花村萬月『たった独りのための小説教室』【読書記録】
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
感想文じゃなくて記録。
(文字数:約1800文字)
『たった独りのための小説教室』
花村萬月 2023 集英社
なぜ「感想」ではないかって
点字翻訳ボランティア員が、
校正作業のために通うセンターには、
点訳・校正作業に使用したため、
ほぼ全ページが書き込みだらけで、
当然古書店等には売れなくなる本が、
「欲しい人は好きに持ち帰っていいよ」と、
本棚に並べて置かれている。
その中から見つけて持ち帰り、
一週間の間に読み終えて、
次の作業日には棚に置き戻したので、
「感想」を書くには値しない、
と私自身は自分に対して思っている。
とは言えこの本が、
「点訳」された事は正解だ。
点字での読書を心待ちにする者たちの、
文字や言葉に対する飢え具合に、
(それはまさしく「飢え」だ。)
一字一句を丹念に、
読み込まざるを得ない感覚ときたら、
晴眼者顔負けだからだ。
なぜ一読しただけで置き戻したか
序盤から中盤にかけての内容で、
私の場合は、
小説家に向いていない、
諦めた方がいい、
自らの力量も悟れない愚か者だと、
散々思い知らされた気になった、
その一方で、
実践編に移った途端に、
書かれている内容や手段が、
説明と描写の違い、
比喩の効果と危険性、
リズムを生むためのメソッドに、
作品世界の地図や年表作り、
執筆時に必要になる、
思考の「分裂」とその状況等、
どれもこれも理解できるし、
とっくにやっている。
終盤の「夢を利用する方法」だけは、
自在に使いこなせていなかったものの、
ある程度までなら経験がある。
教えてもらうまでもない、
と見限ったわけではなく、
花村萬月さんが言うところの、
(商業として成り立つレベルの)
「小説家」になるためには、
私の場合、
センスや才能、以外の、かつ、
センスや才能、以前のところで、
価値観が異なっている、
と充分に教えてもらえた。
花村萬月さんがなぜ、
「小説家」に強くこだわるかについても、
存分に身に染み入るかのように、
思いやられた。
これは他のなるべく多くの、
ボランティア員にも読んでもらいたい。
もちろん小説家を志す皆様にも、
読んでもらいたいと思って、
今この感想とも言えない記事を書いている。
しかしながら正直に言って、
今や点字読者たちの中から、
花村さんが言う「小説家」が、
現れ出る可能性の方が高いと思う。
とは言え納得がいかないところ
私は花村萬月さんではないし、
今は花村さんがデビューした、
当時のような時代ではない。
時代のせいにするなと、
冷笑される事はよくあるが、
現実に人は時代と連動している。
価値観が異なる、とは言っても、
人生総体が異なるので当然だ。
そして両者に本来優劣などはない。
花村さん自身、
現状の悲しみや遣るせなさを、
もちろん孤独を、
日々味わい尽くしてきた中で、
「一世一代の大博打」と銘打って、
この本を執筆・刊行されたわけで、
今やそこまでのヒリヒリ感を、
心身に鞭打っての労働を、
味わいたくもなければ、
他人様に味合わせたくもないのです。
人類はもういい加減で、
もうちょっとくらいは気楽に構えても、
罰は当たらないって気が付いていいと思う。
とりあえず本の中で薦められていた、
『つげ義春日記』は、
購入したので読んでみます。
小川国夫『エリコへ下る道』は、
まだ入手できていないがぜひ読みたい。
花村さんの感動を、
私も味わえるものなら味わってみたい。
読み終えたならそちらについては、
「感想」を書くかもです。
おまけのアドベントカレンダー
長編小説を書き上げ、
見直し校正も一通り終えて、
ラストまで公開し終えた、
直後の祝杯(ビール:ピルスナーかエール)。
ビール専用コップに、
こだわりの泡を作るところから始める。
つまみは無くても良い。
晴れた日の真っ昼間であればなお良い。
窓を開けて風に吹かれながら呑みたい。
余談だがその時と元日のために、
日頃は滅多に呑まない事にしている。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。