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『日本の特質をよく理解した上で、何を守り、何を取り入れるかをその都度判断していくしかないのだ。』

東洋の中の日本、その歴史を様々に知るにつれ、近代西洋哲学の考え方を先に身に着けた状態で、日本の文化を見てしまうと、本当に大切な部分が抜け落ちてしまうかもしれない・・・、というか「見えなくなるのか?」、それとも、深く考えたことは最近までなかったけれど、やっぱり私はいつまでたっても「日本人」なんだとも思う・・・。


哲学というものが、自分の言葉で「人間はどう生きるべきか」を語るものなのですから、私が生きてきたこの風土の中で、私がこの世界を認知するために日々使っている「日本語」を使って考えるしかない。

この国の歴史と文化に育くまれ、日本語を使って思考しているのですから、私の哲学は西洋にはあるはずがありませんよね。

西洋を知るための知識として、自分たちの違いとしての「西洋哲学」を学ぶことはあるでしょう。

でも、私の哲学は私が生きて、思考しているこの言葉で考えて語りたい!
なんか、そういうのが「生きている!」って感じ。

私のnoteより



今回のPodcastで深井さんやJoiさんが最近の日本では、100年前の西田幾多郎や岡倉天心のような海外でも有名で、海外と渡り合える日本の哲学的発信が出来る人がいないのはどうしてかという話になる。
深井氏は、戦後の経済が安定して伸びてきたような「やることが決まっていた社会」では、哲学的発信や思考があまり必要とされなかったからで、今の変化の時代、「迷い」の中の若い人たちの中から必然的に生まれるのではないかと。時代の要請。

シニア世代の私がこの深井さんの話を聞いて思ったのは、そもそも日本には、昭和以降の時代でも日本文化・歴史を踏まえた哲学的思考で発信していた人はいるのだと思う。私の場合でも、父の本棚にあった梅原猛氏の本に感動したし、コロナ禍になって、急速にネット上でのサービスが増え、外出困難な私にとって有難いサービスが増えてきたことに気づいて電子書籍やネットメディアなど、情報収集先を一変させたことで、落合陽一氏、伊藤穰一氏、他にも多くの人たちの本に出合えたことで、「こんなにも多くの日本の人たちが、私の知りたかったことを発信していたんだ!」と思ったから。
私がまだまだ知らないだけで、それでも数学者の岡潔や小林秀雄の本などを読んでも、本当に私にとって大切な気づきがあり、それは世界に向けても発信できるもののはず。

そして、その日本の歴史・文化の中にある大切なものを気づかせてもらえる発信をずっとして来られているのが、小林よしのり氏。

何でもかんでも欧米が「先進的」と思い込むような固定観念はいいかげん捨てよう。

日本の特質をよく理解した上で、何を守り、何を取り入れるかをその都度判断していくしかないのだ。

小林よしのり

今回のPodcastでも、深井さんが日本の歴史から学ばれていることは、この小林よしのり氏言葉に通じるもののように思えました。番組後半でも、日本文化の中から生まれている「システム」(こういうものを「規範」と呼ぶのかな)があって、それは西洋人から見て解らないし、理解できないこと。でも日本人には身についていて、それで回っている明文化できないシステムがある。それは、長い年月で培われたものなので、西洋から見て「おかしい、変だからやめろ」と言われて、そのまま相手の文化に合わせることで、いかに自国の社会の中で「うまく回っていたもの」が壊されるのかということを、あまりにも考えてこなかった。これは仕方のないことかもしれない。最初に書いたように私たちは明治時代の頃から「近代西洋哲学」というか西洋の技術なども受け入れたことで、今の私たちはそっちの考えになっているし、またそれ以前の日本をあまりにも知らない。だから私も「なんか違う?」と感じることはあっても、それが何なのか?どう違うのかが全く解らなかった。ただ、さっきも書いたように、いろいろと日本の私が知らなかった先人の話を読み、日本の歴史をもう一度学びなおしていくごとに、小林よしのり氏の言葉、

何でもかんでも欧米が「先進的」と思い込むような固定観念はいいかげん捨てよう。

日本の特質をよく理解した上で、何を守り、何を取り入れるかをその都度判断していくしかないのだ。

これ、「本当に大切だ」と思う。

私はもっと、日本の大切なものを知りたい。
知らないまま、失っていいの?