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【小説】『姦淫の罪、その罰と地獄』地獄ノ一(4/5)

 明治時代の新米密偵、楠原と田添の一年間。

(文字数:約3100文字)


 ところで、
 この作品中において筆者は、明治時代、とのみ記し、正確な年月などは明らかにしてこなかった。
 それと言うのもその当時をまさしく生きていた人々にとって、年号何年などは記述する必要がある際にようやく気にして戸惑うようなもの、浅草のシンボルやランドマークとされてきた風物の数々も、日々の見慣れた景色として、やや美化された記憶にしか残らず通り過ぎていくもの、
 つまりは当時の人々も、今現在の我々と、本質において何ら変わりはしない、と固く信じているからである。
 後の世に「歴史を変えた」と評される、際立った出来事であっても、その当時の人々には、昨日から明日へと続く流れの中。それにより何が変わるとも変わったとも思われず、一日単位や週単位では実感など得られはしない。
 ただ楠原大喜という、一人の私学生、として振る舞っていたその実は密偵であり、本人は本名と思ってきた名を言えば、遠野潤吉にとっては、ありとあらゆる全てが様変わりする一日となった。おそらくは、この日を待ち望み、数年前から準備を進め盛大に祀り上げようとしてきた、政府関係筋などよりもずっと。
 実を言えばこの日のために、密偵も増員され、とりわけ過去一年の間は市街からの、街娼や浮浪者といった見苦しい者たちの一掃に当たらせてきたのだ。外国から来る人々の眼に映して恥ずかしくないがために。この日さえ無事無難に過ぎてしまえば以降は、それほどの人数も必要無い。
 明治二十二年二月十一日その日は、大日本帝国憲法公布の日であった。

 足に任せて楠原は、午前のうちから東京の市内中を練り歩いていた。出くわす人々に合わせて顔にはへらっとした笑みを浮かべながら、腹の中では込み上げてくる苦味を、飲み下す事に懸命だった。
 大日本帝国憲法、だと? 大日本帝国憲法! たちの悪い、冗談みたいに思っていたのに。
 本気でソイツを口にして、恥ずかしくないって事は、だから、そうなるヽヽんだって、
 アイツらと寸分違わずおんなじ事を、アイツらから好きなようにやられ続けて悔しかった事を、自分たちも、自分たちからやってやるって、決めちまったって事だ。
 あいにく田添の姿は隣に無かった。官立の学生たちは皆、式典の設営や誘導といった諸雑事に動員される。浮かれ騒いでいられるのは、学生の身分では私学ばかりだ。
「万歳!」
 という、後の世には伝統のように信じられる文言も、実はこの日のために定められたものだ。それまでには存在しなかった語句であり、周知させるためその日は配り回される国旗と共に、町中の至る所でひっきりなしに、繰り返された。
 人が集まればまず万歳。顔を突き合わせればまた万歳。たった二人でも出くわす度に万歳。万歳。万々歳と、笑顔で言い交わされる様を注意深く見詰める者がいれば、うっすらと恐怖も感じ取れる。
 誰もこの言葉の意味など分かってはいない。新憲法の文言に、さらりとでも目をやった者すら一人もいない。当然だ。天皇と政権政治家のみにしか、この日は公開されていない。とにかく非常な事態らしい。祝さなくてはならないらしい。大日本帝国民たる者どうやらそれが正常な、国家として推奨される行動であるらしい。実は自分は全く何事も知らず分からずにいるのだが、それを悟られるのも良くないらしい。
 らしいらしいがこの国を長きに渡って実質的に支配している。
 酒に酔っては喧嘩になり、乱暴に出る者たちがいる。女たちも威勢の良い者に付きまとい、同じ振る舞いをせねば仲間ではないと、脅した気の弱い者を連れ回しては、ただその一人から全てを奪う。主だった警官は式典や国賓たちの警護に当たり、市中の喧騒は知らぬ顔。年老いた警官に、恨みを大筋で引き受けてきた警官ばかりが取り残され、寄ってたかって取り押さえられてはゴミ箱などに押し込まれる。橋から川へと飛び込んでみせる者がいれば、件の警官を放り投げる者もいる。自由や権利といった言葉ばかりが、全くのところ履き違えられたまま、大手を振って練り歩く。いつの時代のどこに暮らす者たちであっても、思い描かれ実際に行われる乱痴気騒ぎは、相場が知れている。
 晴れがましき日にそのような騒乱などあっては困る、言語道断、といった次第で、式典には新聞記者たちも呼び集め、もちろん給金を振る舞い、威儀正しい姿ばかりを書き立てさせる。市民はもちろん下層民たちの姿形に振る舞いなどは、見てもいないので無かった事にする。外国から来た特派員たちのスケッチ入りの記事に、嘲笑混じりに残っているくらいだ。
「万歳! 万歳!」
 神経に障る文言がけたたましく繰り返される中を、楠原は、道端に酔ったふりをしてうずくまり、実際は、目の当たりに見聞きする喧騒が、炸裂させる色味に耐えかねうち震えていた。
 どうしよう。俺、この国が「日本」だったら、その中で密偵イヌやってたって良かった。
 意地汚くせせこましく、昼日向の表側ではへらへらへこへこしておいて、腹の中では嘲笑いながら、すがり付くみたいに生き延びてる、ちっぽけな島国でいてくれるんだったら、俺は別に犬畜生でいたって構わなかったんだ!
「大日本帝国、万歳!」
 大日本帝国だなんて、おい、分かってんのか? 単に国の名前が変わっただけじゃねぇぞ。こんな、気色の悪い色味の盛り上がりに積み重なり、あっという間にこんなちっぽけな国、覆い尽くしちまう。
 そしたらどうなる? その先はどうなっていく?
 おい、ちょっとこれ、ちっとも洒落になっちゃいねぇんじゃないか?
 明治の二十年代を生きていた者が、そこからの五十年、あるいは百年先までのこの国を、ほぼ正確に予測できてしまったヽヽヽヽヽヽヽとしたら、断言しよう。その者の脳内は地獄絵図だ。
 もしかすると彼の苦難は、彼の母親が受けた分も含めて、今日のこの日のためにあったのかも知れなかった。彼に聞かせたとしても認め切れず、もしこの文章を読ませたなら腹を立て、書いた者を生涯許しもしないだろうが。
 明治の二十二年時点でその者以外の、誰に話して信じてもらえるだろう。とは言え彼にはまだ可能性があった。この日の彼の隣に、田添がいたなら。あるいは白里翁も彼の言葉を侮って聞きはしなかっただろう。
 しかし彼はヨブではなく、彼の母親はマリアでもない。
 神の似姿には程遠い、今現在の我々と、何ら変わりはしない、人である。
 途方もない奇跡が起きたとて受け入れ切れず、それを奇跡だとも認識できず、拒絶したとしても我々と、何ら変わりないと知れば致し方ない。
 嫌だ俺、こんな気色悪いもん見たくない。見たくないこれ以上ほんのちょっとだって嫌だ。もうこんな、色味とか光とか、俺にしか見えないもん全部見えなくなっていい。何もかも、もう全部見えなくなってくれ頼むから!

 ふっ、と気が楽になったように感じて目を開けた、その先は、真っ暗で、夜の闇で、浮かれ騒いでいた者たちも、三々五々に引き別れ、いなくなっていくところで、行灯やら提灯やらの光と共に遠ざかって街並みは、少しずつ静かになっていく。
「バンザーイ……」
 とかいう気に障る文言が、やたら遠くから間延びして聞こえてくる。
 二、三回の、瞬きの後に意識して固く、目をつぶる。そして開く。それを何度か繰り返す。暗い。
 暗い。理解する。願いが叶えられたのだ。これまで自分の目にだけ見えていたものの、一切が今ここで見えなくなって、
 もう二度と戻りはしないのだと。


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