念で英語と似通った単語を拾い、
  どうにか意味を推測する。

  小説の内容を元にした、
  絵画に彫刻作品なんかもあって、
  隅々まで熟読してるからその辺は理解できるしな。

  孫二人を両腕に抱き寄せた晩年のユゴー写真と、
  出版当時の『レ・ミゼラブル』ポスターの、
  マグネットを購入。

  いまだに台所で使っている。


ストですと

  しかし残念ながら、
  予定していた目的地の半分には、
  向かう事すら出来なかった。

  なぜなら目的地方面のメトロが、
  ちょうどその日ストで運行停止。

  「どうにかして行けないものか」
  と悩む私にマリー嬢は、

  「頭の奥から警報が聞こえないか?」
  と訊ねてきた。

  深呼吸した上で耳を澄ますと確かに、
  頭の奥からかすかにではあるが、
  「チキコンチキコン」と鳴り渡ってくる。

  海外を旅行しているうちに、
  人によっては得られる利点の一つとして、
  わりかし第六感が研ぎ澄まされる。

  この旅行中に我々は、
  身の危険を感じる事を、
  「警報」と呼んで知らせ合うようになった。

  「確かに」
  「やめておこう」
  「そうだな」

  事実添乗員さんと話したところ、
  その地域はパリの中でも治安が悪く、
  その日もなかなかの事件が起きていたので、
  行かなくて正解だったとのこと。

  それ以前にまさか一般観光客が、
  目的地にするなんて想定もしていないので、
  とんでもなく驚かれてしまった。


ノートルダム大聖堂

  2000年当時は火事に遭っていない。

  正面のロマネスク様式に、
  背面はゴシック様式を併せ持った、
  歴史の重みも含めて偉容ゆかしい大聖堂だ。

  もちろんヴィクトル・ユゴー作、
  『ノートルダム・ド・パリ』も熟読しているので、
  感慨もひとしお。

  中に入ってみると、
  予想していた以上の暗さと静けさで、
  もちろんキリスト教徒の中でもカトリックの、
  礼拝のための空間なので、

  礼節を念頭に置いて拝観した。
  バラ窓を前に騒ぐなどもってのほか。

  ところで当時メトロの駅の壁面には、
  件の『ノートルダム・ド・パリ』らしい、
  ポスターが張り巡らされていて、

  どうやらちょうど2000年を記念して、
  制作上演され始めた、
  新作ミュージカルらしく、

  大変見たかったのが旅行中には都合が付かず、
  立ち寄れたCDショップで、
  該当作品のCDを買い、

  十年ほど経った後、
  日本公演がしかも大阪で行われた際には、
  即チケットを取得して駆け付けた。

  全フランス語だけど予習してあるから、
  字幕見なくたって内容バッチリ。


ほぼこれだけのために来たんだぜ

  マリー嬢と共に、
  シテ島周辺のセーヌ河畔を歩き続ける間、

  餌を撒くおじさんの動きに合わせて、
  通り中の鳩が乱れ飛ぶといった、
  忘れ難い光景にも幾種類か出会ったのだが、

  「臭いは映らないんだよな」
  「だよな」

  レンズ越しには実に美しい光景に見えても、
  虫と臭いは映らない。

  そう私は九州の故郷に対して思っているし、
  この日のパリの夕景に対しても思っていた。
  またスイス人がアルプスの山々について、
  同じように語っているのを聞いた事もある。  
  
  「ここだ」
  と立ち止まり、
  マリー嬢に向けて得意気に振り返った場所は、

  セーヌ川に掛けられている、
  何の変哲もない石橋の一つだ。

  「……本当にここなのか?」
  「よく見ろ」

  橋桁にひっそりと、
  注意しなければ気付けないほどの小ささで、
  金属板が埋め込まれてあり、

  フランス語の本当に細かい文字で、
  「○○の△△場所」と記されている。

  「……本当だ」
  「小説のほんの一フレーズまで拾い上げる、
   私みたいな超絶ド阿呆が、
   世界単位では結構な数いるようだな」

  「写真を撮ってやろうじゃないか」
  とマリー嬢はカメラを構えてくれたが、
  「いや。それはいい」
  「なぬ」

  「撮りたい場所はまた別にあるんだ。
   そして私は入らなくてもいい」

  そこからまた別の橋に移動し、
  「よし。ここだ」
  とカメラを構える私を、
  マリー嬢は不思議そうに眺めていたが、

  帰国した後1998年米版『レ・ミゼラブル』の、
  DVDを入手できたので、
  マリー嬢にも貸して見てもらって、
  ようやく納得された。

  「すげぇなお前、あの写真、
   エンディングテロップの画面そのままだったな」
  「画角も空の曇り具合まで完璧だろう。
   我ながら神のお力添えがあったとしか思えないね」

  それが何の役に立つかと訊かれたら、
  もちろん自己満足でしかないが、

  自己を満足させる事は、
  一体いつから、また何を根拠に、
  鼻で笑われて当然であるかのように、
  蔑まれる行動になったのかね。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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偏光
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