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『生きのびるための事務』 父はtailorなのですが。

「生きのびるための事務」ってこういうことなのか。

社会人になって、自分よりも年が上の多くの人と仕事をするようになってから、また自分が年を重ねるにつれ、そして一人の大人として両親がやってきてくれたことを知るようになるにつれ「私の両親って凄いのかも」と思うようになってきた。でも具体的に何が凄いのかが上手く表現できなかった。両親以外にだって世の中には「凄い」と思う人たちはいるのだけど、そして私の両親のような凄い人もいるのだと思うのだけど、それがどういうことなのか、どう言えばいいのか。
この本を読んで解った。それは、両親が本当に、本能的に二人とも「生きのびるための事務」をやってたんだと。
ずっと続けられることをやり続ける。それが仕事になってお金をもらえる。まったくもって父の仕事の仕方はそうだった。ただ、この本の著者坂口恭平さんのように「好きなことだけをやる」という表現をすると少し違うようにも見えるのだけど、つまり両親は「好きなこと」というよりは、続けられることをやる。でも子供の私から見てそれが苦しそうにやっているようには全く見えなくて、事実二人ともその「生きのびるための事務」をゲームのように、そう父はそんな感じ、母はその「事務」をいかに見つけるのか、解決するのかを大変だけどでも当然のように当たり前に処理している。やっぱり、いやいややっているようには全く見えないから、この本のように「好きなことだけをやる」という表現をしてもいいのかな。著者のようなタイプというか、状況というか、やっていることは全く違うのだけど、それは当然で、「生きのびるための事務」というのは人それぞれ全く違うもののはずだから。

指貫、使える?

父は9歳で父親を亡くし、母一人子一人。中学出て飛び込んだのが紳士服を作る店。「都会のテーラー」というのとは全く違う。縫うためだけの職人が集められて、仕事場に何人もいる中で縫ってたみたい。縫い方は、その職場に入ってからそこで教わったらしい。これを書きながら思い出したのは、やっぱり父は特別この「紳士服を作る」という仕事が好きとか、それがやりたくて入ったというのではないようなことを聞いた気がする。今考えてみると、その仕事が身近にあって、雇ってもらえて、それを続けてさえいけば暮らしていけると思ったから仕事にしたという感じ。そう「生きのびる」ためには、続けられると思えなければいけない。全く縫ったこともない中学を卒業したばかりの男の子が、とにかく生きのびるために、最低限考えないといけないのは、その仕事を続けられるのかということ。そして見事生涯楽しく仕事にしてしまったのだから、その判断は正しかった。いやこういうことは「判断」とは違うのかな。その時点でそう思い定めて、そっからは楽しく続けられる工夫もする。やっぱりすごい。

しかし時代の変化で、店に来た仕事だけを請け負って縫うというだけではすぐに食べていけなくなる時代になる。
「ずっと縫うだけで食べていけると最初はおもっとったわ」と笑いながら私に言った父。そんなに簡単に「生きのびる」ことは出来ない。
(やっぱり大変。だから自分に合った「事務」が必要。かならずその方法はあるというのがこの本。)

そうなる前から父が務めた店に入る仕事だけでは家族6人(姉弟三人、寝たきりの祖母もいる)を食べさせていけない。なので父は店の仕事がないとき、休日などにバイクで(父が車の免許を取るのは、私が高校を卒業するころ)大きな屋敷を見つけては飛び込みで営業を始めたのだ。そして父は自分の力で売るということがゲームのように楽しかったのではないかと思うのだ。だって私に話すのは、縫うことの技術のことではなく、商売の話ばかりだったと、今思い出した。

これは最近私が買った。
プロが使うのは、もっと重い。

私は大人になってからも、父が家で縫っているのを見ているのが好きで、時々ミシンの椅子に座って眺めていると、父も仕事について話してくれることがある。それは高級な紳士服を地方で店も構えることなく売ることの難しさ(実際は、父がやってた方法が最良だったと思う)や、値段の付け方、家を回って飛び込みで売るためのノウハウ、代金回収の難しさ・・・。どの話も楽しそうに話す。
父が亡くなってから初めて弟から聞いた話では、父は職人ということより、セールスをする、自分の作るものをどうやって売るのかという「商売人」としての部分を楽しんでたようで、父の「紳士服を作る技能」を表彰するための推薦があったときに、「自分は職人というほどではない」みたいなことを言って、その推薦を断ったというのを知った。別に断らなくても(笑)。そう、やはり父はスーツを作ることが好きで長続きしたのではなく、続けられさえすれば食べていけると思われる仕事を、自分が楽しいと思うゲームのように取り組んでいたふしがある。そう見えた。やっぱりそうだったのだ。

また思い出した。私は趣味でソーイングとかするのだが、そんな私を見て「仕事でもないのに、ようそんなん丁寧に作るのお」と言うのだ。つまり父は仕事だから縫うけど、趣味でそんなの出来ないと私に言うのだ。そのときは「へっ?」と思ったけど、こうやって書いてると解ってきた。やっぱり父は「生きのびるための事務」としてこの仕事を選んだのだ。でもそれでお客さんが喜んでくれて、自分の力で売り続けるゲーム。父がいろんなことをずっと考えながら日々実践していたのはそばで見ていて感じていた。


両親が使ってたもの

両親は私たち子供三人が独立するまでは、とても自分たちの自由な時間を持って何か他のことをするということは無かった。
そんなこと出来る暇は無かった。とにかく「生きのびるための事務」を日々続けなければ、家族は生活できないから。そんな父が自由な時間を持てるようになってやり始めたのは、軽自動車で日本中あちこちを走り回ること。とんでもない「強行軍」で、宿泊施設に泊まることもめつたにせず走り回っていた。いろんなところ行きたかったんだなぁ。私たちが独立して初めて出来るようになった。もちろん仕事は注文が入ればしていた。仕事もずっと楽しそうだった。


父の作るスーツの見事さ。見事だと思った。いや、本当に大変な仕事なのだ。縫いあげるのも、売るのも。さっき書いたように父が就職したときは、まだ紳士服の全国展開のチェーン店などというものはもちろん存在せず、紳士服は、人が縫うしかないわけで、多くの職人さんが店にいた。父もずっと縫っていれば食べていけると最初は思っていたと笑いながら話すのを聞いたとさっき書いたかな。しかし時代とともに、スーツは既製品が安く買える時代となる。職人は減り、父はその店での最後の職人となる(結果その後県内で最後の職人だったようだ)。そう、父はこの社会の変化で安い既製品が出回るようになると、自分で採寸、製図から始まる全ての作業、テーラーとして一人前になるためのことをほぼ独学でやるのだ。もちろん務めていた店の主人からも習ったとは思うが、別に専門学校に習いに行った訳でもない。この仕事は一人ひとりのお客ごとにぴったり合うものを作るということなので、しかも父のような注文洋服を頼む人は、身体の特徴が平均的ではなくて、時々ぴったり縫い上げるのに苦労している父の言葉を聞いたりしてたので、常に学びが必要な作業。そしてつくづく私のような素人が思うのは、プロってスピードを持って仕上げるからこそのプロ。時間なんてかけられない。

今こうやって父のことを書き始めたのは、この「生きのびるための事務」の「毎日楽しく続けられることだけをやる」ということがいかに大切で、そのための「事務」つまり方法はちゃんと考えればあるということ。せっかく人間という生命にこの地球という、さっき宇宙物理学者の人の話を聞いていたら、やっぱり私たちのような知的生命体は、この観測範囲内の宇宙の中では私たちしかいないという確率が高いというほど貴重な体験をしている私たちが、考え方少し変えれば、つまり他人の評価など気にせず、自分のやりたいことだけをやるための「事務」を覚えれば、この世界を死ぬ前に後悔せずに笑顔で、張り合いがあって、チャレンジングで、面白すぎる体験をしながら「生き延びる」ことができるというこの本を読みながら、まったくもって父は、いやまだ書いてないけど父がここまで出来たのは一人ではなかった。母という最強の相棒がいたからだが、母のことは、私には父よりも「事務能力?」が凄くて本当に凄すぎて、またこの文章とは別に書くしかないけど、そんな一緒に「事務」をやる母がいたから生き延びられたのだとは思う。

これは大切なことで、一人で生き延びようとする必要はないのだ。というか、一人で生き延びようなんて考えるのは、せっかく人間というこの宇宙に私たちしかいないような生命で生まれたのに、一人で生きる必要はないというか、人間って、一人で生きるようにはなってないわけで、なので、今一人で相談できないなんて思っているなら、どんどん回りに相談しまくればいい。一人で解決するなんてことを思うのではなくて、自分がやりたいことの「事務」のやり方を知ってる人は必ずいるから。両親の凄いとおもうことを書こうと思って今書いているのは、両親も贅沢するお金はないけど、またお金も入ってくるのは、売れたものに対して、客がきちんと支払ってくれるかというゲームを達成しないと、私たち一家6人は結構すぐに生活が大変になるという緊張状態を、父は楽しそうに、でも真剣勝負で生きていたのが今ならわかる。それは家族がいたから。支え合える仲間を見つけることもやっぱり一番大切。

生きてる間にすることって、自分が何が好きなのかを探して、見つかったら、死ぬまでそれをやり続けるってだけです。
<事務>は「好きとは何か?」を考える装置でもあります。

『生きのびるための事務』坂口恭平著

「事務」は「好きとは何か?」を考える装置。
学校では教えてもらえないけど、でもこれさえ知っていれば「生き延びられる」ということ。それも楽しく!そしてその方法を、生き延びる方法をまず知って、いろいろと自分で考えて、回りの意見は関係なく、とにかく自分の好きなことを考えてやってると、あるとき、どうしても生き延びるためには覚悟をしなければいけないような状況になるときも出てくる。でも好きで生き延びることを出来るようになっていると、本当に覚悟が必要なときに、その覚悟が出来て、その覚悟を遂行するための「振舞い」が自分で出来るようになる。生き延びるための覚悟の振る舞いって何?そういうことも自分で考えられるようになる。学校の授業だけでは、「生き延びるための覚悟の振る舞い」が必要なときに、その振る舞いが出来ないかもしれない。その方法が身についてないから。でもこの生命を、かけがえのない唯一無二の自分をまっとうするためにその「振舞い」が必要になるときがある。そのために、まず、この本の「事務」とは何かを考えて、解らなかったら、回りに聞きまくって、尋ねまくって、生き延びろ。それが若い人の権利だし、まぁ私は権利という言葉があまり好きではないけど、本当に生きたいわけだから、権利なんて言う前に行動すればいいだけの話。とにかく周囲の意見で、自分が1ミリもやりたくないことを言ってくるのは無視。ただ、考えなければいけないのは「生き延びる」のだから、どうにかしてその方法を探すのだ。

中学を出てすぐに、生きるために何をすれば楽しく生き伸びていけるかを、父の生き方を見ていると自分にはどういう仕事の仕方が向いているのかを自分で考えてそれを実行していると思う。父には会社員は絶対無理。一人で考えて進められることが向いていたのは私たち家族には解っている。大変な仕事をしているけど、楽しそうで真剣。私たち子供は無意識のうちに、生きていくってこういう感じでいいんだと思っていた。だから社会人になることの不安は無かった。そんな振る舞いをみせてくれた両親に感謝している。が、両親も全く「そう努力して振舞おう」というようには見えず、ただただ、そうしたいから、そういうふうに生きていくのが大変でも楽しいから、無理してやってるんじゃないことが伝わるから・・・。すごい!

これからの時代は技術の変化が激しい。でも今までより、「生きのびるための事務」の方法は多様になり、いろいろな方法で、自分なりのこの世界での楽しい生き延び方はある。でも学校では教えてもらえない。というか、「生きのびるための事務」は、みんなそれぞれ違うから学校だけじゃ無理なんだと思う。今、その場所で苦しいと思うのなら、この本で苦しくなく生きのびる方法を、探す方法を知って欲しい。

とにかく生き延びろ!!!



両親が残してくれた「まんじゅう」
表面の布が破れそうになったら、また直して使ってた。



もう一人、凄いと思っている母のことは、また書くことができるようになればいいなと。

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