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いい湯の秘訣 七緒栞菜

 寝湯から見る月がきれいだった。真正面に、まんまるな月。疲れた体を癒やそうと温泉に足を運んだが、心が月に癒やされた。そんな気分だった。

 幼い頃から、お風呂から出るときにはいつも必ず10を数える。大人になった今も、頭の中で数えている。なぜ数えるのだろう。「10を数えた後、私は本当に満足しているのだろうか」と思い、この日は10を数えないでみた。「心ゆくまで温泉を楽しむ」ということを目的にした。私の「心ゆく」を確かめたかった。

 どうしようもなく疲れて昼寝をするとき、タイマーを掛ける。15分。そういうときは決まって、「あぁ、あとどのくらいでタイマーが鳴るんだろう」と頭の中がざわざわして、結局その落ち着きのない頭のまま時間だけが過ぎ、タイマーが鳴る。心も体も休まらない。

 「あとこのくらいの時間」というのがわかっているとき、その時間が過ぎるまでは心がざわつき、その時間が過ぎたあとは何か物足りないのは私だけだろうか。時間って何なのだろうか。区切るためには非常に便利だけれど、生き物としては奇妙というか、なんというか。もちろん人間なので、時間を区切って動く必要があるときが多いのはわかる。生き物と違って人間は理性的だからこそ、時間を区切ることができるのだと思う。けれど、なんでもかんでも時間で区切ってはいけないなとも、同時に思う。

 時間を区切ることと、心ゆくまで楽しむこと。人間でありヒトである私は、理性をもつからこそ、それらを使い分けることもできるはずだ。お風呂に入るときくらい「心ゆく」を楽しんだっていいんだよな。そんなことを思ったこの日のお湯は、いい湯だった。


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