老いが怖くて仕方がない人に一言。それは「なりゆき」
老いは人とのネットワークの中で感じるもの
なるほどなぁ。
養老さんが、「自分が老いを自覚するのは、会議などに出て『この中で自分が一番年が上だな』というように、他人と比較するとき」と言った。
日々、虫の標本を作ったり、一人好きなことに没頭していると、年を経て「疲れるな」とかはあったとしても、「老いた」とは感じないとのこと。
それを聞いた落合さんも今は、「電話会議やメタバースで相手がどんな人かわからない(年齢を判断できるものが無い日常)」ということを言った。
(「老い」という感覚を感じにくくなったということ?)
この二人の会話を聞いたとき、私が「あっそっか」と思ったのは、私もDiscordコミュニティにもう一年以上アバターで参加していて感じるのが自分の感覚、年齢の感覚が若くなってる?ということ。
テキストチャットで話すとき、自分の身体的な特徴は相手に共有されていない。
身体的な老いや障害を感じることが少ないということに改めて気づいた。
ただ、私の場合オンラインでの会話にも不自由が発生するので、全くのノーストレスという訳にはいかないけど。それでも「振る舞い」は現実とは変わる。
オンラインでのアバターの世界は、身体的ストレスから感情が解放されているんだなと。
(私の場合もっと本質的に開放されるには、もう一段階社会の進化が必要
かな)
この対談の中でもう一つ、この先の地震や津波などの大災害に備えるために考えておいたらいいなと思ったこと。
それは、ふるさとを持つということ。
ここでのふるさとは、今自分に今いる場所から逃げて行ける先があるということ。疎開先。
次の大災害では、長期に渡って被災地に住むことは出来ない。過去の事例でも分かること。
それに備える意味もあるけれど、養老さんの意味合いの中に、昔の人は都会に出てきて仕事などで失敗したり、辛くなったら「田舎に帰るわ」ということが出来たという。それが出来ない今は・・・、確かに辛い。
養老さんへの質問に、
「虫のライフスタイルで、ここは見習いたい、自分も取り入れたい、と思うことはありますか?」というものに対して、
「素直に生きてる。必要なことだけやって後は休んでるみたいな。」
落合さんも
それに続いて、
「居心地の良い場所にいるというのを猫に学んだ」と。
これからのweb3やAIが進化する社会は、これまでの「働くことが正義」とか、一番貴いという考え方を変えていかないと、生きるのが辛くなると思う。
今までの教育という概念が全く変わる。
自発的に、「私はこれがやりたい!」とか「これが好き!」が無ければ、働かなくてもよくなる世界では退屈だろうし。
今使った「働く」という意味が、今までとは異なってくるのかも。
多分多くの人はまだ気づいてないのか、そういう生活を経験してないからだろうけど、今だって無理してやりたくない仕事をしなくても、生きていく方法はいくらでもある。
おもいっきり仕事をしたい人、新しい事業を起こしたい人はチャレンジ出来て、でもそれがダメになったり、そういうことをしたくない人だって違う場所で居心地よく生きていける。それを知っていない人は失敗したときに行き場所が無いと思い、辛くなる。
全そんなことないのに。
どこでも、どんなことしてでも、好きなことをして生きて行ける。
虫や猫のように、身体が動かなくなるまで好きな事して、居心地よく生きて、自分で食べられなくなったら死ぬ。
それさえ明確に解っていれば何の問題もない・・・はず。
自分が本当にやりたいことを、周囲の目を気にして生きるくらいつまらないものは無い。
せっかく人間やってるのに。
今よりも身体を使った仕事や、そういう仕事が得意な人の価値は上がるのだろう。機械には置き換わらない仕事って何かな。
いろいろ未来を妄想しながら、猫のように生きたいと思う。
無理するな。
老いはなりゆき。
養老さんでも、そう思うようになったのはここ30年くらいだと。
狩猟採集的になってくる。
お二人ともそう思うようになってきたと。
私も。