【小説】『姦淫の罪、その罰と地獄』罰ノ三(1/4)
明治時代の新米密偵、楠原と田添の一年間。
罰ノ三:仕事の話に入りながらも、
楠原と田添は互いに見極め期間。
一方で楠原は静葉に遊戯を仕掛ける。
イントロダクション
序説 罰ノ一 罰ノニ 罰ノ三 罰ノ四 罰ノ五
罰ノ六 罰ノ七
(文字数:約2500文字)
罰ノ三 小銭を集める
そばに立った人影で、手元が陰って子供は、顔を上げた。
「おい。お前」
妙な色をしている、とまず思った。
家の敷地の片隅に建つ、古い土蔵を改築した自分一人しか住まわされていない小屋の、戸口辺りの庭土を拾った茶碗のカケラで、意味も無く掘り返していた時で、カケラを手に持ったまま、顔に泥も付けたままで子供は立ち上がった。黒眼の大きなふた重の目が、ゆっくりと一度だけ瞬きをする。
見上げた相手の表情に、妙な色味は相変わらずだ。ものすごくキレイな色だって言えそうな気もするし、どうしようもなく薄汚い色みたいにも見える。自分にとって、良い者なのか悪い者なのか分からない。相手自身が中途半端だからだ。子供なのか大人なのか、少年なのか男なのか、微妙なあたりで固まっていない。
「男だよ女だよ」
名前に顔なら知っていた。イトコの「ますき」。シンセキなのに血はつながってない。兄ちゃんからは「ますき兄さん」って、呼ばれてる。
本来ならまず挨拶を、しなければいけない場合だと分かってはいたが、妙な色の乗った顔で見下ろされ、それにわりと不愉快な事を、不愉快な言い方で訊かれた気もしたから、ふわふわした赤茶色の髪をひと通り掻き回した後で、背を丸め掴んだ着物の裾端を、背を起こすはずみで思いっ切り引っ張り上げた。
「仕舞えよそんなもん。見たくもない」
固く目をつぶった顔に赤みが差す。顔そのものに付いた色味だ。顔と声とで、色味の意味合いが違う時がある、という事も、子供にはどうにかしてほしい。
放した裾を整えながら、相手の顔形を目でたどる。おばさんに似た細い目に、薄い唇で、わりかしお上品な顔立ちと言えたかもしれないが、その中でおじさんに似た鼻が、太くて高く突き出してもいて、やたら図々しく威張っている。いずれ目元に唇も、おばさんみたいにどこかねじれ曲がってくるんだろう、あるイミ気の毒な奴だな、みたいな事を子供は思っていたのだが、言葉に変え切れる年齢でもなかった。
長めに切り下げた前髪を、これ見よがしに掻き上げて桝機は、溜め息をついてくる。
「お前の近所の連中、お前は女の子だって言ってたぞ」
「うちの、キンジョ? お兄さん、来たことあるの?」
「行くもんかあんなみすぼらしい、貧乏人の路地」
ムッと口を結んだものの、どうもチグハグな奴だと感じていた。行ってない、にしては前のオレのうちが路地ぞいだってこと知ってんじゃねぇか。
「俺の母親がわざわざ、金出して聞いて来たんだよ。『女の子ならうちには都合が良い』からって……」
ツゴー? って何オレそのコトバまだ知らない。
「当てが外れて今頃八つ当たりだ。お前のせいだからな」
「なんで?」
と首を傾ける子供の仕草は、幸か不幸か可愛らしかった。焦点が分かりにくくぼんやりして見える黒眼のせいもあって、少し足りない者のようで、世話を焼きたくなるようなそばで守ってやりたくなるような。
「なんで、オレのせいになるの?」
「なんでって……」
赤みが取れ切らないまま桝機は、少しうつむく。
「ってかオレが女だったら何がどうなるって思われてんだか、オレさっぱり分かんない。そんなもんそっちのツゴーだろカッテに人のせいにしてんじゃねぇよ」
しかし内実は、母親に似た見かけにそぐわず、「見え過ぎてしまう」がゆえの動きのにぶさに反して子供は、ごく普通の男子並みに気が強く、口の回りも早い方だったので、
可愛らしく思い侮っていた側が、勝手に驚き騙されたようにも感じてしまう。子供にとってはそれこそ相手の都合で、知った事ではないのだが。
「ってか思い出した。オレお兄さん知ってる。前のオレんちの周りずっとウロウロしてたから、オレ出て行って『何の用だ?』って聞いてやったのに、顔真っ赤にしてぴゃーってにげてった。おい何だったんだよアレ」
急に突き飛ばされて子供は、二、三歩後ろによろけて尻餅を付いた。はずみでゴン、と戸口に後ろ頭も打つ。
「近寄るなよ汚ならしい。犬小屋に暮らしている、犬のくせに」
突き飛ばされたのと頭を打ったのと、向けられた言葉に色味の全部が痛くて、ワケが分からなくなって子供は黒眼に大粒の涙を浮かべたのだが、
すでに見下して見始めた相手には、小便並みに汚ならしい水だ。心を動かさないばかりかかえって、無様に見える。
「おい。おいイヌがいるぞ」
などといった言葉を、居酒屋辺りで耳にすると楠原は、
「え? どこにどこに?」
なんて聞こえて来そうな具合に、かえって声の方に首を向けてせいぜいとぼけた表情を作っておく。まさかとは思うが疑われでもしていたら、その様子で気のせいに思ってもらえるし、最悪でも声を発した奴の顔付きくらいは確認できる。
ただ今回の場合、発言者の顔は、開いたままの戸口から外の通りの方へ向けられており、楠原の座り位置からは暖簾の下を袴とブーツと、やたら太くて堅そうなステッキが、二、三人分連れ立って行く様が見えるだけだ。
(なんだ。忠犬壮士か)
代議士達におもねって、お小遣い欲しさに対立候補を、宵闇に乗じて襲撃に行く連中だ。代議士がしゃべってる内容の、十分の一程度も分かっちゃいねえくせに。偉そうに。
なんて思ったところで「へはっ」と、喉を吹き払うような笑いが出た。
人の事ぁ言えねえけどな。こっちだって、上が言ってくる事なんざ正直さっぱり、ワケが分かんねぇ。
大日本帝国、だとか、言ってて恥ずかしくねぇのかな。こんなちっぽけな島国が。本気で言ってて恥ずかしくねぇってんならソイツぁきっと……。
やめよう。
「親父! 勘定」
「へい!」
酔いが回り切ってしまうほどにはお酒を入れてはなりません、ってね。こちら側のイヌには取り決めの一つ、ですから。
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