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いま日本人は、これまでの構造が一夜にして変わってしまう世の中に生きている。このようなときは、「通史的思考」をなさねば変化のなかを生きてはゆけない。(磯田 道史 )「変わらない文化」と「変化するための文化」

AIなどの技術の進化で、社会は「加速しながら変化している」。
そう感じながらDiscordコミュニティでweb3、ブロックチェーン技術、DAOなどを経験し学んだり、私がこのnoteの中で取り上げている人たちの発信を聞き、本を読む中で思ったことが「歴史を知る」ということ。

そしてこの本、磯田道史氏と猪瀬直樹の共著ということで、「絶対面白そう」と思って読み始めました。

著書では最後に磯田氏が次のように述べています。

歴史でいちばん大切なのは「通史」である。  
しかし、歴史学者の専門も、教科書の単元も、時代ごとにブツ切りにされている。
今日は江戸時代、明日は明治時代というふうに歴史は教えられる。通史は教えられない。
・・・・・・

いま、読者諸氏に申しあげたい。
日本が変化しないときは、時代ごとの死んだ歴史を読んでいても命に別状はない。
だが、いま日本人は、これまでの構造が一夜にして変わってしまう世の中に生きている。このようなときは、「通史的思考」をなさねば変化のなかを生きてはゆけない。

『明治維新で変わらなかった日本の核心 (PHP新書)』
猪瀬 直樹, 磯田 道史 著

平時なら、何も知らなくても「命に別状はなく」生きていける。
でも構造が一夜にして変わる(世界の状況も一夜で変わる)そんな今は、「通史的思考」をしなければ「生きてゆけない」。

私はこの「生きた歴史」を研究し続けている磯田さんのメッセージを重く受け止めています。

Discordコミュニティに参加し、メンバーとともに新しい技術などを学ぶ中、
AIが急速に進化し、世界の情勢も心穏やかに過ごすことも難しく感じるほどに、私が生まれて60年の中で、最も大きな変化を迎えていると感じます。

大きな技術の進化を、様々な問題を少しでも良い方向に向かうために使おうとするとき、向かう方向性を共有するための支柱の一つが、「自分が所属している地域で育まれた文化・歴史」ではないのかと。

この本は、磯田氏の「古文書」という本当に貴重な「一次資料」から、猪瀬氏との対談形式で、「通史」として日本の社会システム、経済などを解説してくれていて、実際に日本で起きていたことが、詳細に紹介されているのがとても面白いです。

日本の社会システムを、このような歴史に沿った「通史」で見ることで、今の私たちの社会システムをどう変化させればいいのかという話の「たたき台」として、共通の知識として皆が持つことが出来ると、一人ひとりがどのように社会を変えることが出来るのかという具体的なイメージを持つきっかけにもなるのでは。

そして今、世界で起きていること。
磯田氏が言う、

これまでの構造が一夜にして変わってしまう世の中に生きている。このようなときは、「通史的思考」をなさねば変化のなかを生きてはゆけない。

そんな大きな変化がどのようなものであり、またその「変化を起こすのも文化」だと表現してくれている?(そう私は解釈した)のが伊藤穣一氏のこのエッセイです。


この文章の最後は、このように結ばれています。

ぼくは新しい覚醒が起こり、新しい感性が文化的な変革を通じて人々の行動に非線形の変化を引き起こすと期待しているし、またそうなると信じている。

システムのあらゆる層で、もっと回復力のある世界を創り出そうと活動し続けることは可能だし、またそうすべきだけれど、文化の層こそが、いまぼくたちが歩んでいる自滅の道をやめるという根本的な是正につながり得る層として、潜在力が最も高い層だとぼくは信じている。

これを実現するのは、歴史的にもみられたように、新しい感性を反映し、増幅する若者たちの音楽や芸術になると思う。その感性とは、貪欲さに背を向け、「十分すぎるのは多すぎる」ことを認識した世界において、自然を思い通りに操るのではなく、自然と調和しつつ繁栄する感性だ。

「還元に抗う

機械と共に歩む複雑な未来を設計する」より


私はこの文章を読んで、以前書いた小林よしのり氏の、
「『人権vs文化』なら、僕は迷わず文化を選ぶ」を思い出しました。

これは、文化とはとても大切なものであり、国の歴史によって育まれ、一度破壊されたら復活するまでには非常に長い年月と努力を要するものだからだと小林氏。

大切なその国々の文化。
お互いに尊重しなければならない文化。


磯田氏が言うように「これまでの構造が一夜にして変わってしまう世の中に生きる」ためには、根本的な「問いをたてること」が生きるために必要なのでしょう。

私はそんなことを思いながらこのnoteを読みました。

我々は計算機自然の偶発に喜びが得られるだろう。デジタルとアナログ、人間中心と脱人間中心の境界を越えて、新しい表現の地平が広がっている。そこに向かって、私たちは今、歩み始めたのかもしれない。

落合陽一


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