インフラとしてのジャーナリズム
「ジャーナリズム、調査報道」が民主主義のためのインフラであると思うが、そこがいま危機に瀕していると思うと言う彼女に「インフラとしてのジャーナリズム」という表現を教えてもらった。
自分が目にしている情報が、本当に狭い範囲でしかなく、多くの何かが隠されていたり、私たちの目が向かないようになっているのではないかと思い始めていたし、私にとってとても大切な情報が、TVからではなく、ネットからであったことが、続いたりもして、「インフラ」という言葉に「ナルホド」と深く共鳴したのだと思う。
この言葉を教えてくれた彼女も、まさに「調査報道」の重要性に関心がある人。
私もこのコミュニティに入る少し前に、石戸諭氏の本に出会い、感動したり、教えられたりしてたので、テキストチャットで少しお話出来ただけでも、とてもうれしかった。彼女もこの本を知っていた。
そして、次に読んだのがこれ。
実はこの本、私にとっては実に興味深々。百田尚樹氏の本を読んでないし、SNSもやらないので、彼の言説をよく知らなかったが、この人に至る「現象」の起点となる、小林よしのり氏らの、いわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」に関しては、退職した頃に盛り上がっていた話で、「よしりんファン」の私は、興味を持って観ていたから。
今、再度本を見返しながら、「『ゴー宣』のコンセプトって、これだったのね」と。
そして、石戸諭氏の取材対象者が、「本当にこれだけの人に会えて、取材出来たんだ!」という驚きを持って、読んでしまった。
大きく技術が進歩するこの先の「ジャーナリズム」とは、誰が、どのように担うものなのか。web3の技術が「ジャーナリズム」を支えるのか、それとも混沌。
「ひとりひとりが賢明にならなければ……。」それは解る。
でも、長く「ジヤーナリズム」が機能していなかった。(メディアがネットに移ってきた今、私は、それまでのメディアが伝えた世界とは違う世界を見ています。)
そしてまだまだ、情報は足りないし、多くの人に届いていないように見える。ならば、一部の勇気ある「未来を見通せている人たち」が、今の技術を可能な限り説明したり、この先の社会がどうあるべきかを伝えようとする「インフラとしてのジャーナリズム」の方が先に必要なのではないか。
(難しいけど)
これからの新しい技術や未来社会の有り様を、誰が、どのように伝えるのか。
しかし最近私は、ジヤーナリストが取材し、メディアが伝えて合意形成を図るということにはもう限界を感じている。
話し合って決めるということが、ここまで複雑な世界になるともう不可能としか思えない。
テクノロジーが予測する未来……。私はその未来を見てみたい。
(文章書いてて、疲れた😅)