御社と女人禁制
さて高野山の大伽藍である。
お大師様テーマパークのメインアトラクション。
TDLで言うならば、
ビックサンダーマウンテンにシンデレラ城だ。
え? ここが?
そう。ここが。
ほとんどのお堂が閉まっているんだけど?
それはだって本来は僧侶の修行の場だからな。
そして伽藍の右端は、
空海にこの土地を与えてくださった、
女神様をメインで祀る(他の神々もいる)、
御社(おやしろ)になる。
正式なお名前は丹生都比売(にうつひめ)だ。
ふもとの天野地区に建つ神社の名だ。
かつてはその神社を拝んでからじゃなきゃ、
高野山を参詣できなかったそうだ。
今は高野山に来る人も、
ほとんど知らされていないと思うが、
まず女性であり、
以前書いた小説の裏テーマにもした私としては、
伽藍の内でまず真っ先に御挨拶を差し上げなくては。
お賽銭に私は100円玉を落とし、
ここは言わば神社なので、
ニ礼二拍手一礼で手を合わせる。
かつては女人禁制で知られた高野山に、
堂々と参拝できるとは、
現代社会の有難さをしみじみと味わった上で、
顔を上げてふっと思い至ったのだが。
女人禁制、ということで、
お大師様の御母上すら、
ふもとの慈尊院までで留め置かれたはずだが、
先ほど乗ってきた南海鉄道高野線で言えば、
九度山駅の標高94mが、
慈尊院の最寄り駅だ。
高野山駅の標高867mまでに存在する、
集落と人々の生活は何だ。
お気付きだろうか皆さん。
すなわち「女人禁制」とは、
「(身分の高い)女人禁制」である。
僧侶相手に商売をしてきた、
仕立て屋に染め物屋に紙漉き業者、
腐りにくいため献花代わりに重用されている、
高野槙(コウヤマキ)を売るおばちゃん達は、
昔っから平気で出入りしていたはずだ。
なればこそ今高野山の町にすむ、
約2300人の3分の1が僧侶(ブラタモリHPを参照)。
裏を返せば3分の2は僧侶ではない市井の人々。
はっきり言っちまおうか。
庶民は構わねぇんだよ。
ってか庶民は「人」の数に加えられていない。
しかしこれは空海や我が国の汚点ではないぞ。
西暦800年代当時は世界中がそんなもんだったからな。
修行に入った若い男子が煩悩に苛まれてたまらん、
食指が疼きまくる貴族女性のみが、
「女人禁制」だったわけだ。
そりゃだって女性は山籠り修行に耐えられない、
ってか修行するまでもなく、
子を身の内に養い出産するという命懸けの能力があるわけで、
そちらをこそ大事にしてもらわなければならない。
現代感覚で性差別と批判するのはナンセンスだ。
その時代、その階級、その当時に可能だった医療技術を、
せめて想像した上で語らなければ。
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