こーしえん 山中りんたそ
まず、はじめに。
甲子園が好き、高校野球のファンの方。タイトルから感じることがあるかもしれませんが、今から書かれる高校野球についての文章は、基本的にネガティブな内容になるので、そっと画面を閉じることをオススメします。
画面を閉じましたね。では。
私は、「世間の」高校野球に対する評価がとても気に入りません。高校野球も嫌いになってしまいそうな程です。本日は、その理由について順番をおって、分かりやすく丁寧にお伝えしようと思うところでございます。
まず、私が高校野球を好きになれないのは、プロ野球の方が圧倒的に迫力があり、技術に長け、采配やプレーに駆け引きがあるからである。プロ野球を持ち上げるために高校野球を落とすというのは、あまり望ましくはないが、高校野球に熱中する「世間」に対して物申すには、このような言い方になってしまう。これについて、意義を申し立てる人はいないでしょう。迫力があって、技術により優れているものに見たい、触れたいというのは野球に限らず自然な感情であることが推察される。
え?高校生は一生懸命プレーしているところがいい?プロ野球選手は手を抜いている?
そんなはずはありません。学校の課外活動として、勉強をするついでに部活をやっている15〜18歳の高校生と、生活のため(場合によっては家族のため)に文字通り”生き残り”をかけてプレーしているプロ野球選手では、一体どちらが死ぬ気でやるのでしょうか。手を抜いているように見えるのは、年間143試合もするんだから仕方がないでしょう。もし、全力キラキラ高校生の青春ストーリーをご希望の場合は、ドラマや漫画等をおすすめします。ルーキーズやメジャー、ダイヤのAなどはどうでしょうか。
次に、世間が持っている高校球児に対するイメージに違和感がある。例えば、必要以上の仲間思い美談。そりゃ、全部が全部そうはいかんぜよ。世間と同じ割合で、仲間割れや摩擦はどうしても起こる。ところが、世間は高校球児がみな聖人君子の清廉潔白であると幻想を抱かれている。妙な物語を勝手に作り出して感動ストーリーとして売り物にしないでください。
あと、全員が全員甲子園が憧れの地で目指していると思っている幻想も気持ちが悪い。世の中には、ジャイアンツファンの高校球児もいて、甲子園=敵地のイメージを持っている少年もいるのである。そんな、少年にとって聖地とは東京ドームであり、甲子園は下劣なヤジに推しの選手がさらされる忌々しき球場なのだ。私のモチベーションは、県大会優勝して全国大会に行くことであり、決して”甲子園”に行くことではなかった。このニュアンスの違いは当人にとって、とても大事である。
そして、気味が悪いのが、当の高校生が世間から期待の眼差しを受けて、部活として純粋に野球ができなくなっているように思えることである。これは、今年の甲子園の選手宣誓の最後の一文である。
「この聖地で思う存分プレーできることに感謝を忘れず、僕たちのプレーが多くの人々に希望と勇気と感動を与えられることを願って、全力でプレーすることを誓います。」
実に堂々とした、素晴らしい選手宣誓だったが、高校生に「多くの人々に希望と勇気と感動を与えたい」と言わせてしまうのは、いびつであると思ってしまうのは私だけだろうか。私からすれば、世間など気にせず存分に”憧れ”である甲子園で思う存分プレーを楽しんで欲しいものである。ましてや、高校生の部活動の全国大会を見るモチベーションに、希望や勇気、感動を欲する気持ちはない。
私が望むのは、いち高校生の部活動の全国大会としての甲子園大会である。当たり前のことのように思えるが、高校野球信仰が日本にある以上、強調しなければならない点であろう。
野球をやっている高校生には、ぜひ自分のベストパフォーマンスが発揮できるように、頑張って欲しいと願っている。そして、東京ドームでプレーするようになったその日、私は、全身全霊で応援いたします。
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