どうすれば喜びを分かち合えるのか? 落合陽一 ✖ 東浩紀
いつも聴きごたえのあるテーマでの対談、落合さん、ありがとー!!
この動画は有料版100分ある中のほんの一部のようですが。
どうすれば喜びを分かち合えるのか?
タイトル見ただけで「これよ、これっ!」って思いました。
そして対談相手が東浩紀さん。
東浩紀さんは、私もコロナ禍になって電子書籍で本を読むようになってから出会えた人です。
とりあえず聴き終えて、今頭に浮かんだことを書いてみます。
落合さんが言っているのは、「デジタルネイチャー」の世界で満足な人と、そうでなく、やはりもっと身体が「質量のあるもの」(これは、リアルな実体験、物、自然環境とかかな)に触れあって、ゆったりと自分の時間を持つことを大切だと思う人たちとに分断されていると。
ただ、この表現も難しくて、
(落合さんも、様々なことば、例題を上げながら説明してくれるのですが)
「デジタルネイチャー」であっても、「デジタルネイティブ」な子供たちにとっては、それは身体性の拡張にちゃんとなっていて、十分に「喜びを分かち合える」世界にもなるだろうし、年配者でも、これはもう一人一人本当に感じ方、捉え方が違ってくるのかなと。
今の私の感覚だと、「デジタルネイチャー」で十分に現実の拡張世界を楽しめる空間も出て来る気もする一方、絶対にリアルな「豊な自然」の中に身を置いて、ゆったりとした時間の中で「物思いに耽る」ということぐらい幸せなことはなくて、こういう「喜び」も分かち合えたらと。
「タイパを考えて生きるなんて」と言うのは、わかるけど、「タイパが重要」と言っている人たちが、静かな自分だけの時間を否定している人たちばかりではないとも思うし。
膨大なコンテンツに振り回されているのか、必要なコンテンツを「取りに行っている」のかでも話は変わる。
(落合さんは、少し先の未来を見据えての「表現」を紡いでいるのでしょう)
結局デジタルだろうが、リアルな空間のリアルな体験だろうが、自分がこの世界で生きているということを本当に楽しめて、安心して共有できる「人」や「空間」があればいいのだと。
そして、「複数の空間」、つまり現実の豊な自然と「デジタルネイチャー」を「往ったり来たり」が最高かな。
web3の文脈で新しい技術のことを学んでいると、インターネット上のメタバースのような空間で「新しい経済圏」が出来上がることで、余計な開発などせず、地球環境を守ることも出来るのではというような話も聞いたような気がする。
そうすれば一層「デジタルネイチャー」も地球環境も良くなって、自分が所属したいコミュニティに安心して所属できる社会になればと。
(まだまだ「夢物語」かな)
自分が所属したいと望む範囲のコミュニティサイズならば、人間はそのコミュニティに対して、「自主的」にその小グループのコミュニティを「居心の良いようにしようと努力する生き物」なのです。