見出し画像

自分を素直に生きられたら、そこで初めて他人に優しくなれる。自然という概念が変化する時代の『マタギドライヴ』的な生き方って・・・。

技術の進化による「計算能力」の途轍もない進化で、「従来の自然」と「デジタル世界」が「分かちがたいもの」になってきている。

そして、「自然」という概念そのものが変化することで、それぞれの国や文化の中で引き継がれてきた「崇拝の対象」となってきたものに対しても変化がある?

その変化が現れてきている?




そして、落合陽一氏のこのnote。
また一段、『マタギドライヴ』のイメージが鮮明になった。


ニュースザップの最終回だったような(上記の落合氏のnoteより)

自然崇拝の再考:私たちの崇拝の対象が、従来の自然から計算(エネルギーと半導体)の基本要素へと移行しています。


落合陽一氏は、技術的に進歩した社会における知性、芸術、自然の理解を再考するよう私たちに促しています。デジタルと自然の世界の計算的な基盤を認識することで、彼のような思想家が描く新しい形の「自然」を理解できます。それは、私たちの計算能力によって形作られ、また私たちの計算能力を形作るものです。

『フロップスドリブン(FLOPs Driven)について #デジタルネイチャーからマタギドライヴへ
落合陽一氏のnoteより



『伝統とテクノロジーを駆使しながら偶発的な自然の恵を、叡智と美と伝統と信仰をたずさえながら志向していくのである。』

という落合氏の一文。

その「叡智」「美」「伝統」「信仰」は、その「地」に結びついているとも思うし、それらを受け継いできた人々の中に様々あるもの。

私は、そういうものにちゃんと接続している自分でなければ人間は不安になるものだと思う。

過去から受け継がれてきたことの中に、そこで生きるために必要な「繋がり」を生むものがある。その大切な文化を共有できる仲間が必要で、そしてそのような文化が世界中にある。

そして、

今起きていること。


2. 計算機自然の登場新しい自然としての計算機自然:計算機自然とは、計算機自体が新たな「自然」として機能する概念です。

人類の新たな役割:この新しい自然から提供されるものを「選ぶ」ことが、人類の新しい活動となります。

『フロップスドリブン(FLOPs Driven)について #デジタルネイチャーからマタギドライヴへ 』落合陽一氏のnoteより


だから「新しい自然」の中では、自分の楽しい!、やってみたい! をやる。

自分を素直に生きられたら、そこで初めて他人に優しくなれる。

だから子供たちももっと多様に新しい自然を体験しないと、自分を強く、他人に優しくはなれない。


これ凄い!!!