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マタギドライヴ!
マタギの森へ pic.twitter.com/nQopMdM3HM
— 宇野常寛 (@wakusei2nd) August 13, 2024
「デジタルネイチャー」も「マタギドライヴ」も何か簡単な方法論を書いている訳でもないし、文頭で宇野常寛氏が書いていたように「デジタルネイチャー」が人間が情報技術の発展で進化するかのように主張しているお話でもない。
「『デジタルネイチャー』は僕から見てもかなり誤解された本で」と宇野常寛氏。
私の「デジタルネイチャー」の理解は・・。より
私が「デジタルネイチャー」に続く「マタギドライヴ」について知ったときに書いたnoteです。
今年中には、本が届くかな。
そもそも落合君はそのキャリアの中で何度も国外(具体的にはアメリカ)に活動拠点を移す機会があったはずで、そしてそれを「選ばなかった」人間だ。
その理由はいろいろあるのだろうけれど、僕から見ればその一つは彼がこの列島を足場にものを表現することに惹かれていたからだ。
『マタギドライヴ』の旅 #2
宇野常寛
そうなのですね。
私が知ってからの落合さんは、多くの日本のことを発信してたから・・・。
計算の 織りなす自然 頂きて
心に映す 月の優しさ
「マタギの生き方」とは、日本の歴史・文化の中にある「デジタルネイチャー」の世界を生きるために必要な「知恵?」。
(もっと、マタギのことを知りたくなる・・・)
量子コンピュータのような「高速な計算機」が、この物理世界を高度にシミュレーションしてしまう世界は、今私たちが考えている自然と、「計算機自然」が少しずつ干渉していく世界。
既にDNAの改変などの技術も始まっていますよね。
そんな猛烈な自然の恩恵を「少し頂きながら生きていく世界」。
万物が 計算絶えず 織りなして
我もや世を 紡ぎゆくらむ
私は、父が持っていた梅原猛の本に始まって、退職後に最初に図書館で借りて読み始めたのが仏教の本。
そして、いろいろと日本についての本を読みました。
日本の文化や歴史は、知れば知るほど私にとっては「生きる力」のようなものを与えてくれる。
無意識に、そう感じていたのかもしれません。
マタギ
この言葉からイメージするもの。
感謝
頂く
生きる
楽しむ
祈り
覚悟
この世界を、覚悟はいるけど、楽しみながら生きていく。
マタギという言葉には、そんなイメージが私にはあります。
デジタルネイチャーの世界での「マタギドライヴ」とは?
楽しみです。
還暦過ぎの私の人生で初めて「これからの世界はどうなるのだろう」と思ったのは、DNA編集が出来るということを知った時だと思います。
自然の中で長い年月をかけて変化するDNAが、人の手で簡単に操作出来てしまうことを知ったとき、この世界の自然のバランスがどうなっていくのだろうと思いました。
でもコンピュータが加速度的にこれからも進化する世界では、計算機と自然が相互に干渉し、そのサイクルも加速度的になるということ。
ここまでのイメージだと不安になりますよね。
でも落合さんの「デジタルネイチャーの哲学」は、そのような世界を生きるための哲学だと解りました。
(中略)
技術の進化を止めることは出来ません。
「デジタルネイチャー」とは、この世界(宇宙)と一体になって変化していく「物理現象」だから。(今の私の解釈)
「デジタルネイチャー」は「自由への扉」の哲学だと思った。
万物がデータ織りなす世にありて若き力を励まし学ぶ