娘のための世界史7 アルビオン史
日本には瑞穂国、秋津洲、大八洲など雅号がいくつもあります。イギリスでもブリタニアとかアルビオンと言います。それで、このタイトル。アルビオンとは「白い土地」ぐらいの意味で、ドーバー海峡をフランス側から渡ると、白い石灰石のそそり立った崖が迎えます。それで、ローマ人がそう名付けました。
【イギリスとはイングランドではない】
というわけで、アルビオン史なんてまどろこしいタイトルですが、ここではイギリス史を述べようと思います。ちなみに、日本語で「イギリス」というと、「United Kingom of Great Britain and Northern Ireland」(大ブリテン及び北アイルランド連合王国)のことを指します。「英国」も同じです。イギリスも英国も語源としてはEnglandですが、現代では「イングランド」というときは、「スコットランド」と「ウェールズ」と「北アイルランド」の対立概念としての場合です。早い話、サッカーとラグビーのナショナル協会は、一国一協会が原則なのに、この国だけ地域別に4つの協会が国際的に是認されているので、こんな言い方になっています。ただし、こないだからの「Brexit」が話題になった裏で、スコットランドが連合王国から離脱したいというような情勢も伝えられ、その場合は「イングランド」が「スコットランド」の対立概念として、フットボール以外の一般ニュースでも取り上げられるようになりました。
【ローマ、ゲルマン、キリスト教】
さて、ヨーロッパ史1で言ったように、西欧史の根調は「ローマ」「ゲルマン」「キリスト教」です。
この観点を忘れずに、イギリスの、おっと、アルビオンの歴史をごくごく簡単にまとめてみましょう。
1:ケルト人の島にローマが植民した。
2:ゲルマン人のアングロ人とサクソン人が来襲して、島の大半をくすねた。やがてカトリックとなった。
3:フランス化したバイキングに乗っ取られた。
4:逆襲して大陸反攻するも、返り討ちにあい島に押し込められた。
5:しかたがないから、アフリカに進出して、奴隷貿易でアメリカで稼いだ。
6:かなり儲けたので、いちはやく産業革命に成功した。
7:その金でインドや東アジアでも儲けて、肩で風を切った。
8:「植民地」は悪いこと、という考えの時代になって苦労している。←今ココ。
では、1:からいきましょうか。
【聖剣エクスカリバー】
ローマ人がアルビオンの島に来たのは、紀元前1世紀のカエサル(シーザー)の時代でした。ガリア征伐の駄賃ついでにドーバーを渡りました。テムズ河畔に植民都市をこさえて、ロンディニウムと名付けました。今のロンドンです。
2:4世紀、「ゲルマン人の大移動」でところてん式に今のオランダから北ドイツにかけて住んでいたゲルマン人がドーバー海峡を渡りました。本国もタイヘンと、ローマ人は引き揚げます。で、迎え撃つはキャメロット城におわすケルトの王アーサー。魔法使いマーリンを参謀に、聖剣エクスカリバーの威光でつき従う円卓の騎士どもの奮闘及ばす玉砕。ゲルマン人は七王国(ヘプターキー)を建国。これがアングロサクソンのイギリスの元になります。
【ロビンフッド】
3:スカンディナビアのバイキングどもが欧州各地を荒らします。アルビオンにも来ました。デーン人と呼びます。アングロサクソンたちはなんとかデーン人の侵攻を食い止めますが、フランスのノルマンディーに定着したバイキング(ノルマン人)が11世末、アルビオンを征服します。ノルマンコンクェストと言います。フランス語を話すようになっていたノルマン人はアルビオンの王となります。こうして、アルビオンでは、家畜のピッグは食卓に出るとポーク、牛カウはビーフと英語はフランス語を取り入れて豊穣になっていきます。このノルマン人の侵攻に果敢に抵抗したのが、ロビンフッドです。
【ジャンヌダルク】
4:西欧各国の王室の婚姻政策が錯綜して、ゲルマンの法典であるサリカ法典の想定を超えてしまったこともあって、フランスに征服されたはずのイングランド王家は、フランスの王位継承問題がこじれたとき、フランスの王位を僭称します。実際に大陸側各地に領地を持っていました。
それで英仏百年戦争になりました。このとき、フランス側に立って戦ったのがジャンヌダルクです。彼女の活躍が寄与したのかどうか、16世紀を迎える前に、イングランドは大陸の領地を失い、アルビオンの島に退却を余儀なくされます。
このころ、イベリア半島のスペインやポルトガルは大航海時代の萌芽で、アメリカ大陸の発見、喜望峰周りのインド洋ルートの開拓、太平洋の発見と世界一周と続きます。ところが、婚姻関係のこじれや宗教対立でイングランドはスペインと戦争になって、勝ちます。アルマダの海戦と言いますが、スペインの無敵艦隊が負けたという物言いで有名ですね。
ここではイングランド王ヘンリー8世を覚えておいてください。王妃との間に世継の男の子が生まれないため、王室維持が心もとないので、離婚して別の女と次々に結婚しようとしたのですが、カトリックでは離婚はご法度。それで、大陸で流行していた宗教革命に着想を得て(笑)、「イギリス国教会」としてカトリックから独立したわけです。なんせ、離婚したい女房殿キャサリンは、ローマカトリックの庇護者たるスペイン王室の出ですから、これしか手はなかった?
まあ、イングランドの場合、こんな程度の宗教改革ですから、のちにもっと過激な「ピューリタン(清教徒)」というのが現れて、アメリカ合衆国建国のきっかけとなっていくんですね。
【マンチェスター&リバプール】
5:スペイン・ポルトガルの利権に割って入って、アフリカの黒人をアメリカに売り飛ばして儲ける悪行に手を染めます。リバプールやマンチェスターの織物産業は、アフリカの奴隷をアメリカに売り飛ばして手に入れた綿花が原料です。三角貿易と言います。
ここから後は、また別項で。飲みすぎた。もう寝たい。