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「哲学」するって?梅原猛氏の言葉より。

哲学は自分の頭で考えることである。しかも、それは、過去の哲学の学説や、概念について考えることではなく、今の世界において、人類はどう生きてゆくべきかを考える学問なのである。  このことを、日本の哲学は西田幾多郎以来すっかり忘れていたように思える。

私はやはり哲学者は、生きている世界と人生の鼓動をききつつ哲学をしなければならないと思う。

あまりに生きた世界と人生に背を向け、本の中にのみ真実を求める哲学が多すぎたのである。

もとよりわれわれは本から学ばねばならない。けれども、本はやはり二義的な意味しかもちえないのである。われわれの哲学の源泉はやはり、生ける世界であり、生きる人間でなくてはならない。

『哲学する心 (講談社学術文庫)』梅原猛 著



この年齢になるまで(還暦過ぎオバサンです)「哲学」というものがどういうものかを深く考えたことはなかった。

でも二年半ほど前に突然参加するようになったDiscordコミュニティで、今まで出会うことがなかった人たちと会話をし、電子書籍が読めるようになってから、外出不自由で本屋や図書館も縁遠くなっていた私に、読書の機会が増えた。

本当にありがたいことだ。

そして梅原氏のこの文章を読んで、「私は結構『哲学』してたんだなぁ」と思う。

私が持っていた「哲学」という言葉に対するイメージは、ここで梅原氏が述べているように「過去の哲学の学説や、概念について考えること」だった。

近代西洋哲学の解説本みたいなものを読んでも、さっぱり「自分ごと」には受け止められない。

言ってることが全くわからない訳ではない。

でもなんだか言葉による「頭の体操」してるような感じ。

それで何か自分が楽しくなったり、この世界、そう「地球上の全ての自然」、そして「宇宙についてのイメージ」なんて、全く広がらない。

私が今を生きるために大切なイメージは、この宇宙の成り立ちのようなもの。
この方がよっぽど生きるための力になる。


このnoetに書いてきた私の読書歴。

梅原氏のこの文章を読んで、本当にうれしくなった。

やっぱり私は「自分の哲学」をやってたのだと。





inori

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